雀蜂との全身同調を切り、己の領域で感覚を取り戻しながら、とがる爪を肌に突き立てる。
　醜い傷から血が染み出すが、構わない。この痛みは、主の痛みに比べれば些細なものでしかないのだから。

　気を緩めれば衝動のままに激昂しそうになる心を、強引に抑えこむ。
　驚異的な修復力があると知っていても、愛する主殿の片腕がぐしゃぐしゃにされる様を傍観していなければいけないとは。
　不甲斐ない、と。こういう時の為の従僕ではないか。主の危機を、己を身代わりにしてでも救うのが役目のはず。
　だが、彼は自分を従僕として扱ってくれない。共に犠牲になることを望まない。故に、身動きが取れない。

　いっそあのまま主殿を拉致してしまえば良かった。
　奴らと無縁な世界で、朝晩怠惰に眠りふけ、身も心もとろとろに甘やかしあう日々に誘いたい。

　それは、主を破滅に追いやる一歩となるだろう。
　死ねば全てが終わる。ならば死ぬ直前まで、ずっと夢の中で微睡んでいればいい。
　苦しむ主を、楽に死なせてやれる。もう戦わなくていい。痛いことからは全て私が遠ざけてあげる。

　――そうしてまた、繰り返すのだ。もう幾度も、これ以上ないほどに痛い目にあってきたというのに。

　笑う理由を「逢えて嬉しいから」と返されては、ふざけるなと問い詰めることも出来やしない。
　主殿は最後まで、あの惨状の理由を説明をしなかった。
　視ていたから知っているだろう、とでも言いたかったのだろうか。
　視られていたと思うなら、助けようと衝動的に飛び出すことを、どれほどの自制心で耐えたか理解してくれてもよかろう。

　真っ向から戦って勝ちたいだろう。
　逃げまわり耐えるだけの戦いを強制されていることが、主殿の実力の発揮を妨げている。

　推測の域を出ないが、ラルクゥも信用皆無のトガノだけを頼るわけにもいくまい。
　これは後ほど主殿に伝えてみようと決めながら、ゆっくりと身を起こす。

　女将軍が伝えてきた弱点を、自分自身でも把握しているというわけだ。
　もしラルクゥの生存がバレたら、弱点を突かれないよう賢しく立ち回ってくるだろう。

　先の先を読む必要がある。真っ向からは戦えないのだから、知恵で対抗するしかない。
　自分が彼と戦うならば、幻の強敵を作り上げて争わせるだろう。
　冷静さを奪い、警戒と動揺を煽り、余計な力を使わせ、疲弊を誘う。
　幻術の戦は化かし合いだ。真実に一滴の嘘を混ぜ、誤認させることを信条とする。
　異能使いにも幻術使いは居ただろうから、過信は禁物だが。

　その頃の主殿ならば、ハルシオンと真っ向から戦っても負けはしないだろう。
　遠い未来、負かされたのちに主殿の腕の中に抱かれている自分を想像して、うねうね身悶えする。
　百年の恋も冷めそうな気持ち悪さだった。

　彼を苛む全てから遠ざけてしまいたいと思う心と、主殿には誰よりも強くなって欲しいと願う心。
　相反する想いに疲弊しながら、ツヅミは深いため息をついた。