イネッサと東は拠点へと続く道を進んでいた。
もう少ししたら、一揆軍の駐屯地に着くはずだ。

貴族の男に言われた通り、ある国王軍の兵士に手紙を渡したのは数日前のこと。
確認したい事があるからと暫く待たされ、
つい先日お返しの書簡が渡されたばかりだった。
厳重に筒に入れられているので、とりあえず開けずに持ち歩いている。

東が敵の少ない道を選んでくれるので、安心して進んでいた。
武器を取って戦った事のないイネッサは、国王軍の配置した魔物が怖くて仕方がなかったのだ。
出来得るならば血など流さない方がいい。

「少し休もうか、歩いてばかりでは疲れるだろう？」

そう言って東は、大き目で平たい岩の上に自分の上着を敷いた。
イネッサが泥で汚れる事のないようにとの配慮だった。

「ありがとうございます……御前様はいつも優しいのですね。」

イネッサは、はにかんで笑う。
男性にここまで大切にされた事は今までなかった。

両親はいつも弟達のことばかり考えていた。
両親の金と時間と手間は、殆ど弟達のために費やされた。
郷里の他の女性達と同じように、飾り物でしか居場所はなかった。

彼女に与えられたのは、少しの衣装と恋愛小説だけ。
勉強として学ぶのは、綺麗な言葉使いと礼儀作法。
上流貴族の元へ嫁ぐのが何よりの誉れと幼い頃から言い聞かされてきた。

母親はいつも、父親の愛人といがみあっていた。
愚痴ばかりを聞くけれど、改善しようとする様子はない。
最初から自分は道具なのだと諦めなければ生きてはいけなかった。

『干渉者』として出会った東は、騎士のような男性だった。
彼の言動ひとつひとつに労わりが感じられ、
大事にされるという実感でイネッサは満たされていた。
ミハイルも優しい男だったが、気遣いでは数段劣ると彼女は考えていた。

頼もしい騎士に助けられた姫は、
このように幸せな気持ちなのだろうと東の腕の中で眠ったこともある。
心も身体も、ずっと一緒でいたいと願った。

「……御前様、何度も同じ事を聞くのですが。」
「何度も？」
「私のこと、好きですか？」

イネッサは真摯に東を見上げた。
いつも穏やかに笑っている、大人の男がそこにはいる。

「……嫌いなはず、ないだろう？」

東の声のトーンは変わらない。
余裕があるのだろうが、13歳の少女にとってはそれが不安で仕方がなかった。

「私は、御前様の事が好き。
　御前様も私の事好きなら、ちゃんと形で示してください。」

イネッサは立ち上がって、東に抱き着いた。
強くしがみついていた彼女の顔を東はやんわりと上に向かせる。
そしてお互い当然のように唇を重ねた。

元々人の往来の少ない場所ではあったが、
二人は完全に周りなど見えてはいかなったようだ。
かすかに砂を蹴る音がしても、その行為をやめようとはしなかった。

『彼』の声が聞こえるまでは。


「……どうしてイネッサがここに居るの……？」


我が恋人と見知らぬ男が絡み合うのを目撃したミハイルは、
かすかに絞り出すような声でそう問うたのだった。

◇◇

自分の恋人だった少年の姿を確認し、彼女が最初に上げたのは悲鳴だった。

「ヒィ！ミ、ミハイルっ……！？」
「何から言えばいいか分からないけど……隣に居るのは、誰？」

茫然としたまま、ミハイルは東を見据えている。
険悪な空気に包まれているからか、東も微動だにしなかった。

「こ、これは違うの！裏切りとかそういうんじゃないの！！」
「そうそう、全然そういうのじゃないから！！」

自分に素早く追随した東の言葉を聞いて、
イネッサは心が握りつぶされる感覚をおぼえた。
すぐさま体を離そうとしていたが、すんでの所で東の腕を掴む。

「聞いてミハイル、この人は私の運命の人なの。」

『運命の人』という言葉を聞いて、ミハイルは眉をしかめる。
それはかつて、自分と交わした約束ではなかったか。

「私、この人と出会って、始めて自分を大事に思えるようになったの。
　周りから敬われないと、みんな心が死んでしまうのよ。
　そんな当たり前の事を私に教えてくれた、大切な人なの！」

もしかして自分は詰られているのだろうか？
目の前の恋人をどこか遠くに感じながら、ミハイルは思った。

「でもそれは、やっぱり裏切りなんじゃないかな？」
「裏切ってなんかないわ！御前様もミハイルも大事な人だもの。
　ミハイルも私の事、大事に想ってくれているでしょう？」

そう、二人とも自分にとってかけがえのない人。
決して失いたくないと、イネッサは固く心に誓っていた。

「だから御前様のこと、責めないであげて欲しいの。
　二人が争うのは、辛くて私、見てられない。」

イネッサの言葉を聞いて、男二人は思わずお互いの顔を見合わせる。
この違和感を表す言葉を双方とも持ち合わせてはいなかった。

「……ね？だからミハイル、飾らない私達のこと分かって欲しい。お願いよ。」

そう言ってイネッサは、東の手を握りしめる。
ミハイルはあまりの現状に、呆けたまま口を開けずにいた。

「ミハイル、この人はアズマって言ってね、
　私の事を護ってくれる『干渉者』なのよ。私の騎士様。」
「……えっ……？」

『干渉者』という言葉を聞いて、ミハイルは正気を取り戻した。

「……契約、したの……？」
「ええ、ミハイルを元に戻すためですもの。
　あんな売女とは早く別れて、真っ当に革命を起こすのよ！」

もしかしてそれは、我が君の事だろうか？
あまりの言葉と現実との落差に、一瞬ミハイルは意味を把握しきれずにいた。

一方、あまり好ましくない争いに巻き込まれていると感じていた東は、
この話題を止めるために何かいい要素はないかと周りを見回していた。
そして、同じように様子を伺っていた人影を見つける。

「……寿子さん！丁度いい所に！」

イネッサが売女扱いをしていた気がするが、
この場で唯一彼女に口を挟めるであろう相手に東は呼びかけた。

その言葉とはおよそ縁遠いであろうコトブキは、
きっちり責任転嫁してきた38歳に内心悪態をつきつつ、
不承ながらも物陰から姿を現したのだった。

◇◇

ほんの少し前から、コトブキはミハイル達の異変に気が付いていた。
以前女神の園で見かけた2人とミハイルの声が聞こえたからだ。
ただ話題が痴情のもつれのようなので、姿を現すタイミングを伺っていた。
彼女もまた、極めてセンシティブな話題に触れたくなかったのである。

コトブキの姿を確認して、イネッサの表情が険しくなる。
まるで仇を見るような瞳でコトブキの事を睨みつけた。

「……ミハイルの事、誑かすのはやめてください。
　もう十分、若い男とは遊んだでしょう？」
「誑かすも何も、私は分割世界から召喚された身なのだが。」
「きっかけは何でも、弄んでいることに変わりはないじゃないですか。
　彼は革命を成し遂げないといけない身なの、あなたとは違うのよ。」

証拠はなくても心証は十分といったところか。
早くもうんざりしながら、コトブキは思考を巡らす。

「とりあえずそちらの目的は何だろう？
　こんな所まで追いかけて来たからには、相応の理由があると思うけど。」

どうして自分をそこまで目の敵にするのか、
これを聞くと確実に地雷を踏むと予想されたので流すことにした。
恋のさや当てだけではなく、もっと根の深い問題かもしれない。

「勿論、ミハイルをあなたから引き離して真っ当にするためです。
　堕落した恋人を救うのは義務ですもの。」

胸を張ってイネッサは答える。
『義務』という言葉にミハイルの眉が跳ねたが、何も口にはしなかった。

「わざわざ国王の兵士にまで取次ぎをしたのよ？ミハイルとちゃんと会うために。」

イネッサの言葉を聞いて、コトブキの顔が強張る。
自分達は一揆、つまり反乱軍としてこの戦いに参加しているはずだ。
仕官でもない末端が、敵の兵士と接触する用事とは何なのか。
ひっそり気配を消そうとしていた東だが、厳しい表情のコトブキと目があった。

「おいクズ、国王の兵士とはどういう事だ？」
「寿子さん……いや、少し話をしただけですよ。
　こっちの上の人から貰った書類を相手に渡して、
　数日後に相手から書類を受け取っただけです、あとそっちの居場所の情報と。」
「国王の兵士に、書類を渡す……！？」

ミハイルの驚きの声が漏れる、間違いなく意表を突かれた様子だ。
これが事実ならば、ミハイルは完全に背後から撃たれた形になる。
一方、東の証言にコトブキは一層眉間に皺を寄せた。

「恐らくは確認していないのだろうが、その書類は軍令かもしれんぞ。」
「軍令？僕達は軍じゃありませんよ？」
「最初の書類提出だが、中身は確認していないのだろう？
　国王軍への志願書だったのだと考えると、
　国王軍の兵士から情報を貰えたのもつじつまが合う。」

そんな馬鹿な、東は心の中で吐きつつ貰った書簡の封を切った。
戻って貴族に渡すものだとばかり思っていたので、今まで手を付けてはいなかったのだ。

書類の最初に、これは軍令書であることが明記されていた。
イネッサと東は志願通り、国王軍属としてミハイルを処刑することも。
東の持つ紙切れの内容を見て、イネッサは目の前が真っ暗になった。

「……えっ……？
　どうして軍隊に入ってミハイルを殺さないといけないの……？
　ミハイルを救うために私は来たのよ……なんで……？」

今までずっと、神父様の事を信じてきたのに。
神父様が正しいって言うから、ミハイルを止めるためにここまで来たのに。

――私のやってきたことは全て、無駄だったの？

いいやそんな事はない、いつも正しく生きている自分が間違う筈はない。
全てを投げ出してしまおうという衝動をイネッサはなんとか抑え込む。

「……とりあえずここは退いたらどうだ、
　何をするにもその心理状態じゃ無理だろう？」
「あんたに何が分かるって言うの！？私のこと嗤ってるんでしょ！？」

錯乱している少女にコトブキは焦った。これではとりつく島もない。
両腕でその身を抱えて泣きながら震える少女に、東は気おくれしながら語りかけた。

「出直そうイネッサ……まず君は戦えない。
　僕らは別に殺し合いをするためにここに来たわけじゃないだろう？
　軍属だっていっても、この戦いが終わるまで逃げ続けたらどうにでもなるさ。」
「……御前様……？」
「平和を愛する君だもの、その手を血で染めるには相応しくないよ。」

つまりは事なかれ主義の逃げ口上なのだが、
ここで決闘をしてもメリットはないので敢えて誰も異議は唱えない。

「退くならば早い方がいいぞ、
　このあたりもだんだん激戦地となっているからな。」
「ありがとうございます、では……。」
「あと悪い事は言わないから、参戦は考え直せ。革命なぞ人に言われてやるものじゃない。」
「……。」

イネッサの肩を抱えて、東がその場を離れようと背後を向いた時だった。
いつの間にか目の前に全身青碧のオーラで纏った少女が立っており、
無言のまま仮面に隠れていない片方の瞳で4人を見つめていた。


「言ったよね、余所者のくせに肩入れするなって。」


確かにそこに存在するが、まったく気配を感じない。
このセーラー服で機関銃を抱いた少女――『ドール』のエンブリオは、
かすかに動く口でそう告げたのだった。


To Be Continued......

その金髪の少女は以前と同じく話しかけてくるあなた達に気づき少し目を向けた

風貌はそこまで変わらない　しかし、何かが違っていることは間違いない

そういうと一振りの小刀を貴方達へと飛ばす
小刀はチラシだけを貫き壁へと突き刺さった

それは以前の彼女とは確かに違っていた

...終始無言であるが、暑いのであろう。