ヴィントが帰ってこない。
　そのことに気付いたのは、朝飯の準備が出来てそれぞれに食べようとしていた矢先のことだった。



　最初は、逃げたのだろうかと考えた。
　元々は俺という追跡者を巻いて必死に逃げまわっていたアイツのことだ、その可能性はゼロではない。

　しかし、あの時意識を取り戻した俺の側から敢えて逃げずに残ったという辺りからしてそれは無い気がした。俺の調子が不調な間は側にいると、アイツはそう言った。その時の言葉に嘘はないだろう。アイツは嘘をつけないやつだ。どこまでも真っ正直だから、言葉に意志が乗る。誤魔化すことが出来ない。そのアイツがそこまで言っておいて何の言葉も残さず勝手に旅立つのは無い筈だ。
　それに実際、まだ俺の調子は本調子とは言えないのだ、まず在り得ない。


　だとしたら、と他の可能性を思案する。

　例えば、迷子になっている……だとか。
　いや、まずそれはないな。次元竜同士は他の生物よりも同族間の繋がりがとても強い。互いに隠そうとしなければ、互いの距離が程度離れたぐらいではその位置関係を見失うことは無いに等しい。俺は実際、別に隠密行動なんてしようとも思ってない現状、アイツが俺を見失うということは余程に遠方に行かない限りは難しいだろう。

　ならば、狩りに夢中で帰ってくるのを忘れている、とかか？
　これは多少、可能性としてはありそうな気がした。昨日の夜からアイツが俺達と行動を別にしているのは『腹が減った』というそれだけの事だ。アイツは、俺と違ってまだ幼い上に『翼』経由で力を扱う分、消費するエネルギーが非常に多い。普通の食べ物を普通に食べた程度では腹がふくれるわけもないし、エネルギーの補給としても足りなさすぎる。燃費が悪いのだ。
　だから狩りに行くことを許した訳だが、勿論、強敵相手には必ず逃げろとか色々言い含めた上で送り出した。だから多分、強そうなエンブリオだとかそういうヤバイやつには手を出していないだろう。弱めのちょうど良さげな得物を見つけて追いかけている内に俺の探知範囲を外れた、って事なんだろうか。

　しかしちゃんと飯の頃合いには帰るように伝えてあった筈だ。
　こうして共に行動するようになって同じように何度も送り出したが、アイツはちゃんと時間を守って帰ってきていた。それが今回に限っては何の連絡もない。念話すら無いのである。多少不穏な気配を感じて、俺は立ち上がる。不思議そうにコチラを見上げてくるミクネ達には先に飯を食べてもらうことにして、俺は少し場所を変えれば触角に意識を集中させた。



　次元竜の触角は、普通の生き物が持つ以上の情報を伝えてくれる便利なものだ。その情報量は膨大で、正直、一々それに意識を向けていたらあっという間に情報の流れに溺れちまうだろうし、自分というものを見失いかけてしまうことだろう。だから、基本的には無意識の内にブレーキをかけていたりする。つまりは、自分が扱うのに十分なだけの情報を取得できるように受け取る感覚を選択してやってるってことだな。
　ただしその分、どうしても精度が落ちてしまう。例えば、お互いの座標の認識だとかそういうったものにすら誤差が起きる。内容としてはささやかなものだが、それが致命的なミスに繋がることも多い。だからこそ、本気で何かを見つけ出そうとするのならそのリミッターは邪魔なものでしか無い。


　俺は瞳を閉じた。
　視覚情報をシャットダウンすることで、触角からの情報にだけ集中することが出来るからだ。

　何時もならば程度、流れ込む情報流を抑えつける自ら設けた制限をひとつずつ解いていく。それは意識すれば鍵をひねるよりもアッサリと行われ、ひとつふたつと制限が外されて行くたびに流れ込んでくる感覚が倍増していく行為だ。自分を強く持たなければ、この時点であっという間に押し流されてしまう。だから俺は、それらの情報流を上手に捌いて必要なモノだけをピンポイントで拾い上げていった。

　感じ取るのは超広範囲にあるありとあらゆるモノの動きや変化に関する情報流。
　探るのは、その中に沈み込んでいる次元竜の気配。


　次元竜は翼で飛ぶ際に軌跡を残す。それは、同族同士でないとまず感じ取れないものである上に時間と共に薄れていくものだ。しかし、さすがに何年も前の飛行経路を探るならともかく、今朝の今朝から離れている相手を探すというのならばその軌跡は劣化すらしていない分容易である。意識を集中させること暫し。俺は、膨大な周囲の情報流の中から目的のモノを見つけ出した。









　キラキラとした微かな黄金色の輝き。
　星の煌めきにも似て明滅を軽く繰り返すソレこそが求めていた軌跡だ。

　しかし、その流れにおかしいものを感じて俺は眼を開く。

　触角からの感覚はもう普通のモノに戻してある。
　これから直接現場に赴いてみる訳だが、それにしても今感じた感覚はあまりに異常だ。

　次元竜の残す軌跡は個体によって明確な差が現れる。
　例えばヴィントが飛んだ軌跡と、俺が飛んだ軌跡で比べれば、お互いによく似通ってはいるが次元竜的な感覚で見ればそれは全く異なるものになるのだ。俺とヴィントは『翼』の異色の関係もあって似てる訳だが、これがまた違う個体の次元竜ともなればその差は完全にくっきりとわかれる。

　そして俺の感覚は告げていた。
　ヴィントとは違う、別の次元竜の軌跡が見える……と。














　悪寒がした。
　……ゾクリと、背筋を震わせるような嫌な予感が。



　俺は慌ててミクネ達のところへと戻ると、今すぐ出立すると言って一人、飛び立った。
　ちょっと探しものがある……そうとだけ告げて。

　別に嘘ではない。
　しかし、まだ事態に確証が持てない以上はアイツらに余計な心配をかけたくなかった。

　ただ、俺は心当たりだけはあったんだ。
　見えたものを気のせいだと言えないだけの経験も。
　そして、その原因についてだってわかっていたからこそ。


　だからこそ、






































　距離にすれば、先ほどの位置からはそこまで離れていない場所だった。
　飛べば五分もすれば到着できる、そんな場所に、


　金色の鱗が数枚と、グラデーションの入った金の髪が幾らか、散らばっていた。


　その本来の持ち主だろうヴィントの姿はない。
　そして、ヴィントを連れ去ったのだろうもう一頭の次元竜の姿も。

　……いや、











『 返して欲しければ、追ってこい……災厄の担い手　』































　地面に刻みつけるように残された文字を撫でて、俺は歯噛みする。

　湧き上がりそうになる仄暗い感情を押し殺して。
　身を焼きそうになる強い衝動を理性で制して。

ただ黙ってついてゆく。

ポツリと独り言を落とす。
どこかその様子には、余裕が無いように感じられるかもしれない。

ヴァルはクライの後ろに隠れた！

何がこれだ、なのかはさっぱり筋が通っていなかった

少し顔を赤らめながら。

研究と言っても解剖やらはしない、と説明しながら青年は続ける。

幸せそうに、焼きおにぎりやら何やらを頬張る相方を見てきたのだ。
それは事実として受け止める他ない。

無言で銀銃を両の手に。
その表情は、何時に無く厳しい。

ヒュッ、と一振りしてから鞭を収めた。

倒れ伏す敵には見向きもしない。
エンブリオを喰らえば、さっさと場を立ち去るだろう。

周りを見て全てが終わったのを確認してから歩き出す。

立ち止まっている時間は、青年にはないのだ。

見つけた何かを拾い上げる。