――社長がメルンテーゼに来る前の話をしよう。


ニート生活が祟って家を追い出された社長。
そんな彼にも、ほんの僅かにだが"真面目"に働いていた時期があった。


"真面目"と言うと意外かもしれないが、彼はその職業に憧れを抱いていたのだ。
それは「クリエーター」と呼ばれる職業であり、目指した理由はシンプルだった。





社長の日記29日目





学校という仕組みに慣れず、どこか不一致感を覚えながら自分は学生時代を過ごしていた。
尊敬のできない教師、する意味の分からない勉強、そして同じであることを強要される環境……
特に、最後のが耐えられなかった。


幸いにも、勉強も運動も中の上ぐらいはこなせたため、"馴染んでいる真似"をすることはできた。
決して楽しい学校生活ではなかったが、このまま"馴染んで"いれば、普通の生活をおくることはできたのだろう。

だが、「この不一致感を覚え続けるだけの人生に、なんの楽しみはあるのだろうか？」
という疑問が、常に頭を支配していた。


そんなある日、俺は、一本の作品と出会う。
衝撃的とも言える出会いだった。


その作品は挑戦的と評するに相応しいものだった。
テーマも反社会的であり、決して大衆に受け入れられるものではない。

しかし、そうであるが故に、制作側の確かな熱意が込められていた。
それは"毒"とも言えるほど強烈な物で、全てに納得できるだけの説得力もまたあったのだ。


その作品に俺は魅了された。
多くの価値観と世界を与えられた。
「自分の目指すべき世界はここだ！」と教えられた。

狭い世界の中でしか生きていないことを知った。
このような作品を自分も作りたいと思った。
そして、将来必ず誕生するであろう……自分と似たような者達を救ってやりたいと考えた。


そのことを教師や友達にも相談したところ、
まぁ、予想通りにして、鼻で笑われた。が、それは元より承知していたこと。
自分を受け入れない世界の連中に、何を言われても気にはならなかった。

親も反対気味ではあったが、「そんなに言うならまぁやってみろ」というスタンスで了承を得ることができた。


高校卒業した後、俺は専門学校へと進み、ようやくその世界に入ることができた。
――だが、望んでいた世界はそこになかった。


時代は流れるものだ。
昔は挑戦的な物を作ることを許されたが、今は利益が何よりも優先される。
そうでなければやっていけないほど、この業界は追い込まれていたのだ。


そのことには薄々感づいていたし、最初からやりたい事ができると思うほど俺は世間知らずではない。
だから努力を続けた。実力が認められ、自分に決定権が回ってくれば可能になるのだから。


――そのチャンスは、思ったよりも早く訪れた。
出資者側の都合で長らく止まっていた企画が、締め切り間近になっていよいよ動き出したのだ。
手の開いていた者は、新人である自分だけ。
上司はこの仕事を俺に割り振った。


ダメで元々というやつだったのだろう。
元々落ち度は出資者側にあるものだ。ならば、これを機に新人の力を見てみるのもいい。
無理そうならば専門のプロジェクトチームを作るまで。
大方、そんな理由だと思う。


それでも嬉しかった。持てる全ての力を尽くして企画を進めた。
出資側の要望を満たしつつも、要所に自分の感性を仕込む。

その2つを両立させることは難しかった。
頭をギリギリまで絞り上げ、それでも時間が足らず、何日も徹夜をして作業を進めた。
苦はなかった。疲労よりも充実感が自分を満たしていた。


ようやく完成した企画書は、荒い部分こそあるものの、今までにない要素が込められた挑戦的な物になった。
手前味噌かもしれないが、自分の求めた"毒"がそこにはあったと思う。


それは上司に認められ、出資側にも高評価であり、開発のGOサインが出た。
とにかく時間がないプロジェクトであったため、企画の練り込みと開発は同時に行われた。


企画のチェックを何度も上司に頼み、粗い部分のクオリティを上げていく。
決定した部分はどんどんデータとして作られていく。

既に作られた部分は変えられないため、設定に矛盾を出さないようにするのは苦労した。
何日も徹夜が続き、家に帰ったら寝るだけの生活が6ヶ月続いた。

体は悲鳴をあげていたが、それ以上のやりがいが自分を動かした。


……しかし、その企画に突然のストップが掛かる。
クソジジイの感性では、周りと違うものを作る理由が理解ができなかったのだろう。
出資側のトップが、既に走りだしているプロジェクトにNOを突きつけてきのだ。

「なぜこんな物を作るのか？ もっと分かりやすくて派手な物にしろ」と。


反論をしようとも思ったが、言葉というのは誰が言うか全てだ。
上司が何も言わない以上、自分が何も言ったところで意味が無い。

そもそもを言えば、出資側が一度OKを出しているのだ。
トップの文句を封じるのは、出資側の仕事である。
……つまり、この打ち合わせの場が設けられた時点で、もうどうしようもなかった。


「……ああ。またか」と思った。
周りと同じであることが強要されるのが嫌で、自分に世界を与えてくれた場所を目指したが、
そこでも、周りと同じであることが強要された。
笑えるぐらいの皮肉だ。



こうして、作品から"毒"が取り除かれることが決まった。


連日の無理がたたり、体はとっくにガタが来ている。
咳が止まらなかった。血の便が出ることも多かった。

当然ながら残業代は出ていない。
給料を時給換算にすれば、田舎のコンビニのバイトよりも安い。


……それでも良かった。好きでやっていたことなのだから。
金欲しさでこの業界に入ったのではない。

だから、それを取り除かれ今、自分は立ち上がる事ができなかった。


――その時、電話が鳴った。相手は両親。「元気でやっているか」というもの。
こぼれ落ちるように……自分の現状を全て伝えた。


「そこまで努力したことは認める。だから戻って来い。後のことはなんとかする。生きてくれれば良い。だから死ぬな」
という返事が、受話器から聞こえた。


……その言葉に、自分は従った。
辞表も出すこと無く、夜逃げ同然のようにして実家に戻った。


――チャンスから逃げた者に、チャンスの神様は微笑まない。
それを示すように、その後の人生は失敗続きだった。


自分の理想とする作品を作るために、一人で金を得ようと色々と試したが、どれも実らなかった。
それそうだ。元々一人でやるのが無理だから、会社の力を頼ったのだ。

ゆるやかな失敗は初志を奪い、やがて信念は怠惰へと変わっていく。
……両親は、何も言わなかった。


そんな生活を続けていたある日、旧友に同窓会に誘われた。
どうせ時間は有り余っている。

俺は得るもののない同窓会に参加し、自分の境遇をネタにして話した。

そこで「働かないでお金欲しいお……あっ、社長になるお！」といったところ、笑いが起きた。
それが原因で、「社長」と呼ばれるようになる。自分は、そこに"馴染んで"いた。

半分冗談の気持ちだったが、いつのまにか、半分以上本音だったように思える。
俺はもう……人前で夢を吠え続ける事はできなかった。


……どこで俺は間違えたのだろう。

あの業界から逃げ出したことだろうか？
血の涙と便を出しながら、残り続けるべきだったのだろうか？
……無理だ……俺はすでに限界だった……。

……その程度の信念もないくせに、大層な夢を抱いたのが間違いだったのだろうか？
結局、俺は世間を知らなかった甘ったれ野郎に過ぎなかったのだろうか？


血反吐をはいた6ヶ月を「周りと違う」という理由だけでひっくり返したクソジジイ。
あいつと俺の違いはなんだ？
決まっている。金の有無だ。

金がそんなに大事なのか？
じゃあ金を稼ぐ才能を持ってる奴の言葉が、この世の全てなのか？
金を稼ぐってのは、要は多数派に気に入られるってことだろ？

この世は多数派が全てなのか？
そこに馴染めず、突き抜けた才能もない少数派の中の大多数はどうすればいい？
楽しくもない人生を過ごすしかないのか？

誰がこんな社会を作った？ 誰が俺にこんな半端な才能を与え、誰がクソジジイに金を稼ぐ才能を与えた？
……神様ってやつのなのか？




そんなズブズブのニート生活をエンジョイし続け、早数年。
気がつけば、就職できるギリギリの年齢になっていた。

ついに両親から最終勧告を言い渡される。
「家から出ていくか、どこかに就職するか」
……わしは、前者を選択した。


あてもなくぷらぷらさまよった。日が暮れたら野宿で過ごして、飢えは少ない財布の中身で凌いだ。
着ていた服は薄汚れ、財布の中身が底をつきかけた頃、ふと周りを見たら、自分の住んでいた世界と大きく違うことに気づいた。……メルンテーゼに迷いこんでいたのだ。


と、同時に妙な感覚も覚えた。
たった今メルンテーゼに迷い込んだような記憶もあるし、何日も前からこの世界にいた記憶もある。
元の世界の記憶と、こちらの世界の記憶が２つがある状態だ。それは時系列的に考えれば明らかおかしい事である。


……しかし、そんなことはどうでも良かった。
そんなことを気にするだけの余裕が、自分にはなかったのだから。

これが、わしがメルンテーゼに来るまでの流れである。


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それから数日後、社長はメルンテーゼで人生の挫折から立ち上がる。
いつまた元の自分に戻るかわからないという、過剰に失敗におびえている部分こそ残ってはいるが。


成功はひとまず心に余裕を取り戻す。余裕があると人は色々なことを考え出す。
タンポポ荘から離れ、一人の時間が増えたことでその傾向はさらに強くなった。


以前から疑問に思っていた「なぜ自分には2つの記憶があるのか？」という疑問。
この答えに、社長自身は気付き始めていた。

それは、5つの違和感が示していたのだ。


1つは、元の世界の記憶と、メルンテーゼの記憶に、どこか連続性が欠けるような感覚。


――異世界に来たのだから、それに生じるものだと思っていた。



1つは、ニスイという男性が言っていた「何年も前に、別の世界で社長とよく似た人物と出会ったことがある。ってか同一人物だろ？」という言葉。


――他人の空似だと思っていた。自分にはそんな記憶はないのだから。


1つは、フェイという女性が言っていた「エンブリオは決まった行動意外はできん」という言葉。


――エンブリオには謎が多い。例外もたくさん居るのだろうと思っていた。



1つは、、鏡に映った、記憶の中の自分より遥かに老いた自分の姿。


――疲れが顔に出ただけだと思っていた。


そして最後の1つは、契約した記憶があるだけで、実際に契約したわけではない最初のエンブリオのフェアリーくん。


――わしに記憶が2つあるのは、彼がこちらの世界で生活しやすくための配慮だと思っていた



１つ１つで見れば、それは誤解や偶然、もしくは勘違いで済ませられた。
しかし、それらが重なると……偶然は必然になる。


――既に、答は示されていたのだ。


それは度重なる偶然が産んだ奇跡と言ってもいい。
メルンテーゼに来てからの社長が得た経験、なにか1つでも欠けたいたら、彼は事実に気付かなかっただろう。


ならば、早めに動いた方がいい。
体内に爆弾を仕込まれているようなものだから。
……しかし、動いた瞬間に……爆弾を爆発させられる可能性もある。


……どうせ、死んでもいいと思っていた人生だ。
今なら、消えたとしても迷惑が掛かる人間は居ない。
見られて困るものも、全て処分してある。


命を掛けることと、投げ出すことは似ているが別。
社長が今行ったのは前者。生きるために、死ぬ覚悟を決めた。


――チャンスから逃げた先に幸福はない事を、彼は嫌と言うほど知っているのだから。

その声色に少々の軽蔑の色と、落胆を隠さずにチハヤは言う。

彼女は一度言葉を切り、大きくため息をついて。
再び口を開く。

ニヤリ、と笑って。