黒い絵本の『魔王と魔女』の物語は、そろそろ終わりに近づいていた。
　魔王復活の儀式のため、闇の眷属の代表としてヴォオレット王国へと遣わされた魔女オルタンシア。
　ヴィオレット王国の王女オリフィアとの邂逅により、闇の眷属の命に叛く事を彼女に告げた。
　オリフィアの十六歳の誕生日となる夜明け前に、魔王復活の儀式ではなく再封印の儀式を執り行う事となった。
　
　既に部屋に儀式用の魔法陣を準備したオルタンシアは、オリフィア王女が訪ねて来るのを静かに待った。
　コンコンとノックの音がすると、深くフードを被った薄紫髪の女性が部屋へと足を踏み入れた。

「オリフィア様。私を信じて、よく来て下さいました。暫く時間は掛かるかもしれませんが、何も心配しないでください。必ず、魔王の魂を永久に眠らせてみせます。」

　オリフィアの手をとり、緊張を解くように優しく微笑む努力をするオルタンシア。

「ふふ……ありがとう。でも、オルタンシアは勘違いしているようですね。」

　深く被ったフードのせいでオリフィアの表情はしっかり見えなかったが、明らかに普段と違う気配を感じたオルタンシアは手を離し、後退った。

「この気配、闇の眷属！？まさか、オリフィア様！」
「儀式など無くとも、儂は覚醒めていたのだ。お前が来たのは、万が一に目覚めなかった時の保険じゃ。」

　フードを脱いだ魔王は、黄金に輝く目をオルタンシアに向けて大胆不敵に笑みを浮かべた。

「もっとも……闇の眷属に属している分際で、儂に叛く者が居るのは予想外であったな。これだから半端者は頼りにならぬ。」

　夢魔と人の間に生まれたオルタンシアを嘲ると、魔王は片手を高く掲げた。

「儂を謀ったお礼に、一ついい事を教えてやろう。儂が覚醒めたついでに、闇の眷属すべての者へ召集をかけておいた。後に、我もとに眷属が集う。お前には其処で、お前の守りたかったものが無残に散っていくのを見届けるのじゃ。」

　オルタンシアの表情がみるみる青褪めるのを愉しそうに見守る魔王は、静かに語りかけた。

「さぁ、どうする？まだ儂に抗うのか？そもそも儂を傷つける事ができるのか？助けたかったオリフィアの身体に。」

　嘘だと見透かされても、オルタンシアは魔王への抵抗を見せるために虚勢を張るしかなかった。

「まだ、私の力が通じないと決まった訳ではないでしょう。命の限り抗わせて貰うわ。オリフィアの魂ごとを滅ぼすことになっても。」

　
　少しでも魔王を弱める事ができれば、封印の糸口が掴めるかもしれない。
　オリフィアの魂も眠っているだけで、魔王に喰われて居ないかもしれない。
　そんな淡い期待に縋りながら、オルタンシアは魔王へと己の知る最大の呪歌を紡いだ。

「むっ、それは……鎮魂歌か。闇の眷属のお前が、何故その呪歌を紡げるじゃ？」

　魔王が眉を顰めると、オルタンシアは口角を少し釣り上げて答えた。

「私が、半端者だからよ。」

　
　ディエス・イレ

　　オルタンシアから紡がれる呪歌の強烈な光が、魔王の身体を包み込んだ―――

　多頭の蛇に腕をかじりつかれるのも意に介さず、
　間を置いて蛇を一頭一頭ちぎり捨てている仮面の者の姿がある。