天蓋庭園から下ったシュガーはれんたろうとアイリスと合流しとんぼ返りで王城の城壁前に戻ってきた。再度この壁をよじ登り、天蓋庭園に彼ら二人を連れて行くためであり、平家の怨霊達を新王の玉座まで導くためである。朝、夜明けともに朝焼けに染まる薄桃色の城壁の下、その頂部を見上げてシュガーは武者震いに震えていた。シュガーはそこに至るまでにどうにかした懸案について思いを馳せていたのだ。

高さ５００メートル、重量４トンの自走砲の運搬

今回の懸案は自律稼働型の自走砲・れんたろうの移動であった。れんたろうには飛行能力はなく、垂直の高さ５００メートルの城壁の上まで運搬しなければならない。れんたろうの設計は可搬性と機動力が重視されており、その重量は概算で４トンである。自走砲としてはかなり軽いほうなのであるが、小象程度の重量である。人力で運搬できる重量ではない。また、れんたろうの分解にも再び組み立てるには専門の技術が必要であり、そもそも設計図も工具も持ち合わせていないシュガーには不可能なのだ。小分けにもできない。れんたろうをバラバラに分解したはいいが、組み立てができなくなってしまっては、いろいろとまずい。すごくまずい。

渋みばしった困り顔のシュガーの耳元に（フリーダムの化身）アニマの声が聞こえてきたのであった。メルンテーゼでは魔法の行使はわりと一般的である。しかし、シュガーはうーむと渋い顔のままだった。シュガーが行使できる魔術は怨霊に由来し、力学的なものは少ない。また、魔法の行使には魔法の副作用を十分に考慮する必要がある。例えば、空を飛ぶ魔法を使う場合、いきなり急旋回や急降下をするのは危険である。体にかかる遠心力や気圧の変化に対する防御も同時に行わなければ飛行中に失神してしまうだろう。すなわち、素人がいきなり魔法を使うのは危険極まりなく、専門家の意見が必要なのである。

なので、シュガーは事前に知り合いの魔法使いに相談した。魔法使いは「重量の制御」を提案してくれた。重力の制御は（時空間の制御と並びに）魔術の中でも最も難しいものの一つであるのだが、その魔法使いは「対象の重量をＮ分の１にするカード」と「物体の強度を強化するカード」を準備してくれた。カードの効力をそのカードを貼り付けた物体に限定することで魔術の副作用を最小限に抑える。重量についてのカードの原理は、ヒッグス粒子によるヒッグス場のフェルミ粒子への影響を時空の/dev/nullへボッシュートするとかどうとか…だ、そうであるが、シュガーにはよくわからなかった（強度に関するカードの原理もよくわからなかった）。

このカードをれんたろうに重ねて用いることで、れんたろうの重量は4トンから空気よりも軽くなる（強度のカードは空気圧によってれんたろうにが潰れないようにする保険である）。物理法則を豪快に無視するARAWAZAであり（そんなものがさらっと出てくる辺りにメルンテーゼの一揆衆の底深さがあるが）、時間もなく他に妙案はなかったのでシュガーはこの方法を採用することにしたのだった。

王城の登攀とふわふわれんたろうの回収

とはいえ、そのカードを臨床テストもなく人体に用いるのは非常に危険である。なので、シュガーとアイリスは己の足で城壁をよじ登らなければならない。シュガーは腕組みをして壁を見上げる。その横にはキリリとした表情のアイリスも並ぶ。２人して同じく腕組みをして城壁を見上げていた。王城の城壁登攀の手はずは以下のごとしである。

１）れんたろうにバラストを設置する
２）シュガーがれんたろうに重量と強度のカードを付加して発動
　結果、れんたろうは空気より軽い「ふわふわれんたろう」となるが、バラストで地面に固定されている
３）れんたろうに通話用の呪符を設置
４）シュガーとアイリスが城壁をよじ登る
５）シュガーは城壁の上かられんたろうにカラビナを結びつけた釣り糸を垂らす
６）れんたろうのマニュピレータでそれをキャッチ、カラビナをフックに取り付ける
７）バラストを解除して浮上開始、シュガーに釣り上げてもらう

腕組みな２人は互いに頷き合う。うっかりねーちゃんことアイリスと「しまった！」がわりと口癖なシュガーであったが、事ここに至り覚悟を決めるしかなかった。一揆衆に後退はないのだ。

朝食をすませると、シュガー達は慌ただしくテントを撤収してれんたろうに詰め込む。登攀用具と最低限の水と食料と釣り道具をサブザックに納めてこれを背負い、ヘルメットを被ってあごひもを締めた。２人してもう一度城壁を見上げ、深呼吸をしてから城壁に取り付いた。とはいえ、天蓋庭園へ至る城壁の登攀器具の整備が進んでおり、足場のマーキング、梯子や簡易の足場の設置、さらには魔術的なサポートポイントが取り付けられており、シュガーが登攀した時よりもさらに難易度は低下していた。それでも垂直の壁をよじ登ることに変わりはなく、シュガーとアイリスはスタカットで互いに確保しながらじりじりと高度を上げていく。

登攀を続け、高度が徐々に上がっていくごとに、アイリスの顔が青ざめて涙目となっていく。城壁の頂点は遥か彼方、見下ろすと幕営地のテントは点のごとく小さくなり、壁を吹く風は冷たい。いくらロープで確保していたり、魔術的なセキュリティが存在しているとはい、慣れない高度は怖いものである。シュガーは涙目のアイリスを頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるってやれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ！そこで諦めるな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張る怨霊だって頑張ってるんだから！などと必死に励ましながら城壁を登っていく。

実際、シュガーの周囲には平家の怨霊が浮遊していた。シュガーの隠世を見ることができる瞳には、小松家の貴公子達、きらびやかな甲冑を身にまとった武者ども、すなわち、平維盛、資盛、有盛、帥盛、忠房（および従兄弟の行盛）が壁の上に立ち、あるいは、宙に浮き、シュガーに先行して状況を伝えてくれたり、強風が来ることを告げてくれたりと、登攀をサポートしてくれた。壁の上を甲冑をカタカタいわせて歩きまわる彼ら平家の怨霊の姿を眺めていると、城壁をよじ登るシュガーはまるで己が地面を這いまわっているように思えてくる。

梯子や足場に助けられ昼ごろにはシュガーは天蓋庭園へとたどり着いた。シュガーは最後にアイリスの手を引いて最上階に引っ張りあげてやり、待望の地面の上にアイリスはへたへたとへたりこむ。シュガーはアイリスを労い、ロープを解き、王城が一望できる背後の光景を指差す。その日は運悪く星屑の山々は雲に覆われてはいがが、それでも、王城の城構えがミニチュアのように見下ろせ、その先の護りの森や大草原までが見渡せる。登攀で疲労困憊なアイリスではあったが、へろへろと壁際まで這い寄って眼下を見下ろしへへへと笑みを浮かべていた。

しかし、シュガーにはまだもう一仕事残っていた。れんたろうは壁の下へ置いてきたままなのだ。通話用の呪符を起動して下界のれんたろうに声をかける。

シュガーは釣り竿にリールをセッティングして釣り糸にカラビナを結びつけ、眼下のれんたろうめがけて糸を垂らしていった。当然、登攀/下降用のルートは避けている。リールはカラカラと回り、カラビナは地面まで垂れ下がり、れんたろうはマニュピレータでそれをフックに取り付ける。双方からオーケイサインが出たところで、れんたろうはバラストを破棄した。れんたろうはふよふよと浮き上がり、浮上を開始した。浮上したれんたろうをシュガーは釣り糸をリールで巻き取る。風に煽られて垂直には上昇してくれない。風に吹かれたれんたろうはぐるぐる回転しながら上昇しているようで、音声通話用の呪符からはあーとかうわーとか情けない声が聞こえてくる。途中強風に煽られたれんたろうは明後日の方向へと流されかけたが、シュガーが大慌ててリールを巻いて事なきを得た。

シュガーはリールを巻きとりきり、ふわふわのれんたろうは釣り竿の先端にくっついた状態となった。シュガーは釣り竿を地面に置き、重量制御のカードと強度強化のカードを取り除くと、何かしらの粒子の発光現象が起こった後、すぐさまれんたろうは４トンの自重を取り戻した。そのキャタピラは道の落ち葉を踏みしめる。

ガオンと内燃機関に火が入り、駆動音が轟いた。

アイリスが荷物をまとめて駆け寄ってきた。ふぅと一息ついてシュガーはれんたろうの砲塔の背部に腰をかけ、ふふふと笑みを込み上げてくる。ああ、今回は完璧じゃないと、城壁を転落して死んでしまうからな。

アイリスは荷物をれんたろうの砲塔上部に結びつけて砲塔上に腰をかけた。シュガーとアイリスを乗せたれんたろうは天蓋庭園の内部に向かって進行を開始した。ネクターがアイリスの顔にぶつかり、ぬあーと砲塔から追い落とされたアイリスは、結局、砲塔の背部のシュガーの隣に腰をかけることになった。シュガーの隠世を見る瞳には、れんたろうに続いて平家の怨霊達が続く。れんたろうのキャタピラの足跡に騎馬武者に歩兵が続いていく。

シュガーの頭上をネクターの赤い怪しい光が過ぎ去っていく。自走砲は山中の踏み跡を走ると、一昨日にシュガーが呪術的な橋頭堡を設置した一揆衆側の幕営地にたどり着いた。自走砲は停車し、シュガーは橋頭堡のある木へ向かう。青白い鬼火が海の波のごとく立ち上がる。

それは平家の怨霊の主力部隊であった。智勇兼備の総大将（知盛）、笑顔が牡丹のごとき男前（重衡）、猟犬のごとき笑みを浮かべた戦士（教経）、笑顔が清らかな（知章）、白髪の白髭の老武者（教盛）、雅やかな歌人（経盛）、幼さの残る少年（敦盛）、小宰相ちゃんラブな（通盛）、文武に優れた髭のおじさま（忠度）、琵琶も歌も得意な才人（経正）、温厚で風雅な（経俊）、覚悟のすわった（清貞）、同じく覚悟のすわった（清房）…これにシュガー達に続いていた小松家の貴公子が合流していく。憂いを浮かべた優男（維盛）、笑みがはかなげな歌人（資盛）、ちょっと影の薄い（有盛）、ダウナーな笛の名手（清経）、笑顔がにこやかな歌人（行盛）、歴戦の強者の雰囲気がするおっさん（忠清）、鬼の気迫をまとう（影清）…ここ天蓋庭園に平家物語の合戦を彩るの平家の怨霊の主だった顔ぶれがそろったことになる。

彼ら怨霊はシュガーの方を向き直って腰を落として頭を下げる。シュガーに頭を下げているのではなかった。シュガーが振り向くと静かな冷たい青い炎が立ち上り、そのただ中からまずは清宗の霊が姿を現して膝をつき、そして、安徳帝の霊が現れる。平家の怨霊はみな主上の前に伏する。

安徳帝の霊は彼方の赤い光る柱を見上げて呟く。シュガーも膝をついて主上の顔を見上げて奏上する。

シュガーと平家の怨霊達が今日まで戦って来たのは全ての露払いのため。安徳帝の霊は再び炎の中に隠れ、平家の怨霊たちは頭を上げて立ち上がり、シュガーもまたれんたろうの元に戻る。目指すは天蓋庭園の深奥、新王の玉座である。

シュガーは怨霊と会話をしているようです