一路、次の目的地である大廊下へ向かう道の途中。
進攻先によって寒暖差の激しいこの地域。あれほど暑いと思っていた砂地から離れれば、ひんやりとした空気が肌を刺す。
こんなに気温差があると、体がおかしくなりそうだ、と思いながら、首に巻いたマフラーを直した。

肩にはいつも通り、イェジが座っている。
けど、心なしか、普段よりも口数が少ないような気がして。
皆に遅れない程度に歩みを緩めて、横目で眺めてみる。
具合が悪そうなわけでは、ない。ただ、いつもより眉間に力が入っているような。
なにか、彼にとって、気に食わないことでもあったのだろうか、と思い返してみるけれど、特には思い当たらなくて。

「イェジ」
「あァ？」
「何か、あった？」
「、……無駄口叩いテねェでキリキリ歩けや阿呆」

……悪態つきで睨まれた。仕方なしに、歩みの速さを元に戻す。
これ以上突っ込んでも、多分、帰ってくるのは普段以上の罵詈雑言だろう。
だから、それ以上問うことはやめた。
それが良いのか悪いのか、今は分からないけれど。


　*　*　*　*　*　


暗くなる前に、野宿出来そうな場所を探して、野営の支度を済ませて。
流石に何度もしていれば、手馴れてきた気がする。まあ、今回は人数が多いのもあるだろう。

ふと見れば、イェジが、ルカたちと話しているのが見えた。
あれから、特に話すこともなく、そのままになってしまったけれど、彼らと話している様子を見る限り、私の杞憂だったのかもしれない。少なくとも今は、普段どおりに見える。
そう思って、手元に視線を戻す。

今は、約束していた料理を作ろうと、コトカさんにも協力してもらって調理を進めていた。
皮を剥き終った野菜を切りながら、ちらと彼女の様子を伺う。
至極真面目な顔で、簡易の湯沸し器に掛けたスープの入った鍋を見てくれていた。

最近、というか、こうして何度か手伝ってもらうようになって、気付いたことがある。
コトカさんは、料理が苦手ならしい。手つきが不慣れな人のそれで、たまに、危なっかしく思えるくらいだ。
細かい作業もそつなくこなす彼女だから、こういうことも慣れているのかと思っていた分、なんというか、少し意外で。
ちょっと、微笑ましく思えてしまう。

……こんなことを考えていたと知られたら、怒られてしまいそうだけども。


「……ねえ、ミハウ」


声に、びくりとして、野菜を切る手を止める。
考えを察されたのかと思って、恐る恐る見たコトカさんは相変わらず、スープの方を見ているようだった。
ほっと密かに胸を撫で下ろしたこちらに気付いた様子もなく、彼女は言葉を続ける。


「アリシアたちと一緒に行動するの、これできっと、最後よね」


その言葉に、再確認する。

この先へ行ったら、恐らくもう、アリシアさん達と共に行動することはないこと。
いつものように、また今度、ではなく、さよなら、を言わなければいけないこと。
少し、間を空けて、言葉を返す。


「ええ、そうですね。帰る手立てが見つかったって、仰ってましたし」


そう伝えられたのは、合流した直後。
ずっと探していた、帰る為の方法が見つかったから、と。
元々、迷い込んできたアリシアさん達は、ずっと帰るために一揆に参加していて。
それが見つかったことは、すなわち、近い将来、彼らと二度と会えなくなってしまうことを意味していた。
今までだって、何度も人と別れることはあった。
けれど、やっぱり、親しくしていた人との別れほど、寂しく思うことはないと思う。


「……寂しく、なりますね」
「……ミハウも、さみしいと思う？」


ぽつりと漏らした言葉に、少し、戸惑うような声が返って。
そんな反応が返ると思っていなくて、顔を上げて、もう一度頷く。


「寂しいですよ。何度も一緒に行動している、仲間、ですしね」


さらりと言えなかったのは、……まだ少し、その言葉を使うことが怖かったから。


「……あのね。アリシアたちが帰れるようになったことって、とっても良いことだと思うのよ。ずっと、帰りたがってたから」


確かに、そうだと思う。帰りたいと、彼らがそう願っていたのは紛れもない事実で。
以前、ルカと街で会った時の事が、頭を過ぎる。夕暮れの公園のベンチに座って、ルカが話してくれたこと。
あの時、笑ってはいたけれど、とても辛そうに見えたルカに、つい、お節介じみた事を言った気がする。
だから、と、コトカさんが一度言葉を切る。そして、


「さみしいって思うのは、いけないことかな、って。……そう、思ってたんだけど、」
「」


窺うように、こちらを見た。
それが、どこか、不安そうに見えて。緩く、首を振る。


「そんなことないですよ。寂しい、って気持ちは、その分だけ、一緒に過ごして来れたことの現れですし。
それを、いけないと思う必要はないんじゃないかなって、私は思いますから」
「……困ったりは、しないかしら」


いつもよりも、弱い声。迷うような、そんな頼りなげな。
寂しいという思いを、押し付けてしまうのではないか、と思っているのだろうか。
それなら、それは、きっと杞憂で。


「大丈夫だと思います。しつこく言われたら、それは困ってしまうかもしれませんけど……
一回か二回くらいなら、受け取ってもらえますよ、きっと」


私の推測ですけど、と付け足しながら、手元の野菜を切り終えて、目をやる先。
話をしながら、待っている三人が見えた。


「アリシアさんもルカもシズさんも、皆、良い人ですから。コトカが三人の事を思ってすることを、迷惑に思ったりはしないと思います」


それは、本心だった。
三人とも、とても優しくて、温かいひとだ。コトカさんが、彼らを思うように、きっと、彼らも彼女を思っている。
傍目から見ていても、仲の良いアリシアさんは、特に。


「そう、ね。そうだと、……嬉しい、なあ」


独り言めいた言葉は聞こえてはいたけれど、声を掛けることはしなかった。
その横顔に、不安の色がないことだけで、今は十分だと思ったから。

息をついて、さて、と、不意に鍋を見やったところで。
その中のスープが、音を立てて煮立っていることに気付いた。
思わず、あ、と小さく声を上げる。


「こ、コトカ。……煮立ってます、スープ」
「……え？　っあ、わ、」


言われて気付いたように、慌てて簡易湯沸かし器の火を切ったのを見て。
思わず笑ってしまったのは、気づかれていないといいなと思う。


　*　*　*　*　*　


そうして、出来上がった食事を、皆で食べて。とても、喜んでもらえたみたいだった。
作ったものを美味しいと食べてもらえるのは嬉しいことだし、やっぱり、賑やかな食卓は好きだ。
いろんな事を、話して、笑って。
過ぎていく時間を惜しむように。皆が眠る間際まで、言葉は絶えなかった。


見張り兼火の番が回ってきて、寝起きの目を擦りながら、焚き火の傍に寄る。
静かだ。耳を澄ましても聞こえるのは、火にくべた枝の弾ける音と皆の寝息くらいで。
傍には同じように目を覚ましたイェジがいたけれど、何も言わないまま、時折、周囲を見回していた。

手持ち無沙汰になって、手帳を取り出す。使い込んだ革の表紙を一撫でしてから、栞を挟んだ白紙のページを開いた。
ペンを取って、今日あった事を一つ一つ、思い出しながら書き記していく。日記、という程でないにしろ、何かあれば必ず書く程度には習慣づいたことだった。
絵でも書けたなら、もっと良かったんだろうけど。それは、残念というか、苦手なことの一つで。
だから、思いだせる限りの記憶を、文にしておくようになったのだと思う。
どれだけ経っても、文を読めば、そのときの記憶が蘇るように。

イェジの様子が、少し気がかりだったこと。コトカさんにまた料理を手伝ってもらったこと。
皆で一緒に料理を食べたこと。それが嬉しかったこと。
……ルカ、アリシアさん、シズさんとの別れが、今から、とても寂しいと思うこと。
一つ一つ、書いておく。忘れないように、思いだせるように。

いつか。一揆が終わって、ネクターもアルキミアも取り戻して。
故郷に帰って、ふとした時に、これを読み返す時が来るのかもしれない。
その時、どんな風に、この時間の事を思い出すのだろう。
今は、分からないけれど。

ただ、今日も、明日も、この先も。これまでしてきたように、これからも変わらずに。
見たもの、聞いたこと、経験した出来事を。
きっと、書き記していくのだろう、と思いながら、手帳を閉じた。


――明日も、どうか良い日になりますように。



＊文中にて、ENo.860/アリシア・イーユスさん、ENo.861/ジャンルカ・ベルトッドさんのお名前をお借りしました。ありがとうございます。＊

　と、続けようとしたが、アリシアの言葉と――笑顔を、見て。

んーと唸っていたがふっと笑って

少し声を小さくして

ぱちぱちと手を叩いて

言葉を聴き、噛み締めるように頭を振って

あまり嬉しくない普通を聞いて苦い表情をして

ぼそりと、またか。と言って

次の言葉には驚いた様子で

褒められたものじゃないか、聞いてみないとわからないし、と付け加え

ルカに説明させようとすれば、語彙と知識の無さが相俟って、まあ、こんな具合である。
世界が違うのだから当然と言えば当然かも知れないのだが、彼の故郷と自分達の故郷は
彼等のリアクションからして、何もかもが違うのだろうなと、内心の。

眉尻の下がった、それでも彼らしい笑みに、此方も笑んで返す。

イェジも、って添えて、ふにゃりと笑った。

観光地、と聞けば、ますます行ってみたくなるものだ。
誇らしげな彼の笑顔を思い出して、いいなあ、って、小さく零す。
それから、

なんて、自分より大分背の高い彼の背を、後ろから押そうとしながら。

必ず倒してやるっ！と、握った右手の拳を頭上に突き上げて宣言する。

荷物から、腕輪を取り出す。

　イヌワシは、いつも以上にやる気のようだ。

　一つ、大きく羽ばたいた。

　　　　　　　　　きみ達は下がって。 最初だけ、僕がきみ達を守るよ。 ）

──何処からか 声が聞こえる。
くすんだ青と白が溶けるように入り混じり、やがてそれは、ウサギの形を成すだろう。

影のような幻は、今にも消えそうに風に揺らいだ。

そう言った子狐の姿が、霞む。

変化は、一瞬。

長く伸びた紫銀の髪を背に払い、橙色の瞳を鈍く輝かせ。
好戦的に笑う青年が、そこにいた。