天井に吊るされたランタンが、闇の中で朧げな光を放つ。
　僕らが一歩足を進める度、地下牢には足音が残響するように行き渡った。

「地下牢に棲まう、不死の悪魔、ね」
　歩みを止めずに、肩を竦める僕。
「あら。私の情報が信じられないのかしら？」
「あ、いえ。そういうことでは」
　彼女――ネロスフィーネ・アバドの情報によると、この先にはどうやらとんでもない化物が出るらしい。
　狩れば大量のネクターとPSが手に入る。我ら吸血鬼一行は、そんなこんなで悪魔退治に陽の刺さぬ地下へとやって来たのだった。

「……長居はしたくないね」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ひそ
　そう呟いた声の主――アルバード・ノエルは、埃っぽい空気を吸うと不愉快そうに眉を顰めた。
「あはは。早く終わらせて、お宝だけ頂いちゃうとしましょ」
　アルバードは今回の戦闘の為呼び出した凄腕の魔銃使いであり、ネロ曰く「今回の戦いの《切り札》に成り得る」とのことだった。

「……ん」
　ぴく、と。僕の懐に潜んでいたリリスが、震えるのを感じる。
　アルバードの下の名前――ノエルという名を聞くと、どうしてもダンテック・ノエルのことを思い出してしまうのだろう。
　勿論この名前の一致が偶然なのだろうが。年頃や背格好、何よりアルバードの内に秘めた魔力は、悪魔狩りをしていたダンテック・ノエルのものと比較しても遜色ない実力であるという。

「――それにしても。この地下牢、人っ子一人捕まってないんですねー？」
　ランタンの薄明かりに照らされる牢屋を見やると、僕は空気を変えるように軽い口調でそう言った。
「これだけ一揆参加者が増えれば。それも当然でしょう？　囚人っていうのは王の敵。一揆のゴタゴタで捕まえてた馬鹿共が解放されて、王朝に刃向かって来たら邪魔なだけですもの。何処か別の場所へ移送したか、或いは全員纏めて処刑でもしたんでしょう」
「……あー、なるほど」
　空気は軽くならなかったが、ネロの解答は中々に面白い話だった。
　国が正常な状態でなければ、犯罪者は償う暇すら与えられない。実に合理的な判断だと言えるだろう。
「実際の所、犯罪者として囚えられていたのは半分がいいとこだったけどね」
　納得していた僕の思考を訂正したのは、腕に絡み付く一匹の蛇――リリスだった。
「半分、って？」
「この地下牢に囚えられていたのは、囚人だけじゃないわ。もう一つ――」
「――実験材料、ですか」
　そう答えたのは、紅い瞳を焔のように揺らめかせるレーネフィア・ディ・ステラだった。
「そう。人造悪魔、サタンやリッチを作る為の苗床であったり、司教ラズロの可愛いゾンビだったり、用途は様々だけどね」

「いやー物騒ですねえ！　すーぱーふぇありぃであるこの私も！　もしかしたら狙われちゃうかも？　なんてー！」
　重苦しい空気に似つかわしくない、茶化すような声色。それを発したのは、アルバードのエンブリオである妖精だった。
　妖精は“ご主人様”の周囲をぱたぱたと飛び回りながら、とぼけた表情を浮かべている。

「はいはい、それはともかくとして。話によると、そろそろ目的の悪魔の前まで到着してもおかしくない頃なのだけど――」
　そう言ったネロの言葉とは裏腹に、無人の地下牢は未だ地平線のように長く長く続いている。勿論人や悪魔の気配はない。
　もしかすると他の侵入者に襲撃を受けたしたことで、悪魔も囚人のように、何処か別の場所へ移されたのだろうか？　だとしたら、とんだ無駄骨ということになってしまうが。

「着いたようですね」
　ぽつ。と。さも当然と言った風に告げたのは、レーネフィアだった。
「え……？」
　僕は思わず辺りを見渡すが、相も変わらずもぬけの殻。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　、、、、
　ランタンに照らされる地下牢にそれらしきものは、影も形も見当たらない。
「！　……成る程、そういうことね」
　合点がいった、とばかりに手を叩くネロ。アルバードはハナから興味がないらしく、物憂げな様子で佇んでいる。
「どういうことですか？　すみません。僕にはさっぱり……」


　先日エヴォルが僕に残した、そんな言葉を思い出してしまう。
「まあ。見てなさいな」
　ネロはそう言うと、じゃらりと音を立て武器を取り出す。
「……え？」
「いけぇ――ッ！」
　銀鞭《血染めの月》が、ネロの振りかざす動きに自動で反応。回路の力により加速した鞭は――

　――がしゃん！

　けたたましい金属音を響かせながら、牢屋の鉄格子に向け叩き付けられた。
　神速にして激烈。あまりにも絶大なその威力を受けた鉄格子――ではなく。“何か”が、硝子のような音を立て割れた。
　、 、、 、、、、
　影一つ無かった鉄格子の隙間で、光と影が交差する。
「……あ！　なるほど……！」
　影が存在しないということは、即ち光を遮断する何かが存在するということ。
　光を遮断する必要があるということは、そこに何かが存在するということ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 むくろ
　牢屋の中に存在したのは――、一人の、 躯 だった。
　躯の肉は既に腐敗しているらしく、一部が削げ落ちて骨が見えている。

「……嫌な匂いです。負の気配ですわ」
　レーネフィアのそんな言葉を皮切りにして、地下牢全体を包んでいた、薄ぼんやりとしたランタンの火が一つ、また一つと消えていく。
「あわわわわ、何だかやばそうな気配がしますよ！？」
　そう叫ぶ妖精を自身の背に隠し、無言でホルスターの銃に手をかけるアルバード。

　弱々しくも確かに存在していたランタンの光が、ついに全て消えてしまう。
　完全なる闇が地下牢を支配し、一寸先すら視認することが出来ない。





　突如鳴った、水気を帯びた耳障りな音。
　思わず強張る表情。僕はその音に、聞き覚えがあった。
「肉が腐って、落ちる音……」
　化物を喰い殺し魔力を吸い取った後は、決まってこの音を立てて崩れ落ちていった。
　今僕らの目の前では、肉が床にドロドロとこぼれ落ちているのだ。


　暗澹とした漆黒の中から、背筋をなぞり上げるような声が響き出す。

「……何なんだ、あれ」
　何も見えぬ闇の中のはずなのに。
　闇よりも一層深い影が、はっきりと僕らの前に姿を表した。

　影はどうやら先ほどの躯から肉が削げ落ちた姿らしい。しかし全身が骨になっただけでは飽きたらず、メキメキと音を立てながら白く硬い骨を変化させ、風船のように膨張していく。

「ぐ、ガアァあアッぁアァァ……ッ！」
　何故こんなに近くに居たのに気が付かなかったのだろう。
　躯の傍では数え切れない程の霊魂が、皆一様に絶叫しながら飛び回っている。その様子は宛ら、躯を称える為声を合わせているかのようであった。

　指先が震える。足が竦む。息を飲む。頬を汗が伝う。ガチガチと歯を鳴らす音が異常に大きく感じられる。
　冷えきった空気。絶叫する死者達。
　あんな化物と戦えというのか。まるでお伽話の怪物みたいな、途方もなく途轍もない化物と。
　無理だ。今すぐ逃げ――

「――さっさと彼奴等、何とかするわよ！」

　僕を正気へ帰したのは、ネロの叩き付けるような怒号。
　そうだ。あれだけの化物なら、接触する内僕の記憶を取り戻す為の何かが得られるかもしれない。
　震える掌を血が出る程に強く握り込む。

　大丈夫、僕はどうしようもない弱者だけれど、一人じゃない。


　――激戦が、始まった。

小さく頷いたあと、尖らせた指先を自らの真紅の目に向けて趙著無く突き刺す。

ぐちゃり、と何か潰れる音と同時に鮮血が飛び散る。

しかし、その血はすぐに赤黒く固まり、指が離れた後、そこには真紅の瞳が何事もなかったかのうように在る。

何事もなかったかのように、無表情のまま会話を続ける。

プリマ は以下を装備！
【自由】 ゆっくりえねりwith異国の紋様（ 装飾 / 87 / 活力1 / 治癒1 / - ）