蝋燭の炎が辺りを微かに照らすだけの、薄暗い教会の中で。
　ラウラ・レ・ファニュは、十字架の元に傅いて唄っていた。
　傍らには大きなピアノが置いてあったが使われることはなく。壁に備え付けられたスピーカーから、蓄音機を通じて伴奏が流れているようだった。

　黙って、耳を澄ませる。
　　　　　　　　　 　う　た
　彼女の奏でる賛美歌は透き通った水のようによく通り、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス、チェロの合奏に負けることなく。
　しかし邪魔になることもなく、沁み込むように教会の中を覆い尽くした。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　ソプラノ
　泣き叫ぶように苛烈な伴奏に合わせ、天を仰いで高らかに叫び声を添える――。

　海に沈み込むような弦楽器の音と共に。
　ぽつりと、そう語った。





　――ぱち、ぱち、ぱち。
　喝采の音が響く。

　　ラウラは蓄音機を止めると、丁寧にレコードを元の入れ物へ仕舞いそう言った。

　表情を変えぬまま、ふわりとレモン・シフォン色のスカートを揺らすと。腰から長い、一本の刀を抜いた。
　刃は白銀で作られているらしく、揺らめく炎を反射している。

　応えるように、ミラルカは鉄の爪を露わにし構える。

　爪は辺りの炎を喰らい尽くすかのように、眩く煌めく。
　まるで、道標となる王のように。

　ミラルカとラウラ。
　静まり返った教会の中。
　二人は――同時に相手に向け、飛び出した。

　　†

　鉄と銀の弾ける音。
　ラウラは踊るように軽やかに、ミラルカは獣のように獰猛に。
　刃は交わされる。

　彼女がそう呟くと、一瞬にして辺りの魔力地場がざわめく。
　どうやら全身を通る魔力のみならず、この教会全ての魔力を支配し尽くすつもりらしい。

　ミラルカが両腕を広げると、その背から濃淡な黒霧が放出される。
　爪から迸る光を更に色濃くするかのように、霧は辺りを覆い尽くし――やがて化け物へと変質した。

　アンデッドがラウラの周囲を取り囲み、抑え付けようと腐敗した腕を伸ばす。

　しかし腕の群れがラウラの居た所へひしめいた頃には――既に彼女の姿は、空高い上空に有った。

　ばさりとドレスをはためかせたかと思うと、地面で蠢いていたアンデッド達が全身から血を流し、次々に倒れていく。
　どうやらスカートの端から極細のピアノ線を無数に飛ばし、纏めて切り刻んだようだ。

　嗜虐的な笑みを浮かべていたラウラの表情が、強張る。
　崩れ落ちたアンデッド達は再び黒い霧へと戻り、ミラルカの背に集まり天使のように輝く羽根を作り上げたからだ。

　虚空へ翔びながら爪に魔力を注ぎ込み、その一本一本を巨大な杭のように肥大化させるミラルカ。
　ラウラも一度呼吸を整えると、瞼を閉じてミラルカの魔力を肌で感じる。

　落下する速度に勢いを乗せ、蹴りと剣戟を織り交ぜた連続攻撃。
　幾度と無く繰り返してきた、ラウラの得意技。
　タイミングは完璧。外すことなど有り得なかった。

　そう。実際ラウラ・レ・ファニュの7連撃は全てミラルカの正中線を穿った。
　にも関わらず――。

　ミラルカという化物は、微笑んだのだ。
　――始祖と、魔王の力。
　この二つを取り込んだ今のミラルカにとって、ラウラの人間の範疇に収まった攻撃は、恐るべきものではなかったのだ――。

　彼女はその攻撃の直前、何かに安堵するような笑みを見せた。

ユズリハがそう言葉を紡ぐと、影がミラルカに覆い被さる。

記憶の奔流。記憶に留める事すらしていなかった数多の記憶と共に、ミラルカの頭の中を記憶が駆け巡る。

それに伴う頭痛や吐き気も、相当の物だが。

ふと、気が付いたように呟く。

魔族は痛みに多少強い。今回の場合、引き出す記憶も膨大だ。

別の影で椅子を作って座り、ミラルカの様子を観察する。

青年はそう言って向き合う。

　ミラルカは十字架を手に握り――、自身の胸に突き刺した！


　　　　　　　――スキゾジェネシス！

　穿たれた心臓から流れ出る血液は霧散し、黒い霧となって辺りを包み込む。

　霧はやがて眩い光となり、翼のように肩から広がった。