タンポポ荘が空を覆っている。
何度見ても馬鹿げた大きさで、これほどの物が浮かんでいる光景は、まるで現実感がない。
頭上にソレがあるというだけで、相当な距離があるにも関わらず、押し潰されそうな程の圧迫感がある。

住人であっても、滅多に足を踏み入れることはないであろうタンポポ荘の真下に、一匹のオオカミのエンブリオが居た。
陽は傾き茜色に染まる中、辺りは光が遮られ薄暗く、草木が萎れていた。

ノーライフキングとの戦いで、ニスイの逃亡を妨害したのは明らかに影のエンブリオだった。
それに、バッドボーイは知っている。この影が、解約したクアールを襲ったであろうことも。
その声に応じるように、影が人型に隆起し、形を得る。

不遜な態度を取る影のエンブリオからは自信が滲み出していた。
たかが狼一匹に自分がどうこうされることはありえない、といった自信が。

牙を剥き、殺気を放つ。

首筋を狙い爪を振るう。
アカメは影の中に沈み、回避した。

黒い触手が影から伸びる。
身を絡めとり、影に引きずり込むつもりか。

触手が届く前に地を蹴り、駆け抜ける。
追いすがる触手は、身にまとう風が吹き飛ばした。

着地点に巨大な口が開く。

口内を引き裂きながら、顎が閉じられる前に飛び出す。

影の表面が、地面が揺らめく。
高密度の影が、壁のようにせり上がり、巨大な黒い津波になり襲いかかる。

稲妻のような速度で降ってきたグッドボーイが、影を真っ二つに引き裂いた。
影の中で朧に光る体が影を祓う。

引き裂かれた影を繋ぎ直し、こたえた様子もなく攻撃してくる。



狼たちは攻撃を回避し、影は再生し続ける。
いつの間にか陽が落ち、闇が辺りを覆い始めていた。

しかし今宵は闇の支配する夜ではない。
空には満月が輝いていた。

月光を浴び、グッドボーイの身体の輝きが増す。
爪を振るうたびに影が引き裂かれる、

満月で昂り、バッドボーイも目を爛々と輝かせる。
動きのキレは増しているが、致命打を与えるには至らない。

幾度引き裂かれてもアカメの身体が復元する。
実体がない身体は、おそらく影がある限り滅びない。

タンポポ荘からニスイが降りてきた。
鍵に取り付けられた綿毛の力で、ゆっくりと地面に着地する。

ニスイが鉄骨を構えた。
その鉄骨には瘴気が纏わりついている。
足元には、濃い影がある。

ニスイの影はアカメが奪ったはずだった。
アカメが居る以上、ニスイには通常の影は発生しないはずだった。
だが、目の前に居る男の足元にはしっかりと影があり、
どういうわけか自分によく似たシェイドをそこに飼っていた。

武器を横薙ぎに振るう。
すべての光を吸い尽くすような黒い瘴気の塊が、墨のように空気を穢す。

本来は自分が支配できるはずの闇属性の攻撃を受けた直後、
アカメの身体から赤いネクターの花弁が散った。

アカメの全身を別の影が覆う。色を溶かし、染め上げ、押し潰し、融け合う。
影の中に引きずり込まれ、その全てを吸収され、アカメの意識は消滅した。

この一揆が終わったら自分のエンブリオがなくなることを口に出しそうになり、社長は慌てて話題を変える。

それは自分にとって最大のウィークポイントの情報、それをうっかり口を滑らせそうになったのは酒の力か、それともニスイへの信用の現れか

そこで社長は咳払いをする

ニスイを見つめる社長の目が、少しだけ細くなった