主の様子が可笑しい事を、薄らとながら理解したフローロの不安げな目が、メラルドを見上げる。抑える事も出来ず垂れ流れる魔力は何処か暗さを帯びていて、――はっきりと視認出来てしまうという異常事態に、全智全能たる書は天を仰ぐ。
「……何故、片割れのみがこやつの手に在るのだ」
　自分は確かに見ていた。視ていた。黒水晶（ニュイ）と白水晶（マタン）が主の手から、魔女の手へと預けられるのを。知っている。主たる少女の心が折れた事を。魔女の気まぐれに「困る」と言いながら、異世界での探究を楽しんでいた事を。――それもこれも、双子水晶が手元に無いからこそだと、思っていたが。
「知らないよ。……作ってもらった、って話だけど」
「元は？」
「この世界のもの。……長くヴェスの手元にあったみたいだから」
　影響されたのかもね、とのたまう騎士の声は何処か遠く。
　騎士に抱かれ深い眠りに就く彼女の額には、薄らと汗が滲んでいる。魔力の放出はやや収まっただろうか、小さな手で大きなタオルを抱えながら、フローロは甲斐甲斐しく主の汗を拭う。
　嘗て確かにいたはずの光は無く、それは変異し、それは変質し、彼女を蝕む影となってそこにある。
　――エンブリオで在るというのが影響しているのか、形は茫洋としているが、黒水晶に何かが宿っているのが分かった。自分にわかるのなら、あの書にわからないわけはない。
　それでも、あの傲岸不遜な書が何も言わず、手をこまねいているのを見ると、手を出せないのだろう。
「大丈夫だよ、フローロ。君もおやすみ、明日は早いから」
　長く続く山道を見上げ、メラルドは人好きのする笑みを浮かべた。
　すん、と小さく鼻を鳴らす音のち、一言も発する事なく、こくりと頷きを返して、小さなエンブリオはヴェスの傍で丸くなる。
「……大丈夫だよ、」
　僕には見える。とても薄らとしていて、影以上に曖昧と、茫洋としているけれど。
　彼女が求める光であるかは、判断はつけられないけど――美しい、月みたいな輝きが。
　確かに、其処に在るから。後は、彼女がそれに気付くだけ。
「今の君とは似てるんだから、抑え込めるでしょ」
　何処か投げやりめいた口調に、書は面食らったようにまばたきを繰り返しながらも、すぐににやりと意地の悪い笑みを返す。
「誰に物を申しておる。――我は全智全能たる書だ」

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　影は優しく万人を犯してせしめる。
　思考を、行動を、根底を、じわりじわりと。
　捨ててはいけない。見える光に、追い縋らなくては。

　
　確かめるように、言って。そうしてから、少し考えるように視線を一度落とした。
　

　
　純粋に気になるという口調で、問いを向ける。

　（所在なさげに辺りを見回しながら、小さく息を吐く）