シュガーたちは次の目的を城内/大廊下の突破と定めた。大廊下の中腹に、ダイゴとフロラという強力なペアが一揆の参戦者を待ち構えているらしい。そのため、しばらくは砂地や水辺で装備の素材の入手に励むことにしたのだ。

その日の戦闘を終え、川辺のキャンプサイトまで戻ろうとしていた時のことである。シュガーは黒みを帯びた霧が周囲に立ちこめており、視界が著しく悪くなっていることに気がついた。他のパーティメンバーの姿は見えない。

しかし、返事はなかった。パーティメンバーとはぐれてしまったらしい。さらに悪いことにシュガーは気がつく。その黒みを帯びた霧からは、魔力の滾りを感じられる。自然現象ではなさそうだ。その霧には人間の感覚を狂わせる作用があり、何者かの意図により、シュガーたちのパーティはバラバラに分断されてしまったらしい。

シュガーの危機に呼応して、シュガーの耳元に平家の怨霊の声が届く。知将として名高い平知盛の霊であった。

シュガーは地図と方位磁石を取り出して、現在地と進行方位を把握することを試みる。しかし、謎の霧によって現在の位置は分からないうえに、磁石の針もフラフラと定まりない。

とにもかくにも現在地を把握しないことには、この罠の只中から移動もままならない。シュガーは座禅を組み、法界定印を組んで瞑目した。まずは速度に優れた３体のエンブリオを斥候として派遣する。選ばれたのは、パロロコン、物ウィスプ、スレイプニルであった。

ついで、シュガーはこの世とあの世をつなぐ術式を実行し、平家の怨霊たちを召喚する。シュガーの鼻腔を潮の匂いがくすぐり、波音が聞こえる。そして、完全武装の騎馬武者たちがざぶざぶと波間から現世へと戻ってきた。重衡以下、平家の武将の主だった者達であった。

戦場では拙速が尊ばれる。平家の武将たちの霊は、手綱をかって速やかに駆け出して行く。そして、シュガーは砂地に座したまま、さらに精神を研ぎ澄ませ、怨霊と己の視界と耳を共有する術式を発動させる。神通力の１つの名を借りて『天耳通』と呼ばれている術式であった。精神力の消耗が激しい怨霊拳の切り札であった。

知盛の霊が不安げに辺りを漂うアニマを励ます。シュガーは平家の怨霊の眼と耳を借りて辺りを伺いながら、この黒みを帯びた霧を生じさせた者の目的は何なのか？と問う。

アニマは不安げな顔を知盛の霊に向けると、左様と知盛は頷く。各個撃破のための攻撃をしかけるならば、今が最も好適なのだ。しかし、シュガーにしてみれば現在位置についての情報を得なければこの虎口から逃げ出すこともできない。

「不審な人影を発見」
「人数は１人のようだが…？」

斥候の怨霊が何かを見つけたようだ。シュガーにも革靴が砂地の砂を噛む足音が聞こえる。

ブランチマンの介抱をしていたシスターであった。黒い霧がパリパリと電光を発しながらシスターの黒衣から漏れ出ている。シスターはひたと立ち止まり、胡乱な視線をシュガーに向ける。シュガーの心臓がドクンと高鳴った。やはりあの女、怨霊が見えているようだ。

シュガーはその質問には答える術はなく、斥候の怨霊達にもシュガーの声を伝える術はない。

シスターは両の手を広げ、眼を閉じる。その様はシュガーがあの世とこの世をつなぐ術式を実行する様子とよく似ていた。

シュガーは息をのんだ。霧の雷光の中から、威風堂々たる戦士の亡霊が次々に現れる。黄金色のギリシア風兜を被った精強な男、ひげ面の屈強な男達、アマゾネスと思われる女戦士の一団…さらにはシスターの背後に光る円が出現し、待機状態となっている様子が見えた。「魔力の加速円」と呼ばれる魔術であり、エンブリオとは別系統の攻撃補助魔術であった。

シュガーは知盛の霊に向かって叫ぶ。すぐさま知盛の配下の霊が鏑矢を放ち、鋭い音を辺りに鳴り響かせる。ついで、シュガーは魔ウィスプを介して斥候に出した物ウィスプに連絡し、急ぎ川辺の方向を教えるよう命じた。

シスターのいる方角とは反対の方向でバーンという雷が落ちた。シュガーは急ぎ荷物をかき集めて走り出す。アニマや知盛の霊もそれに続く。

トロイア勢とは名にし負う大霊である。彼らはトロイ戦争の折、城郭都市トロイアに籠城し、ミケーネの名だたる英雄達と激闘を繰り広げた軍勢なのだ。西洋文学の源流とも言えるギリシア古典文学において高々と歌われる彼らは、霊体としても極めて強力である。迎撃体制の整っていないシュガー達平家側に勝ち目はない。

シュガーは全速力で雷鳴へと走る。斥候の怨霊たちの目を通してシュガーが見たのは、トロイア勢が弓をつがえて引き絞り、待機状態になっている魔力円からトロイア勢の矢に魔力が補充される有り様であった。そして、トロイア勢の総大将と思しき、黄金色の兜の男が、まさに「放て」の下知を下す姿であった。

トロイア勢の弓から魔弾が唸りを上げて次々に発射され、それら矢は霧を打ち払いながら、弧を描いてシュガー達へと飛んでくる。シュガーは走るのを止めて地に伏せ、知盛らも矢立を立てて防御態勢に入る。恐怖がシュガーの臓腑を凍りつかせ、見るもの聞くもの全てを凍りつかせていった。まるで、時が止まっていくかのようであった。

凍りついた時間の中、シュガーの耳に安徳帝の霊の声が届く。すぐさまシュガーは奥歯を噛みしめ、あの世とこの世とをつなぐ術式を履行する。シュガーの周囲の砂地がドロリと溶けて水面のごとき有り様となり、その水面からざぶんと平家の唐船が中空へと浮かび上がった。

トロイア勢の魔弾は唐船へと殺到し、炸裂する魔弾の最中で唐船の船体はバラバラに砕け散る。バラバラとなった唐船の中から安徳帝の霊がちょこんと飛び降り、知盛の霊が血相を変えて安徳帝の霊へと駆け寄った。

シュガーはスレイプニルを呼び戻し、ネクターを食わせて飛び乗った。斥候に出ていた重衡ら平家の怨霊たちの騎馬も合流し、全速力でその場を後にする。平家の騎馬武者と並んで、シュガーは六本足の駿馬に乗って砂地を駆け、シュガーはようやくこうやく川辺へとたどり着いたのであった。シュガーはスレイプニルから落ちるように下馬し、水筒から水をあおって一息ついた。

シュガーと平家の怨霊たちは頷き合う。そして、シュガーの集中力が切れ、浮世とこの世を繋ぐ術式の効力が失われると、平家の怨霊たちは潮が引いていくかのように消えていった。しかし、休む間もなくシュガーは水辺のキャンプサイトを目指して移動を開始する。シュガーも疲労の極みにあったが、他のパーティメンバーのことが気が気ではないのだ。

ふいに辺りが暗くなった。

めまいではなさそうだが、と、シュガーが顔を上げると、山のごとく巨大なイカがシュガーを見下ろしていた。大王イカであった。大きな眼がぎょろりとこちらを向き、シュガーを睨みつけていた。シュガーの脳裏に、かつて川辺で敗北した時の記憶が蘇ってきた。あの時は広庭への橋は敵のエンブリオに封鎖されており、シュガー達はより危険な砂地への敗走を余儀なくされた。今回も同じなのではないのか？　自分はより危険なところに追い詰められたのではないのか？　あのシスターによって…死地からどうにか逃げおおせたと思っていたが、逃げた先こそが死地であり、罠の只中であったのだ。

そんなシュガーの耳元に、しかし、今日も今日とて冥府からの声が届く。朗らかで何かを楽しんでいるような声であった。

シュガーはニヤリと笑ってみた。平家の怨霊と共にある者は、例え倒れるその時においても、すでに滅び去った彼ら怨霊達に恥じぬ振る舞いをしなければならないのだ（でなければ怨霊たちは怨霊拳の使い手に見切りをつけるだろう）。死地においてニヤリと笑う。それが怨霊拳の継承者の生き様なのである。

シュガーはよろよろと立ち上がり、大王イカを睨み返す。すると、どこからともなく声が響き渡る。

ズゥゥゥン・・・・・ッ！！

巨大生物との間に割って入るように、勢い良く何かが落ちてきた！！ 立ちのぼった土煙が晴れると、そこには小さな少女が立っている。乱れた長い金髪に紫の瞳、小柄な少女。魔女っぽい帽子と黒のワンピースを身につけている。

イカに魔女。

シュガーもアニマも急転する事態を前にして目を丸くする。

大王イカに立ち向かう小さくかわいい魔神さまを見て、シュガーはそう思うのだった。

シュガーは怨霊と会話をしているようです

シュガーは怨霊と会話をしているようです…

シュガーは怨霊と会話をしています…

シュガーは怨霊と会話をしています…