※攻城戦後の話です。




声がした。
その声は、何処かで、聞いたことがあるような、そんな気がして。



――"花"の、養い子よ


もう一度、響いたその声に、
紅い花で埋め尽くされた、あの光景を思い出した。


＊＊＊＊


大礼拝堂。
本来なら、王や連なる一族、貴族たちが利用するだろう礼拝の場。
トリーさん、ジェイドさんと調理場で別れてから、コトカさんと共に足を進めたのは、そんな場所だった。

遭遇した魔物たちとの戦闘を終えた後、休憩を取ることにして、見回りに出た。
他の城内の例に洩れず、広い室内。通路の両側に規則正しく並んだ、恐らくは名工の手による、幾つもの彫像。
窓に飾られたステンドグラスを通って色づく西日が、床に、柱に、壁に落ちている様は、私の目で見ても、美しいと思う。
時折、奥の方で物音がする以外は、とても静かで。
魔物がそこかしこに居るにも関わらず、漂う荘厳な雰囲気に、自然と背筋が伸びる思いがする。
故郷にも、守護者である女神ラヴナオリティスや隠者マルクスバレッジを祀る祭祀堂があったけれど、
この礼拝堂は、なんと言うか、本当に聖域、と呼べるような場所なのだろう、本来は。

そんな事を考えながら、立ち止まって、辺りを見回す。
彫像の陰や、ステンドグラスの填め込まれた窓、通路の奥。注意深く視線を巡らせて、息をつく。


「……異常無し、かな」
「だナ、少なくトも此処ラは安全だロ」


そう呟いた私に、珍しくイェジが頷いた。
いつものように肩に乗ったまま、私がしたようにぐるりと視線を向けて。


「にしてモ」
「ん？」
「ドっこもかシこも、無駄に広ェな。城っテのはどこも」


言いながら、肩を蹴って床に下りる。
着地すると同時に、彼の姿が霞み、


「こういうモンなのか？」


銀髪の男の姿で振り返った。
肩を竦めて、言葉を返す。


「さあ、……少なくとも、ここは広すぎるくらい広い、ってことは、確かじゃないかな」


イェジの問いは、私が疑問に思い始めていたことでもある。
野外は、まだ分かる。それこそ、大地は空と同じく果てなく広がっているものだから。
けれど、城内はあまりに広すぎると思う。
外から見た城は遠景でしかなかったけれど、それほど大きいようには見えなかった。けれど、実際に城内を歩くとそれ以上に広い。
ずっと同じエリアを歩き続けたとしても、最深部に着くには、何日も掛かる。
記憶してきたルートを考えても、恐らく普通の城なら、もう王が見つかっていてもおかしくないはずだ。
けれど、現実として、未だに王は見つかっていないどころか、彼の姿を見たものもいない。
直接、王に届く手がかりも、奪われたネクターのことも、なにひとつ分からない。
いったい、どういうことなのか。


「大掛かりな幻術でも掛けてンじゃねェのか、ってェ気にはなるがな。さっぱり掴めねェわ」
「イェジでも、分からないのかい？」
「あァ？　阿呆かテメェ」


いつものように眉根を寄せて、彼はそう言い捨てる。
凶悪さを増した表情は、けれど、室内に視線を向けると同時に消えた。


「俺にとっちゃ、ここァ異界で、世界にとっては、俺ァ異界から来た異物だ。探るにも勝手が違ェンだよ」


――……えるか、


「かといって、お前や嬢ちゃん、ウルヘアみてェに、この世界で生まれ育った奴も気付かねェとなると、相当強い力で掛けられたか、もしくは、……」


――“花”の、子よ


「え？」


声がした。辺りを見回しても、私とイェジ以外に、人の姿はない。
それに、その声は、何処かで。
聞いたことがあるような、そんな気がして。


「え、……」


――"花"の、養い子よ


もう一度、響いたその声に、
紅い花で埋め尽くされた、あの光景を思い出した。


「……！」
「あ？　どうかし……」




＊＊＊＊


ミハウが、身を翻した。向かう先は、まだ、探索を終えていない方の通路。
咄嗟のことに、手が伸びなかった。


「！？　おい、ミハウ！」


止める暇も無く駆けていくミハウを追って、俺も走る。
まるで向かう先が分かっているかのような、迷いの無い走りだが、何があるというのか。
この先は、まだ、踏み入れたことのない場所だ。
あまり奥へ進まれては、嬢ちゃんたちを置いていきかねない。


「おい、」


ミハウは、椅子の前で立ち止まった。恐らく、休憩用に設えられたうちのひとつだろう。
その上に、誰かの忘れ物なのか、何かが置かれていた。

金属製の、平たい小箱だ。
ミハウの、いや、嬢ちゃんの両手にだって収まるくらいの大きさ。
よく手入れされていたのか、丁寧に磨かれて光沢をもつ表面は、差し込む光を鋭く跳ね返している。
蓋や縁、側面にも精緻な模様が彫りこまれ、蓋の真ん中に填め込まれた大きな石は、深い紅色を宿してそこに鎮座していた。
先ず間違いなく、腕の立つ職人の手による代物だろう。
芸術の類にァ、トンと疎い俺が見ても、高価そうだ、ということは分かる。だが。

その前で、ミハウは。


「……んで、こんなところに」


信じられないものを見た顔を、していた。
恐る恐る、といった具合に、箱へ手を伸ばして、そっと手に取る。
まるで、由緒正しく伝えられた宝物を扱うような、慎重な手つき。


「その箱が、どうした？」
「……、」


高そうな箱だが、俺にとってはそれだけだ。だが、こいつにとってはそうでないらしい。
問うた俺に、何事か、ミハウは答えたが、声が小さすぎて聞こえなかった。


「あ？　だから何だって」
「……『アルキミア』、だよ」
「は？」


アルキミア？
故郷を出てまで探しているエンブリオの名が、どうしてこの場で出るのか。
理解できずに横顔を凝視していれば、箱に目を落としていたミハウが顔を上げた。


「この箱が、……『アルキミア』、なんだ」


その言葉に、俺は次こそ間違いなく、固まった。
……ちょっと、


「ちょっと待て。アルキミアってのは、エンブリオ、っつってただろうが」
「うん、……そう、アルキミアは、エンブリオだ。でも、アルキミアは、この小箱に宿ってるんだよ」
「……依り代、か」


物体に宿る、ということは、妖（あやかし）にはよくあることだ。長く人の間に伝わった品物が化けて意志を持つ、付喪神なンかは良い例だろう。
俺のように、力の強い妖は、己が望む姿を取って動くこと、その姿で過ごすことが出来るが、
力の弱い奴、上手く姿を取れない奴は、何がしかの品物、依り代を生まれた精神の宿とすることが多い。
それを、元々自分の姿を持っているはずのエンブリオに、当てはめて良いのかは分からん。
まして、アルキミアは、強い力を持っているエンブリオだと聞いていた分、信じられない。


「そいつ、力があるはずだろ。何でンな箱なんかに」
「……、それは、彼女に聞いた方が早い、かな」


その箱を大事そうに抱えると、ミハウは、いつものように、へらりと笑んだ。


「さ、とりあえず、戻ろう。ちょっと、コトカさん達から離れ過ぎたし……心配かけると悪いしさ」
「……話、聞かなくて良いのか」
「ああ、うん、今は、いいよ。……今日の夜にでも、聞こう」


そう言って、ミハウは歩き出す。俺もその後について、歩を進める。

ネクターと共に、奪われたはずの、豊穣の力持つエンブリオ、アルキミア。
奪還こそ、ミハウが親友に託された、最後の願いでもある。
それが、小箱に宿っていて、なぜか、こんな所に置き去られていたこと。

分からない。
その不明瞭さに、霧の中に居るような心地さえした。

ミハウさんの手の上に載ってるクッキーをみて、ミハウさんの顔を見て、またクッキーを見る。

スズメが首をかしげる。
食べてもいいかとちゃんと聞く辺り、小さい子どもと一緒の思考だ。

相変わらず、人懐こい野鳥だった。

ミハウの問いを、反芻するように。
深く沈めていくように、声にして、落とす。

平たい声だった。

　続く彼の言葉に、驚いたよう目を瞬かせる。
　料理が好きな彼だからこそ、そう思うのだろう。真摯な、言葉だった。

　漏らした謝辞は小さく、けれどはっきりとしていた。

　少しの沈黙。何か考え込むような顔。
　俯きがちな視線をすっと彼に遣る。

　終わりはいつになるか分からないし、彼にとっての終わりも分からない。
　漠然とした問いだけれど、問う声音は真っ直ぐだった。

若干恨めし気な目で見た後に、肩の力をふっと抜いて一緒に笑い出す。

焦りすぎて、微妙に聞こえるか聞こえないかの小声で思っていることがダダ漏れになっている。

軽く炙ったパンに、シロップ煮をひとつ、乗せて食べている。

一歩、前へ進み出る。
深呼吸をひとつ。武器を確かめるように握り直して。
構えると、敵を真っ直ぐ見据えた。