15になった夜。
　少年は家を出ようと思った。

　外側から鍵を掛けられた居室を抜け、少年は屋敷を抜け出した。

　折角なので、家を焼いた。

　入口を塞ぐように三カ所に火を付けたので、父や母や使用人は、気付いた時には何も出来ずに炎に焼かれて死ぬだろう。
　地下室への入り口も潰して来たし、この時期には火の手の回りが早まるような風も吹かない。
　誰かを殺した事など今まで一度も無かったが、逃げ道を残しておくには、少年は賢すぎた。

　少年は、屋敷を出てから真っ直ぐ、森の中を歩く。
　もしかしたら、炎に焼かれて死ぬ前に、空気が無くなって死ぬかも知れない。
　だとしたら、さぞや苦しい思いをするだろうと、少年は考える。

　別に、行く宛があって歩いているわけではない。
　15歳になった。誰にも祝われなかった。丁度、家にあった本を全て読み終わっていた。
　だから、家を出ようと思った。それだけだ。
　そもそも外に出る事を禁じられていた少年は、靴すら持って居なかった。

　三日歩いて、動けなくなった。

　なるべく硬いものを踏まないように歩いてきたが、裸足で山の中を歩けば、一晩も経たない内に足の裏は擦り切れて血だらけになった。
　空腹には慣れていたし、夜眼も利くような環境で生きてきたが、少年には体力というものが無い。三日もすれば、物理的に動けなくなった。

　このまま、ゆっくりと死ぬと思った。

　今まで感じた事の無いものが、感覚で判る。
　少年は、心ではなく『躯(からだ)が死ぬ』という状態を理解した。
　指先だけはまだ動いたので、死ぬ前に本で読んだ事を試してみようと思った。

　この呪いには、死にかけた人間が一人要る。

　少年は、端的に言えば『出来損ない』だった。
　魔法学者を多く輩出する家に生まれたが、魔力を持たない障害を抱えて生まれてきた。
　『先天性枯井戸型魔力欠乏障害』。俗称を『出来損ない(カレイド)』。
　与えられるままに多くの本を読んで育った少年は、知識だけは誰よりもあった。
　物覚えは気持ちが悪いくらいに早かった。物解りも人間じゃないみたいに早かった。
　少年は、本を読んで、自分は魔術師に成れないのだと知った。魔力がない。
　少年は、本を読んで、自分は戦士に成れないのだと知った。生まれ付き体も弱い。
　少年は、本を読んで、自分は学者に成れないのだと知った。この家から出る事が出来ない。
　少年は、本を読んで、自分は呪術師にすら成れないのだと知った。素質が無い。少年の躯(からだ)は、言わば空っぽで、『呪い』に対する親和性が極めて低い。

　それでも、少年に出来る事と言えば、もう『呪う』事くらいしか無かった。

　材料が要る。
　死にかけた人間が必要だ。
　対象が要る。
　殺したいくらいに憎い人間が必要だ。
　代償が要る。
　この『呪い』を使ったが最後、術者はもう『未来』を得られない。

――――なんだ、全部、僕一人で事足りるじゃないか。

　少年は自らの身体を『材料』にした。
　少年は自らの魂を『対象』とした。
　少年は自らの未来を『代償』に支払った。

　この『呪い』を掛けられたが最後、対象はありとあらゆる『呪い』をその体に集めて死ぬ。

　少年はそうなった。
　もう躯(からだ)は『材料』にしてしまったので動けない。多分死ぬ。
　もう術者には『未来』が無いので、もう歳は取れない。多分死ぬ。
　ところで、この『呪い』を掛けられた人間は、ありとあらゆる『呪い』を集めて死ぬらしいが、
これからじわじわと『材料』として擦り減って行く僕の躯(からだ)は、果たして『呪術師』としては最高の『素質』を持つのではないだろうか。

　僕が呪う。
　僕を呪う。
　僕を材料として、僕を支払い続けながら、僕の未来を代償として僕が僕を呪い続ける。
　さて、この螺旋の終わりは何処だろう？

　当然、それは『僕の死』だ。

　だが、この躯(からだ)は今しがた材料になってしまった所だし、その死にかけた『魂』は今正に呪われている。『僕』はもう既に『僕』に捧げてしまったので、『僕』が死ぬまでこの『呪い』は終わらない。この矛盾を解決する為には、今すぐ死ぬしかない。魔術か何かのように、短絡を起こした回路が暴発を起こして霧散する以外に方法は無い。

　脳髄が砕けて飛び散るくらいの矛盾は抱えた心算だったが、
果たして、少年に『死』は訪れなかった。

　動かない躯(からだ)を横たえたまま、少年は考える。
　どうやら、碌な死に方はしないらしい。
　『今では無い』という事は、近い将来に、この『解決』は常軌を逸した『呪い』と共にやってくる。

　足音が聞こえた。

　物盗りだろうと食人獣だろうと、少年にはもう『とられるもの』なんて何も無かったし、第一躯がもう動かないので放っておいた。
　近付いた足音が、止まる。そこで、どさり、と。何か荷物袋が土の上に落ちる音が聞こえた。

「……大変」

　少女の、声。

「大丈夫ですか？　急いで家まで運ばないと」

　伏せていた少年の躯を置きあがらせようとした少女は、息を呑んだ。
　生きている人間の重さではなかった。だから、彼女は、自分がすべき事は墓を掘る方だったのではないかと落胆さえした。
　少年の喉が、動いた。生きている。少なくとも少女はそう考えて安堵した。
　抱え上げた、黒い髪。
　白い肌。
　灰色の、瞳。
　まるで、死人のような眼だった。


「……ねぇ、君？　『見ず知らずの人を助ける』っていうのは、一体君を、どんな気持ちにさせてくれるのかな？」


　何故か。
　少女はその少年の瞳を見て、安堵よりも恐怖を覚えてしまった。
　これは、彼が死にそうだから、それを私は怖がっているのだ。
　そう思い直して、少女は、少年の身体を背負い、引き摺って行く。


















「……僕を、許さないで欲しい」

「……」

「君は僕を助けようとしたんだ。それなのに、こんな事をした僕を、君は、許さなくてもいい」

「……」

「僕を、呪っておくれ」

「……」

「ごめんね。悪いとは思っているけど、許してくれなくていい。僕を、憎んで欲しい。出来れば、君が死ぬ間際まで、僕を憎んで、恨んで、呪っていて欲しい。君にはその権利があるし、僕が君に期待している事は、最早それだけだ」

「……」

「……大丈夫。多分、あと三日くらいは、死なないよ。そういう風にした。君はもう、絶対に助からないけど、三日くらいなら生きていける。君の元へは、誰も来ないし、例え来た所で、君を助けようとは思わない。良かれと思って、君を殺してくれるだろう。そういう風になってる。……鏡をもう一度見るかい？　……そっか。うん、そうだね。ごめんね？　僕は、君の名前も知らないけれど、訊かずに此処を出て行こうと思う。僕は、君の名前を聞いたら、忘れられないから。君は、君の名前すら知らない奴を助けようとしたばっかりに、こうされて、こうなって、それで、死んでいくんだ。だから、僕の事は忘れないでおくれ？　君を『こうした』奴は、平気な顔をして、誰かに同じ事をするだろう。大丈夫。『次はもっと上手くやる』よ。君が『一つ目』だ。……『ありがとう』。僕を助けてくれて。僕は君を助けてあげられないけれど、君の事は忘れないよ」

「……」

「扉は、開けて行くね。その方が風が吹き込んで痛いだろうし、もしかしたら動物が君を見付けて食べに来てくれるかも知れない。町に降りた時に、君の噂を聞く事が出来たら、君の『名前』を呼んであげるよ。その頃には、君は間違いなく死んでいるけど、出来るなら、『僕を殺しにおいで』。……それじゃぁ、『さようなら』。『愛してるよ』。僕は君の名前すら知らないけど、嘘じゃあない。僕は君を『愛して』いた」

「……」

「ごめんね。……それと、『またね』」

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