“《炎》が自身にとっていかほどに重要なのかは、物心ついても未だ理解していない程であった。肉親に多大なる傷を負わす結果を生むまでは。
　私にとってそれは、ほんの遠くへ冒険した帰り道を照らす光であり、また平らげんと何ら罪のない鶏を生きたまま焼き殺せる便利な代物。結局夜道を照らしても道は判らず散々迷ったし、鶏は臓物ごと炭になるほど焼き払ったので食うに食えなくなるという顛末になったが。散々母には叱責され、弟には誹られる。姉は慰めてくれたし、そんな些細な諍いに父は無関心であった。
　多分に漏れず、子供の悪戯や失態に頭を悩ませるのはどこの家庭でもあることだろう。けれど、《呪い》に依って得た《魔術》の力はそれを容易に惨事に導く。祖父にはその点を棘のない言い方で示唆されたが――いかな祖父の言とはいえ、婉曲な言い回しには私も理解していなかったように思う。人並み以下に他者の心の機敏や暗示には疎かったのだ。
　姉弟は力に対する制御力も心構えも十分にあった。そのどちらも才があると母は囃し立て、たびたび事故を起こす私を詰る。なぜ怒るのか、ただ力を使う事の何が悪いのか。具体的に示されなかったこともあって私はそれでも《魔術》を行使し続けた。
　さてそれ故に、あちこちに力で悶着を起こす私に弟は『お前は父に似て馬鹿だ』と憚りなく告げるのもやむない話である。幼少の頃から利発で辛辣な弟の容赦無い一言に、珍しくも劣等感からか逆上したらしい私は。その顔面の半分を掴んで焼き払ったという。その記憶は今となっては遥か蜃気楼のように朧気だ。ただ『やってしまった』という確かな罪悪感を燻らせて。
　
　以後、無暗に振るうことはなくなったが、今でも《炎》を振りかざす時に高揚する胸中を過る罪悪感は拭えない。無知であった頃の自分――いや、今でもだろうか――を無意識の内に省み、自己卑下が言葉の端々に表れてしまい、幾度か指摘される度に無様に思う。それでもこの《炎》で私が脅威を退け、守れるのなら。なべて焼きつくしてみせる――と、時折愁情に耽る友人、或いは主の横顔を想起しては惟んみる。
　なぜこうもしてまで先々代より態々《呪い》を被ってきたのか。西の者にかぎらず、穢れた者は同郷の者にすら疎まれる。一族の再建のためであるとか、戦禍より身を守る術だと教わったが。他に真意があるような気がしてならない。今は考えても仕方ないことだが、我々より先の代にはこの悪習慣を継承させる必要はないだろう。奪った命の代償は、相応に重い。”

　ナスルに合わせてクスリと笑った。
　その後ろでコノエがなんとも言えない苦笑を浮かべている。

　アラトがコノエに目配せをすると小さな巾着が出てきた。
　その中身、銀紙で包まれた拳よりも小さな丸いものを一つ取り出しアラトが自らナスルへ差し出す。

　政治と宗教は根が深いわ、と軽くため息をつく。

　ナスルの僅かな変化を赤と緑の瞳は見逃さなかった。
　しかし、それを詮索するのは無粋だと心得てもいた。
　ただコノエの髪が、風に逆らって蠢いたように見えたかもしれない。
　気にすればするほど気になるような、気にしなければ気づかないような。

　ナスルに一拍遅れてコノエが敷布を取り出しアラトを座らせた。
　アラトは座り込んだナスルを楽しげに見守っている。
　コノエは立ったまま結果を見守るようだ。

冗談だと笑う様子に半眼を送る青年。
その顔も眼も、紛らわしいことするなよ洒落にならんだろ……と、口ほどにモノを言う。

リアクションで喜ばれて嬉しいと思える様な精神はしてないぞ、と訴えつつ。
立ち去る背にはやれやれ、と。

ふと思い浮かべた仲間の顔に、なかなかに失礼な想像をするのであった。

─…何を話そうか・・・。
そんなことを思いながら口を開こうとすると、先手をナスルに取られた。
彼にしては珍しく表情がゆるゆるだ。
一体何が彼の相好を崩すのだろうと勘ぐりながら話を聞いていると、
・・・どうやら旅の道連れが出来たらしい。

この世界へ来てすぐに複数人で戦陣を組んでいたネイベールにとっては、
それは然程の事…少なくとも心からの笑みを浮かべることではなかった。

──だが、彼の場合　どうだろうか？

ナスルが示したメルンストゥーラを眺める。何を示し導いているのかは、わからない。
流れる様なナスルの説明を聞きながら、無表情にストゥーラを眺める。

占術というものに対して、元より信じるクチではなかった。
自らの道は自らが選び、定めてゆくものだと、思っていた。

─だが。

─石に、否ナスルに見透かされている様な気がする。

礼を告げると、ナスルの頭をあやすように ぽんぽん と撫でた。

ナスルからの言葉を受けて少女は少し考えた末に、
隣に黙して立っていた黒衣の羊へと顔を向ける。

なにが、とは問わず疑問だけを投げかける少女の言葉を、
執事はうなずきを返して見せる。

ですが、と彼は言葉を付け加える

語尾を強調して執事はナスルへと言葉を言い放つ。
容赦のない言葉と視線、そこには無駄遣いを許さない意思が見て取れる。

リラたちがこれまで金銭においてやりくりができていたのは、
ひとえに執事であるアルブスが懐事情を厳しく管理していたからだ。
世俗に疎いリラはともかく、金銭どころか明日も気にしてない傭兵、
もうひとりは何を考えてるかも不明な女性では彼の態度も厳しくなって当然であった。

慌てて少女は、ナスルへと謝罪の言葉を口にするものの、
執事は容赦のない視線をナスルへと突きつけたまま。
だが、ふっとその視線が緩む。

わざとらしく咳をして言葉を切る執事。
歯に衣着せぬ言葉使いの執事にどうしようかと戸惑う少女であったが、
苦笑いを浮かべながら口を開く。

とっさに話題を変えるように言葉を取り繕う少女。
ひとまずナスルの服を買うことは許可されたようだった。

　ぶるりと肩を震わせつつ、拳を握りしめ臨戦態勢を取るナスルであった。