：今回の日記はヤドランカ（1204）さんの日記と繋がっています。
：先にこちら（http://lisge.com/ikki/r/k/k1204.html）をご覧頂ければ幸いです。

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前に訪れた時と変わらぬ様子のペタルと、おいしい食事のリクエストを問う声と、
何よりも彼女の安心したような表情に旅の疲れを放り投げて、足取りは軽くなっていた。

確かに―――この時までは、まだ。


＊　＊　＊


「……それでね、お城はとっても広かったわ〜
　歩くの少し大変だったけど、お勤めの方にもお会いできたの〜」

満腹になるまで食事を頂戴し、村の子供たちとも遊び（一方的に脅かしていただけだが）、
最終的に男は、陳情と今までの経緯についての報告を行う彼女の隣に腰を下ろしていた。
手を貸し、行動を共にし、目的すら共にする様になった男とて、最早無関係ではない。
けれども元々は彼女が彼らに頼まれたものであったから、言葉は求められた時だけ発し、
傍観するスタンスで男はその場を見守っていた。厳しい顔をした、大人たちへも視線を投げて。

彼らからしたら、今のメルンテーゼの状況は相当思わしくはないのだろう。
王は見つかった。陳情を聞くどころか、前線と交戦状態に入った話も当然耳にしている。
となればこの先この世界に見える未来は、王が勝って圧政が続いた先の滅びの道か、
一揆隊が勝って作られる新たな世界か（これも、先行きが良くなる保証なんてない）、
共倒れして緩やかに朽ちていくだけの、概ねそのどれかだろう。元に戻るかは賭けに等しい。

故に彼らが取ろうとしている選択は、きっと最善の一手で。
生活が掛かっているのだから、当然とも言える。

ただ、それをあっさり受け入れて見せる彼らの姿勢には、違和感を抱かざるを得なかった。

この地を去る、と。告げられた言葉に虚を突かれた様子の彼女の、横顔を一瞥する。
一方的に付きつけられるものは他人から見ても納得出来るものではないのだから、
当人からしたら、声を荒げたって到底おさまる怒りではないだろう。
何より、彼女にとってエンブリオは、ただの頼れる便利な精霊や生命体ではないのだ。
こちらへ向く長老の視線を受け流しつつ、彼女の手前、形だけでも畏まっていた体勢を崩す。

「…だから、それはいやなの〜！」

宴の余韻で賑やかだった空気が、その言葉で一気に冷めていくのが解った。
今にも泣いてしまいそうに涙を溜めた彼女の背を、ぽん、と優しく叩いてやる。
ギザギザと尖った、おおよそ人のものとは思えぬ歯を剥きだしながら、男はにんまりと笑った。

「…ま、じいさんの話もごもっともだろうさ。自体が好転するっつーのはもうありえない。
　どーして会いに行かないって言われても道は様々、辿った道が繋がってなかったってコトで、
　そればっかりはすいませんね、とかしか言いようはねえけども」

今まで留めておいた言葉を、静寂に乗じて形にする。
幾度も幾度も宥めるようにと彼女の背を撫でながら、形にしたものに色を乗せる。

「しかしまァ、…長老サマが土地が変わっても人がいりゃ同じ、なんて言うとはね。
　―――“かつて、泥の世界に住んでいた”だったっけ？」

薄らと開いた口が、いつだったか彼女に教えてもらったトート村の伝承を紡いだ。
仲間を失いながらも一族の為に道を切り開いた、彼らの遥か先祖たちの話。

「“先祖たちは風も空気も緑も無い世界で、自らの身体の色も知らず、泥に潜って暮らしていた。
　新しい世界を求めた先で見つけたのは葦の葉の上。湖の上に浮かんだ皿のような世界。
　風はあった。空気もあった、けれども足元が確かでない。だから、また新たな世界を求めた”」

ペタルを見遣る。

「“そうして見つけた新たな世界は、ひっくり返る事もなく、自然もあり水も十分にあった。
　彼らは命を賭した冒険の果て、辿り着いた地に根を張り今の平和な生活を手に入れた。”
　ご先祖サマの為にもこの村を大事するんだよ、そう言い聞かせてるとか」

長老へと視線を戻す。

「…でも、聞いた話とあんたたちの態度も認識も違うみてえだな。
　愛着もなにもない、ただの生活スペースだって言い草だ。なるほど先祖が泣くねー。
　他所に行くつもりなら、いっそ泥の中の世界に戻ってみんのはどうよ？逆に新鮮じゃねェの」

自然と言い回しが刺々しくなって、そうして悟る。この色は怒りの色だ、と。

「それとも、この話自体がウソだったとか？」

世界を捨てること自体を咎める気は、無い。
それを咎めてしまったら“世界と役割を捨てて”此処にいる己をも、咎めねばならないのだから。
けれども―――村の為を思って精一杯頑張ってきた彼女の、その頑張りを、
些末事と切り捨てる彼らの態度には、腹に据え兼ねるものがあった。紳士ではいられない。

言葉の流れるまま一気に捲し立てた所為か、舌先が乾いてしまった。
小さく息を吐き、ゆるりと首を振る。

「あー話が逸れてすいませんね、長老どの。
　別の世界へ送ってくっつー折角の申し出は、遠慮させてもらうわ。
　元は観光とおいしいもの目当てで此処にきたとはいえ、一揆に参加した身だしさ。
　おれはメルンテーゼに残って、戦いの最後の結末までを見てくコトににするわ」

人はそういう責任の取り方をするんだろう、と、赤い双眸が笑うように細くなる。

「そうだ。もうひとつだけ言っとく。
　…エユプもブランカたちも、ヤドランカに無理に付き合ってるワケじゃねえよ。
　おれだって何度も助けられた。“アレ”が実際どんな存在かは知らないが、
　契約を破棄しろとか、…そーゆことは簡単に言うモンじゃねェだろ」

なあ。
最後に小さく、そんなぼやきめいた呟きが零れた。
　
　

伸ばされる手に向けて身を屈め、形をきれいに直してもらう。
整ったそれを嬉しげに見下ろしてから、どーも、と告げて。

手の中にある薔薇の花を見遣って、にんまりと口端が持ち上がる。

相変わらずアヒルを象ったものばかりでセンスを問われそうだったが、
飾ったピンは実によく彼女に似合っていて、安堵めいた息を吐いた。
手作りかを問う声には、頷きを返し。

楽しげに肩が揺れる。

作ってもらった薔薇のアップルパイを、温かい紅茶と共に。

ああしたい、こうしたい、と。年が明けた先のことまで話を弾ませながら、
クリスマスの夜は―――穏やかに、過ぎていったことだろう。

下腹の羽毛を逆立てたまま、敵を見据えている。