「何故だ！　何故おれが、処刑されなくっちゃいけない！」

　檻を叩くようにして叫ぶが、看守はこちらを見にも来ず「うるさいぞ」と注意した。
　彼らにとって、おれの罪が何であるかなど興味はないのだ。
「くそ！」
　硬いベッドに寝転んで、天井に向け悪態を放つ。
　声は何処へ届く訳もなく、虚しく残響した。

　――おれは、このままでは処刑されてしまう。
　エリートだったはずなのに、こんな所で。
「死ぬ……、嫌だ……」
　言葉にすると、何処か現実感の無かった“死”という未来が、非道く恐ろしいものなのだと実感出来たような気がした。
　死ぬ、死ぬ、死ぬ。
　死んだらどうなるか解らない。死んだら自分が自分ではなくなるかもしれない。

「嫌だ、嫌だ……嫌だ！」
　何か脱出の手がかりは無いか。汚れたベッドの下に右腕を突っ込むと、祈るように奥を探る。
「嫌だ、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――」

「――…嫌、なのに」
　当然、脱獄の助けになるようなものは無い。
　おれは思わずベッドに、崩れ落ちるように身を預けた。何故おれは、ここから脱出出来るようなものを持ち込まなかったんだ。自分の愚かさが恨めしい。

「……死ぬ、のか」
　ベッドの下で擦れた袖が、埃で黒ずんでいる。
　右腕は黒ずみ、左腕は不自然なほどに真っ白だ。
　そう、不自然なほどに。
「…………？」
　おれはその時、妙なことに気が付いたんだ。
　牢屋の壁の一部分だけが――不自然なほどに、白いことに。
「……、…………」
　周囲を見渡す。看守はまだ遠くにいるらしく、その姿は見えない。
　死を前にして焦っていた気持ちが、氷に触れたかのように冷静だった。おれは白い壁をゆっくりと、叩く。

　――かこん。
　がらんどうの箱を叩いたような音だった。
　念のためその隣、黒ずんだ部分の壁を叩くと「ごん」と鈍い音が響く。

　恐る恐る、白い壁に再び手を当てると――。

「あ。」

　――外れた。
　真っ白な壁はベニヤ板で作られていたらしく、あまりにも呆気なく牢屋に穴を作り出した。
　おれは再び壁を閉じ、隙間から周囲を伺うように覗き込む。

　壁の向こうは白と黒、モノトーンの廊下だった。
　辺りに人の気配はない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ガーゴイル
　ないが、こちらを監視するかのように聳え立つ 石 像 が不気味に感じられた。
「大丈夫……大丈夫……おれは、ここから出るんだ」
　自分に言い聞かせるかのように呟く。
　地位も名誉も捨てることになるが、致命的なまでの“死”を実感した今となっては、そのくらい大した問題ではないように思えた。
　それに地位も名誉も無くとも、まだ金を手に入れるアテはある。そうしたら、やり直すんだ。

　　　†

　廊下はいっそ恐ろしい程に人の気配が無く、無事に外へ出ることが出来た。
「ここは……」
　陰鬱な地下牢を抜けたその先に有ったのは、まるで楽園のような花園。
　小鳥は謡い、草木は茂り、微笑む像はガーゴイルなどではなく女神の微笑を象ったもの。
　　　 　　　　　　　ナイトメア
　先程の光景は、悪夢 だったのではないか。そう思える程平穏なその光景に、安堵の息を漏らす。

　それが、いけなかった。


「――ッ！」

　そう、気の緩んだおれは愚かにも、花園に佇む一人の男に気が付かなかったのだ。
「脱獄者ですか」
　こうなれば実力行使だ。
　幸い目の前にいるのは、どうやら兵士などではない優男。首元に十字架を下げているところを見ると、司教か何かだろう。
　この程度の相手なら押し通ることも不可能ではない――。

　――そう身構えたおれだったが、司教はへらりと柔和な笑みを浮かべ応えてみせた。

「大丈夫。私は敵ではありませんよ」

　その声色は耳を撫でるように優しく、司教からは不思議と甘い花のような香りがした。
　自然と“こいつは敵じゃない”と理解することが出来てしまう。

　おれはこの時、気が付くべきだったのだ。
　目の前の男が――この世で最も厄介な“味方”であるということに。


　　　　†

　おれは司教に保護され、訓練場にその身を隠すことにした。
　　　　コイツ
　何故司教が訓練場を自由に出来るのかは解らなかったが、その時は“安全が確保出来るなら何でもいい”と思った。
　パンと一緒に出されるスープは矢鱈と美味かったし、ほとぼりが冷めるまでここを動くのは危険だったからだ。

「あなたは何故捕まったのです？」
　ある日、司教はそう問いかけてきた。
「そんなのはおれが聞きたいくらいだ。……さっぱり解らん」
「ふむ……そうですか」
　その答えは本心ではあったが、しかし欺瞞でもあった。
　司教が去ったのを確認すると、おれは左腕を天井に掲げる。

　　　　　 appear　
「――“偏在しろ。”」

　空間魔法の詠唱と共に出現するのは、小さな小瓶。

「……おれは、このままじゃ終わらない。これがあれば、おれはまだ終わらない」

　確信があった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 こ　れ
　何故だかはさっぱり解らないが、おれの処刑が決まったのは、間違いなく小瓶のせいだ。
　最初はこんなものに金を出す奴の気が知れなかったが、タイミングがあまりにも合致し過ぎている。

　　　　　　　　　、、、 、、、
「何でこんな、魔王の髪の毛なんて欲しがる奴がいるんだろうな」

もっとも、自分の目の前でそれを言った奴の首は刎ねたが、と言い。

そして、黙ってミラルカの考察に耳を傾け、回答を聞き終わると、ゆっくりと口を開いた。

回答に満足し、ミラルカ自身に興味を持ったように、そう呟いた