「ジャバウォックがあのままの姿でそこら辺で遊んでたら、
　それはそれで、ちょっと見てみたくもあるけどなァ。水浴びでもすんのかね」

茶化すような物言いで喉を鳴らしはするけれど、
彼女のその憤りも気遣いも、照れて礼を述べられぬだけで確り解っていた。
思案げなその様子を何となしに見つめながら、メガネを指の背で押し上げる。

古傷はたまに痛むけれど、それも時間が経てば落ち着いて忘れ去ってしまう。
自分が生きてきた軌跡も大切で重要なものだけど、今が良ければそれでいい。
そうして置いて来たものを顧みる為に、足を向けて改めて拾い上げる為に、
或いはこの地にやって来たのかも知れない、と。

偶然が必然であるよう。
彼女との出会いもまた。

「―――……、」

そんな事を脳裏に思い浮かべた所で、首をゆるりと横に振る。
妙な事を口走らない様に口元を押さえつつ、男は彼女の、力強く光る双眸を見やった。

「…火ィ起こしてじゃがいもな。オッケー。
　慣れねェことに頭使うとエネルギー使うからさァ…飯食って、また少し考えようぜ。
　……それと、」

「……いんや、何でもねーや」

言い掛けた事を飲みこんで、普段通りに意地悪く映る口端を持ち上げる。
あとはただ黙々と、軽口と冗談交じりの他愛ない話を交えながらに手伝いを。
彼女が作ろうとするものを、料理の名前を聞く前に気付くようになったのも、
それだけ隣でその姿を見続けてきたからに違いない。


味付けは基本をベースに少しだけアレンジを。
起こした火の番をして、そのポテトが良い色になるまでを、ただ見守る。

「ん、…流石はヤドランカ。ちょう美味そうだわ」

飲み物の用意をしながら、ほっと一息。
温かな湯気を立てるパイを見れば、男の双眸が嬉しげに細まった。


今日の話はまた明日。今宵はひとまず、おいしいものをおいしく食べよう。
此処で得たものが、揺るぎのないしあわせである事を確かめるように。



「―――いただきます、」

彼女がゆっくりと近寄って来るその姿と、漂う甘い香りにホッとする。
進めていた脚を止めてその場に佇み、己の前に立つ小さな姿を見下ろす。
手が伸ばされれば、ぱちりと瞬いて背を丸めるよう身を屈めて。

頬に触れる指先に双眸が細くなる。
何処か嬉しげに浮かぶ笑みに、やれやれと小さく喉を鳴らし。

そこまで言ってからそっと言葉を切り。
しょんぼりしてしまった彼女の、その頭をぽんと優しく撫でてやる。
何やら料理途中だったらしき、慌てた様子を何となしに見やって。

焦げてしまったような香りを漂わせるケーキと、
野営するならばと準備に取り掛かろうとする彼女の姿と。
レンズ越しに真っ直ぐ見つめてから、ゆっくり手を伸ばし。

動き回ろうとするその腕を掴んで、止め。
申し訳ないような悔しいような――なんとも言えぬ表情を浮かべる。

種族柄かも知れないけれど、そう言えば彼女は、靴なんて履いてなかった。

鞄から飛び出してきたエンブリオが、くるくると回る。
回る。
回る。
２人の周りをひと回りするたび、翠の風のように透き通ったその姿が、少しずつ伸びてくる。
まるで影のように、長く、長く。
風が吹き上がる。
髪を揺らす。
ケープが巻き上がる。
たまご色の羽毛があたりに散った。
２人に並ぶように、いつの間にか並ぶ影があった。