■ 惑わしの月

沢を下って山を降りてきたマニー親分の一行。
だいぶ下ったところで程好い森を見つけた一行はそこで野営をするらしい。

「この辺りかねェ」とマニー親分は乾分のハチベに声を掛ける。
「川の周りは見通しが好いですからねえ」とハチベも空を見上げる。
どうやらまたぞろ、物の怪の噂でも調べにきたらしい。


例によってハチベが仕入れてきた噂はこうだ。
ある一揆小隊が夜の行軍でこの川の辺りを進んでいたときのこと。
先程まで良く晴れていた空が薄く曇っていて不気味な感じだ。

「野郎ども、足元に気をつけろよ」と隊長格の男が言う。
辺りは暗いが薄雲の向こうから微かに月の明かりが差している。
隊の連中はその月を目印にして西の方に進んでいたのだが。

「あれッ」と連中のひとりが急に素っ頓狂な声を上げた。
「どうした！」と隊長格の男も気を引き締める。
「いや、何だか進んでいる方向が違っていませんか」と最初の男。
「だってほら、月がいつの間にか後ろの方に出ていますよ」
確かにさっきまで目の前に出ていた月が急に後ろになっていた。

おかしいな、と思った連中は改めて月を前に進み始めたが、
どうやら道を誤ったようでどんどんと辺鄙なところへ進んでいく。
これはどうしたことだともう一度空を見上げた。
すると、また前にあるはずの月が消えていて、今度は弓手の方向に出ていたのだ。

その後も月は何度も消えては目茶苦茶な方向に現れた。
すっかり方角を見失った連中は参っちまって朝まで動けなかったということだ。


「ま、たかだが月くれえに騙されてちゃ世話がないですね」とハチベ。
「お前、今回はそんなに怖がらねえな」と親分は返す。
「流石にあっしも月なんかにゃ驚かされませんよ」とハチベは強がる。
だがこのハチベの強気もこの時だけだった。

夜、噂通りに雲がかかり始めた空を親分は睨みつける。
ちょうど満月だったので雲の向こうからでも月はよく見えた。
しばらくは何の異変もなかったが、急にハチベがアッと声を上げた。
親分がその方を見ると、やはり月。
さっきから出ているのとは別にもうひとつの月が出ていたのだ。

が、これはまだ序の口だ。
じっと辛抱して新しい月を見ていると、それはふらふらと動いている。
と、今度はまた違うところから三つ目の月が出てきた。
それもふらふらと動きながら、またひとつ新しい月が出る。

「あれァ月じゃなくて、まるででかい蛍だな」と親分は言った。
「成ァる程、蛍の化け物ってことですね」とハチベも納得する。
だが、その正体を見極めようと目を凝らすと、それは蛍などではなかった。

贋の月は一行に気付いたらしくこちらへとふらふら近寄ってくる。
そこからは蛍とは思えぬ、けらけら、けらけらという甲高い声が聴こえる。
これは奇怪と目を凝らすと、丁度雲が晴れて本物の月明かりが辺りを照らした。
その明かりで見えた光の正体は、なんと薄黄色く光る生首だったのだ。


「成る程ね、飛頭蛮かい」と親分は冷静だ。
どうやら敵はでかい耳で空を飛ぶ生首の妖怪らしい。
空の相手には分が悪いが、ハチベは案の定振るえ上がって役に立たねえ。
「折角だから、早速お前さんの力を借りるとするか」と振り返る親分。
後ろを向いても誰もいないが、川沿いの森の奥から低い声が聴こえてきた。

「拙者に出来ることであれば何なりと」と声は言う。
良く見ると、森の木から一体の蜘蛛のえんぶりおがぶら下がっていた。
新しく親分の手下になったモモスケだ。

モモスケはその八本の手足と強力な糸でいくつもの投げ縄をこしらえる。
こいつにかかれば何処に居ようと関係ねえ。
空飛ぶ生首もあっという間に捕まって親分に退治されるだろうよ。