◆ Intermission　→side:A



森の洋館の一室にて、天蓋付きのベッドに、黒い髪の少女が寝ています。
どうやら彼女は眠っているわけではないようですが、起き上がることも難しい様子です。
肺から絞り出すような、か細い息を漏らしながら、時折力無く咳込みます。
そんな彼女の苦しそうな様子を見ている者は、誰も居ません。
いつも部屋で彼女に付きっ切りで世話を焼いていたあのメイドも、今日は居ません。

「みんな、どこにいるんだろうね……、ミオクローヌス。」

ミオクローヌスと呼ばれた白いうさぎのぬいぐるみは、何も応えません。

「こんな時でも、お父さまは一緒には居てくれないのね……、少し、寂しいな……。」

白いうさぎのぬいぐるみは、何も応えません。
少女が一際大きく咳込むと、シャツの袖や、白いうさぎの手足や耳が、微かに血で汚れます。

「苦しい、な……。お薬、飲まな、きゃ………。」



　+ + +



「……気が付いたかい？」

少女が再び目を覚ました時、そこにいたのは、彼女がお父さまと呼び慕っていた男と、彼に追従する数人の白衣の従者。
血で汚れたシャツやシーツはいつの間にか取り換えられて、すっかり綺麗な状態です。
白いうさぎのぬいぐるみだけは代えが利かなかったのか、部屋から居なくなっています。
やつれきって生気のない表情の少女の顔が、ほんの少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべます。
そして、僅かに動かした唇から発せられた言葉を聞こうと、耳を寄せます。

「お父、さま……、おひさしぶり、です……。」

「……ここ数日は、部屋には来ていなかったね。すまなかった。」

ベッドの傍に跪き、少女の頬を愛おしそうに撫でる男に、白衣の従者の一人が耳打ちをします。
男は煩わしそうに振り向きますが、重要な内容だったのか、やがて重い腰を上げます。
すぐに戻ると言い残し、白衣の従者を引き連れて部屋を出ていった男の背中に少女が何かを囁きますが、
彼女の囁きは扉の閉まる音にかき消され、誰にも聞こえることはありませんでした。


「―――あの薬は、ただの鎮静剤です、現状では気休めにもならないかと。」

「―――少しでも苦痛を軽減できればよいのですが、それも厳しい状況で。」

「―――やはり、残された時間は貴方が一緒に居てあげた方が。」

「……あの薬を使う、もうそれしかない。」

「しかし、あの薬はまだ人間に対しては、実験ですら使用例がありません。」

「動物実験ではどんな結果になったか、貴方だって知っているでしょう？」

「貴方は自分の娘を使って実験でもなさるつもりか！」

「ではどうしろというのかね！？」

怒り、絶望、焦燥、諦観。
男の顔には、そんな感情が満ち満ちているようでした。
そんな中で最も強い感情、それは、病気の娘を思う、父性とでもいうべき感情だったのでしょうか。
……たとえそれが、どんなに歪んだ感情であれも。



　+ + +


森の洋館の玄関の扉の前に、白い眼帯の女が佇んでいました。
押さえた脇腹からは、じわりと鮮血が溢れ、長いスカートの裾から滴る赤い雫が、小さな血溜りを作っています。

「申し訳ありません、ご主人様……。」

きっと、ここまで痕跡を残さぬよう、傷を抑えながら歩いてきたのでしょう。
膝を突きそうになりながらも、血に染まった手を、扉に掛けながら。

「私は、まだ……。」

すこしだけ口淀んでから、すぅと息を吸って、話を続けます。

ちょっと目を閉じて、少し昔を思い出すように。

そう呼ばれたのがとても嬉しかったので、アムルははっきりとそのことを覚えています。
少なくともその時に、アムルはミオさんから信じるに足るものを受け取ったのです。

ほんのすこしですが、自分にも思い当たる経験があります。
蜘蛛の衝動や、人間の衝動が、うまく制御できなくなった時の自分。

そういう記憶と重ねあわせながら、言葉を続けます。

傍にいてほしくないという言葉が、自分を見られたくないという理由なら、おとなしく離れるつもりです。
でも、もしそうじゃないなら、ちゃんと夜のミオさんを見ようとアムルは考えました。

蜘蛛たちの意識のネットワークのようなものに手伝ってもらえるのです。
もしかしたら、記憶にある屋敷の正体を見つけられるかもしれない、そうアムルは思いました。

◆

だから、食事の前にお祈りはしますし、と。
両手を胸の前において、かんたんなお祈りの仕草を見せます。

そうして、話の続きを。

少しだけ、自分の言葉に何かを思い出すように唇をぎゅっと結んで。
自分の手のひらを見てから、深呼吸を一つ。

かける言葉も見つからず、自分のことのようにうなだれて。

◆

名案、とばかりにぽんと手を叩いて。

ちょっとヘンに先走りそうになった自分を恥じて、ちょっと挙動不審になりつつ。

きょろきょろと周囲を見回して、部屋のベッドに移動します。
ふかふかの毛布をめくって、シーツの上にちょこんと座り。

などと、自分の膝の上をぽふぽふ叩きながら言います。
これがお話を聞かせるスタイルらしいです。

気に入りの『王女と盗賊』の本をかまえつつ、物語を話して聞かせようとしているのでした。

手首だけになり少し血のふきだす断面を見ながら

特に痛そうなそぶりは見せません。霊力を込めているのか血の出も段々少なくなってきています

アノは何かを感じているようです。

触手とか。

唐突の勧誘

闇に溶けたはずの蝙蝠が次々と射抜かれ落ちてゆく。

本性をあらわにした蝙蝠が叫ぶ。
射抜かれた蝙蝠の体は、空気が抜けた風船のように萎んでいった。

萎んだ蝙蝠から吹き出た真っ黒な霧状のガスが一帯を覆う。
濃厚な魔力を纏ったそれは、甘い匂いと体液の匂いが混ざった、媚薬のような香りだった。