「……エンバーさん、あのね〜？ちょっと、ご相談なのだけど〜…」


＊　＊　＊

そう言って彼女が告げた言葉は、故郷に一度戻りたいというものだった。
もちろん、了承した。急いて先に進まねばならない理由は男にはなかったし、
何よりも彼女の作ったビーフシチューがとても美味しかったので、
これは確かに家族に作ってあげたいだろうと、ひとり納得した部分もあったからだ。

陳情なら（魔王まで届いているかは定かではないが）関係者にある程度行ったし、
今戻っても、彼女が怒られるような事はないだろう。褒められる事はあれど。
それに、たしか、もう新しい年も近いはずだ。

ただ――妙に晴れない彼女のその表情は気になった。
無人とはいえ勝手に使った厨房器具や食器類の片付けをある程度済ませ、
碌に荷物も持っていない男は、彼女の準備が終わるまでをのんびりと待っている。

伺うような視線を投げながら、気を利かせた言葉も掛けられぬ自分に苦笑いひとつ。
ぽん、と、その背中を軽く叩いてやってから緩慢に歩き出した。


ちらちらと、空に混じるものは雪だろうか。

もじもじ。

差し出したのは、ネックウォーマー。
落ち着いた色合いは、彼の指輪に宿るエンブリオ、チャコールブラックと同じ色。
裾に、さりげなく彼の眼鏡と同じ色の幾何学模様が編み込まれている。

遅れて渡した袋には、パイ皮の上に薄くスライスしたりんごを並べてくるくる丸めた、バラの形のアップルパイ。
ひとつ手を伸ばしてつまみ上げ、己の髪に飾るまねをしておどけてみせた。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。