鬱蒼と生い茂る草木を掻き分けながら歩を進める。

　特に明確な目的があるわけではないが、なんとなく一人になりたかった。
　辺りに人の姿は見受けられない。騒がしいエンブリオ達も今は姿を消している。
　それどころか、鳥の囀りすら聞こえない始末だ。
　ただ聞こえるのは激しさを増してきた風の音。

「……」
　立ち止まって空を仰ぐ。
　空には雲が増えてきたが、まだ完全には覆われていなかった。
　雲ってきたなと、ただそうとだけ思い再び歩き始めようとすると、後方から足音が近づいてくるのに気付いた。

「よお、久しぶりだな」

　足音が止み、背後から声がかけられる。
　聞き覚えのある、しかしここでは聞こえるはずのない声。
　声の主を確かめようと、緩慢な動作で振り返る。

「…………アレッシオ……」

　そこに居たのは脳裏に浮かんでいた像と寸分も違わぬ、三年ほど前に言葉を交わしたきり顔を合わせていなかった男。
　俺が居た、元の世界に居るはずの知り合い。

「ははっ、何だよその顔。なに幽霊でも見たような顔してんだ？」
　金色の髪を風でなびかせながら男が笑う。
　笑い声が直接頭に響くような気がし、酷く不快に感じた。
　思わず眉を潜める。
「……お前、何でここに居んねん」
「あ？　それはこっちの台詞だぜ？　あっちの世界ではお前が行方不明だって聞いてたからな。何でこんなとこに居んだよ」
　問いかけられて一瞬言葉に詰まったが、すぐに男を睨みつけながら再び口を開く。
「……お前には関係ないやろ。それより質問に答えんかい。何で、どうやってここに来てん」
　鋭い視線を向けられながらも男は笑みを崩さず、真っ直ぐこちらを見ている。
「別に特別なことはしてねぇよ。空間転移魔法使ったらたまたまここに着いたってだけだ」
「……空間転移魔法？」
「そ。老害どもが必死で完成させようとしてるアレだよ」
「……それをお前が完成させて使ったとでも？」
「そうだよ。別に俺が使えたっておかしくねぇだろ？」
「…………」
　確かにこの男なら使えてもおかしくない、と、素直に思った。

　本当に元の世界から来たのならば色々と聴きたいことがある。そのために口を開こうとすると、一足先に相手が思いがけない言葉を発した。

「大体成功者は俺だけじゃねぇよ。お前のマスター様も使えんだろ？　確か……一年ぐらい前に使えるようになったっつってたっけ？」
「……は？」
「何だ知らなかったのか？」

　初耳だった。
　確かにマスターは高位魔法を施行できる。だが、ソレを使えるとは聞いたことがなかった。

　――そしてそれと同時に、最悪の予想が頭をよぎった。

「……お？ 想像力豊かなテオくんは何か嫌なことを想像したのかなー？　……その表情、最高だぜ？」
　どんな表情をしているのか自分ではわからないが、この男が褒めるということは酷い顔をしているのだろうと思った。
　だがその予想は現実的ではないというところにまで思考が到ると、一瞬動揺していたものが平静に戻る。
「あ、もう戻った。お前三年前は全く表情変わらなかったのに進歩したんだなー。……いや、お前の職業としては欠陥品になった、か？」
　男は薄ら笑いを浮かべている。
「…………」
「で？　さっき何想像したんだよ」
「……教える必要はないだろう」
「いいから教えろよ」
「…………」
　この男はこういうことを言いだすとしつこいと、身をもって知っていた。
　軽くため息を吐いてから話し始める。
「…………『用無しになった俺をマスターがこの世界に飛ばしたんじゃないか』と一瞬思った。だがその可能性は低いと考えた。……それだけだ」
「何で低いと思ったんだよ？　あ、『お前には関係ない』ってのはもうナシだからな」
「…………俺がここに飛ばされたときは一人だったからな。魔法の対象がどこに居るのかもわからない状態でそんな大規模なものを行使できるはずはない。そもそもマスターが空間転移魔法を使えると言う保障もない。……お前の妄言だという可能性も十分あるからな」
「妄言とは心外だな」
　アレッシオが肩をすくめて見せたが全く心外そうには見えなかった。


「……そうだ、折角会ったんだから面白い話をしてやるよ。変な喋り方するお前の友達、確か……空、って言ったか？」
　その名前が聞こえると同時に身体がぴくりと跳ね、反射的にアレッシオの方に視線が向かう。
　意地の悪い、笑みを浮かべていた。

「そいつさ、」

　本能的に嫌な予感がした。

「やめ――――」

　この男が面白いと言うものは総じて、

「――――死んだぜ？」

　面白くないものなのだ。

「――――」


　身体を支えられなくなり、地面に膝をつく。
　それと同時に手に持っていた大鎌が地面に衝突し音をたてた。

「っ…………あ……う、そ……だ………………！」
「……さあ？　どうだろうな？」

　嘘だと、自分に言い聞かせるように言い続ける。
　肺からその言葉が勝手に吐き出される。


　――だが、本当に嘘なのだろうか？

　何度も想像していた。俺はアイツを殺してしまったんじゃないかと。
　応急措置はした。医者の所にも連れていった。
　だが生きているという保証は、欠片もないのだ。

　あれだけ血が溢れ出ていた。
　スティレットが深々と突き刺さっていた。
　意識を失っていた。

　むしろ、死んでいる可能性のほうが、

「ぅ……ぁ…………！」
「おいおいどうしたんだよテオー？　さっきみたいに妄言だ、とでも言えばいいだろ？」
「っ…………」
「言えねぇのか？　何か心当たりでもあんのかよ大事な大事なお友達が死ぬ原因によぉ！」

　違う、違う違う違うアイツは死んでない生きているはずだ俺は殺してない大量の血が流れ落ちていたしアイツの意識もなかったけれどだけど――

「そういえばお前のその変な喋り方さー、お友達のマネか何かか？　あとそのでけぇ鎌。お前の得意な得物とかけ離れすぎだろ。どんな心変わりだ？　不慣れな得物なんか死ぬ確率が上がるだけだろ自殺願望でも持ったのか？　あーあと、途中から普通の喋り方に戻ったのは何でだよ？　動揺でもしたんですかーテオくん？」

　男が何か言っているが何一つ頭には入って来ない。


　違うアイツは、空は――

　唯一俺を人として扱ってくれたアイツを――

　――――俺が、殺した？



「…………おい」
「ぐぁっ……！」
　突然腹部に鈍痛が走る。
　少ししてから膝蹴りを叩きこまれたのだと理解した。
「何か言えよ。ずっとそんな態度とられてても面白くねぇんだよ」
　髪を荒々しく掴んで引っ張られ、無理矢理上を向かされる状態になる。
　目の前の男が先程まで常時浮かべていた笑みは消えていた。
「ぐっ……」
　抵抗する気力も湧かず、されるがままにされているとぐいっと男の顔が近づけられる。
　男の顔に、再び笑みが浮かぶ。
「無様だなぁテオ？　成功率100％とまで言われていた凄腕暗殺者様が俺なんかに良いようにされてよ？　屈辱的だよな？　ほらもっといい顔してみせろよ！」
　さらに強く髪を引っ張られる。
「……は…………ぐぅ……」
「……どうだよ今の気分は？　大事な大事な友人が死んだって聞かされた感想はよぉ？ っなぁ！！」
「っ！ う……」
　先程より強烈な一発を腹に入れられる。それと同時に髪を離されたため、そのまま身体が後ろへと倒れる。
　鈍い音をたてて身体が地面に叩きつけられる。
　背中に痛みが走る。
　だがそんなことに気を使う暇も与えられず、男が覆い被さってきた。
　首元に何か鋭利なものが当てられる。
　慣れた感触に、見なくてもそれがナイフだとわかった。
「さてどうすっかな。とりあえず足でも刺しとくか？　腕でもいいけどなー。お前はどこがいいとか希望あるか？」
「…………せ」
「ん？　何だよ？」
「…………もう、殺せ」
　声を絞り出す。
　男はきょとんとした顔を浮かべている。

「…………っははは！！」
　だがそれも一瞬のことで、すぐに心底可笑しいとでもいうように笑い始めた。
「何言ってんだお前？　殺すわけねぇだろこんな面白い玩具！！」
　そう言ってアレッシオが笑った。いや嗤ったと言うほうが正しいかもしれない。
　酷い悪人面だなと、はっきりしない頭でそう思った。

「やっぱ刺すのはナシな。痛みで思考が停止したら勿体ねぇもんな、折角そんなに悩んでんのになぁ？」
　男がくすくすと厭らしく笑う。
　首に当てられていたナイフが離されたかと思うと、今度は左頬に当てられ、軽く引かれる。
　そこから溢れた液体が地面を汚した。
　それで満足したのか男は立ち上がり、掌と服に付いた土を掃いながら何か問いかけてくる。
「そういえばこの世界には面白いもんがいんだな。エンブリオつったっけ？ お前も持ってんのか？」
「…………」
　何か言っている。それは理解できるのだが、内容は全く入ってこない。
　そのまま地面に倒れたまま、微動だにしない。できない。
「無視かよ。まあ自力で調べるか…………お、早速発見」
　そう言って近くに放り出されていた大鎌を手に取る。
　それに男が手をかざすと、俺のエンブリオのうちの一つ、パロロコンが姿を現した。
「へー、こいつエンリコに似てるな、色とか。じゃあ折角だし……」
　今度はパロロコンに手をかざす。
　するとそれは光を発し、次第にヒトの形を模っていく。
　それが完全にヒトの形をとり終えると、鎌を俺の近くに放り投げた。
「置き土産だ。見た目だけ似せておいたから別人だろうけどまあそっちのほうが楽しいよな？」
　相変わらず反応は無いが、男は構わずに続ける。
「あとお前が自殺しようとしたら止めるようにも命令しといたぜ。俺が見てねぇ所で死なれても面白くねぇからな」

「じゃあな。また気が向いたら来てやるよ。――今のお仲間さんを大切にな、テオ？」
　その言葉を言い終えると同時に足音が遠ざかっていく。
　最後にどんな顔をしていたのかは見えなかったが、意地の悪い笑みを浮かべていたのだろうと、ぼんやりと思った。


　目の焦点が合わない。
　視界がぼやける。
　それでも無理矢理空を見ようとする。

　空は完全に雲で覆われ、青を見ることは叶わないようだ。


　――空から水が落ちてくる。

　身体に打ち付けられるそれに体温が奪われていく。
　水分を含んだ土で服が汚れていく。

　自分自身のことであるそれを、どこか他人事のように感じていた。

数刻だけPTから離れて森で別行動していた青年が戻ってくる。
服は泥だらけで顔に傷も負っているが本人が気にしている様子はない。

皆に何か言うわけでもなく、無言のまま合流した。

無言で武器を構えた。

[>土人形のような機械が三拍子のリズムを刻んでいる。