手分けをして廊下の先や周囲の部屋の安全を確認しているときだった。
一陣の風が吹いた。

「シドニーさん…？」

実際の風ではない。城の廊下は、窓も扉も閉め切られており、そよ風すら吹かない。
感じたのは、精霊力の流れ。
ひと時関わった老貴婦人がまとう、日焼けした書物のような、古臭くて、それでいてどこか懐かしい香りのする、温かな精霊力の気配。
それがこの世界から消え失せたのを感じた。

絶大な魔力を誇り、多くの強力なエンブリオたちを従える彼女は、仲間たちと一揆の最先端を進んでいる。
いまだに城の中を進みあぐねている自分たちからは、かなり離れた場所にいるはずだ。
相見える敵の数も、強さも、半端なものではないだろう。
だが彼女とその仲間たちはそれを優に上回る強さを誇る。何よりあのディグリース・インダストリーの社長夫人が付いているのだ。
簡単に負けたり、まして命を奪われたりするはずがない。

ではなぜ。なぜ、彼女の気配が失われたのか。
彼女が自ら自分の生命を手放したのか？
――分からない。知りようもない。

ショックに頭から血の気が引き、ふらついて廊下の壁にもたれかかる。
そのままずるずると床に座り込んだ。

「なんで――っ」

顔を両手で覆う。喉の奥から熱いものがこみ上げる。

思えば最初から、不思議な人だった。
エンブリオを死んだ人狼の依り代にし、この世界に再現する。
死霊術師とも違う――校正術師と言っていたか――見たことのない魔法を使う人。

身にまとう上等な衣装や優雅な物腰から、上流階級の人であろうことは見て取れた。
そのような人物に、自ら関わるつもりは毛頭なかった。
けれど、彼女がよりによってドライアドに雄狼を宿らせたときはどうしても許すことができず――、
そこから、多少のやり取りが始まった。

一体いつから、彼女の歯車は狂ったのだろう。
ドライアドのヒューゴが、フォレストドラゴンに食われてしまった時から？
地下牢の奥に棲む不死の王を彼女が従えた時から？
それとも、もっとずっと前から？
ここしばらくは、彼女からの便りは途絶えたままだった。
一揆の最前線で戦う彼女は何かと忙しいのだろうと思って、こちらから返事を催促することはしなかったが――。

「ふ…え……っ」

堪えきれず、嗚咽が漏れる。両の眼には、大粒の涙が湧いた。
膝を抱えこんで座り、顔を埋める。ここが敵の陣中でなければ大声で叫び出したかった。

仲間と離れているときで良かった。メアリーはともかく、人間にはこんな所は見られたくない。

「どうか…どうか神様……」

自分が生まれ育った森では、特定の神を信仰しない。
だが今だけは神に祈りたかった。人間が信じる神々に、彼女が信じた神に。

どうか、彼女が幸せでありましたように。どうか、彼女の魂が天で安らかにありますように。

心の中で繰り返し祈りながら、声を殺して泣いた。