小さな屋敷にはヴァルキリーが住んでいて、力を認めた相手と契約してくれる。
　一揆が始まってから随分と経った頃に、参加者の間でひっそりと囁かれるようになった噂だった。
　その噂を聞いてから、トムは、一心不乱に山の上を目指してる。


◇　◆　◇

　アルとあっぷらがたまたま山に詳しくて、一緒に随分な奥地まで歩いて行って、てっぺん近くで小さな屋敷を見つけて、それからトムは変わった。
　元々、トムはあんまり、移動先とかエンブリオとかに関して自分から何か主張することが少なかった。偵察役が多かった僕と違って移動先はだいたい、みんなの都合に合わせて動いてくれたし、バラバラ行動の時でも、同じエリア内で動いたりっていう感じでみんなと足並みを合わせてた。
　エンブリオも、ユニコーンが英雄オリフェンドールゆかりの生き物だってこと以外は特にこだわりもなかったらしい。
　たまに一人で動いてるなって思ったら、賞金首の人とやり合ってたって聞かされてビックリしたくらいだ。

　そのトムが、小さな屋敷を見つけた。
　山の上の小さな屋敷には、ヴァルキリーが住んでる。

　僕たちはその、小さな屋敷の中を歩いている。

　英雄が居るから、魔王が現れても、みんなパニックにならなくて済む。
　英雄の逸話があるから、悪いことをしちゃいけないって学べる。
　英雄を身近に感じるから、偉業を成せるかもしれないと希望が持てる。

　僕は一度も、そういうものに憧れたことがなかったから、トムの思考はちょっと不思議だ。
　小さいころ、僕は今すぐ誰かがこの西方領中を不幸にしてくれたいいのにな、とか、ある日突然、誰かが僕のことを迎えに来て救い出してくれたらいいのにな、としか考えたことがなかった。

　そうだ、一揆には『魔王』がいるんだ。
　人々からネクターを奪って、エンブリオと契約ができないようにして、軍と権力を振りかざす傍迷惑な災害が王城の中にはいる。

　どうだろう。当時はかなり有名な賞金首で、賞金首狩りも撃退した前科があるって噂だったけど。

　そのためにジーサマみたいに犠牲になれって言われたら、僕は迷いなく荷物も持たずに逃げ出すに決まってる。

　別に、卑怯者とか臆病者とか罵られても構わないと思ってたのに、いざトムに面と向かって言われたら、思わず絶句してしまった。
　そうだよ。卑怯者でも臆病者でも構わないと思ってるよ。思ってたよ。

　トムが笑った。

　トムがふっと、廊下の先の一番、奥にある扉を指差した。

　そういう噂。一揆衆の間でまことしやかに囁かれてる噂。
　本当にあった小さな屋敷は、まるで誰かから隠れるように山奥にひっそり佇んでた。

　何度かトムは、村の話をしてくれた。
　だから、ちょっとだけ分かったことがある。
　トムは僕と同じだ。
　自分のいる場所が、村が好きだった訳じゃない。ただ、そこしかないから、他に行く場所がないから仕方なく、ずっとそこにいたのだ。
　他の場所に行く方法が、他の場所で生活を築く力がなかっただけだ。

　癒しの力。トムが一番最初に契約したエンジェル。トムと声を交わさない。
　少し前から、とうとう、トムはエンジェルがどこにいるのかすら分からなくなってしまったようだった。

　ならどうして、お前たちは言葉を交わさないんだ？
　どうして、エンジェルはお前に分かる言葉で喋ってくれないんだ。どうしてお前の前に姿を現してくれないんだ。

　争いが起こったら、みんな不幸になる。
　争いの渦中にいる『勇者』だって不幸になる。
　僕は『勇者』が争いの中にいて、幸せだろうと思ったことは一度もない。
　僕のジーサマは途方もなく不幸な、誰も救ってくれる人がいない不幸な人だったのだ。

　ビックリするくらい、トムの声は穏やかだった。

　誰にも知られず、影響を与えられず、ただ鍬を握って畑をたがやしながら老いるのを待つだけ。

　こんなに優しく声をかけられたのは、トムと会ってからたぶん、初めてのことだったと思う。

　だから勝ってみせるよ、君もボクも負けたりしない。
　そういってトムが奥の扉に顔を向ける。

　笑ったトムは、僕の知らない誰かの顔をしていた。


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※メッセ相手のENo.986・花冠さん＆PTMのENo.92・アルくん＆あっぷらちゃんの名前と、ENo.1741・トムをお借りしました。
（余談ですが、トムが一部の例外を除いて基本的に自分で移動を望んだことがないというのはシステム的に本当です）

ノエルが、自身の腕を見てため息をつくを見て視線を追う。
そして自分の腕を見られ……ニヤリという顔をされると、負けじと。

右手で拳を作り上を向かせると、ぷくっ、と不自然な力こぶを浮かべる。
……後ろから左指で上腕の肉を押しているようだ。

ラノカネ君の質問に俺は自分の旅日記を引っ張り出す。
こういうときに記録を残しておいて良かったと思う。

旅の内容なんて忘れてしまうことが多いからな。



そして、自分の日記を読み返してみると…

旅の日記というか、タックルしたことしか書いてなかった。
書いたやつの顔がみたい。


仕方ないので、ラノカネ君にはラズロやラケルトをタックルでぶっ飛ばした話をしておいた。

そんな話の途中にラノカネ君がチーズを差し出してくれた。
ありがたい。

俺は袋に保存していた干し肉を取り出しチーズに巻いて口に放り込んだ。