「後悔しない？」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―――― 今更の確認




「というわけでこの子私が飼うわ。名前ももう決めてあるの」
　レージェント。建国三百年の歴史を誇る大国。世界の半分とも言われる領土を支配するのはたった一人の女王。
　その女王に刃向かえる者など存在しない。存在しないのだが、意見できる個人ならば居る。
　頭痛を隠そうともせず片手で額を抑えた黒髪の男がそうだ。
「……陛下、私以外の者にも解るように説明を」
　国軍を預かる通称『軍団長』。私が死に瀕したあの日、女王アラトが戻るまで見守り役をしていた。外見は解らなかったが声で解る。軍服と要所のみを守る鎧しか身につけていないが、見た目に反しというべきか一番の実力者だ。
　軍団長の視線の先には彼の君主である女王アラト、そして白い病衣に身を包んだ私。
　一の玉座に座った女王アラトに背を向ける形で2mほど先に私が立っている。丁度私を挟むように置かれた机と椅子には国の重鎮たちが勢揃いしていた。ちなみに軍団長は女王に最も近い席である。
「三日前の西方防衛戦で拾ってきたこの子を、私の私兵にしたいのよ。役職としては騎士ね」
　全員の目が私に集中した。驚くのは視線の質だ。疑惑や困惑はあれど差別的なもの、侮蔑といった感情がない。魔属は人間を見下しているというのが常識とされていただけに不思議だった。
　四十がらみの男が意を決し、心底困った顔で口を開く。
「いきなり過ぎませんか？　病み上がりでしょう」
　吹き出しかけて慌てて飲み込んだ。軍団長が求めた『説明』があれでいいのかという困惑、そしてあまりにもあっさりと受け入れられたことによる衝撃である。
　女王アラトはどこか得意気に微笑した。
「だからとびっきり強いのを選んであげたわ。多分前より元気なはずよ？　ね？」
「はい」
　突然話を振られて驚いたものの即座に肯定する。病み上がりとは思えないほど身体が軽いのも事実だったし、精神面でもかなり余裕があった。
　敵に捕まった場合どうなるか、というのは凡そ決まっている。なのに驚くほど落ち着いていた。
　今の私は理解していたからだ。魔属は、人間の敵ではない。人間では、魔属の敵になどなれない。
「こう言ってるし大丈夫でしょう。お披露目終わりね」
「お待ちください。せめてもう少し騎士の役割を説明して頂きたいのですが」
　どこまでも頭の痛そうな軍団長である。自分が原因の他人ごとながら同情を禁じ得ない。
「今まで貴方にやってもらってた護衛。剣であり盾というところね。後は身の回りの世話」
「身の回りの世話とは」
「服選びも含めて着付け、あとは食事。私一人のために厨房動かすのもそろそろ非効率が過ぎるもの」
「立場は？」
「私兵だから私の直属になるわ、貴方に続いて二人目。政治的地位はなし」
「……本当に私兵というかむしろ雑用係もいい所ですが、でしたら問題はないでしょう」
　ないな、と全員の顔にさっと目をやる。揃って異論なしと頷くのはさすがのまとまりだと感心した。
　大国の重鎮というともっと反論したり諌めたりしそうなものだがここは例外らしい。一気に場が緩み解散の雰囲気になる。
　女王アラトは鷹揚に頷くとぱん、と手を叩いた。
「これで議題はおしまい。式典用に誓いとかを考えておくわね。最後にこの子の名前を紹介するわ」
　視線を私に集め、弾むような声で彼女は綴る。名を名乗れない私に漸く与えられた名前だった。
「コノエ。近衛騎士よ」



「やぱり一人じゃダメよねえ……」
　甲斐甲斐しく私の世話を焼くコノエ。レージェントでただ一人の騎士である彼は常に私の傍にいる。朝起きて休むまで、常に。
　今は執務室、と扉一つで繋がった調理室兼食堂でお菓子を焼いている。その姿はエプロンの下にサーコート、更にその下に鎧を着たままだ。何もかもそつなくこなす彼は非常に役立っていた。
「コノエ。お休みとか欲しくない？」
　背中に声を掛けると特には、と返事が返ってくる。任命して一ヶ月もの間ひとりの時間もなく休みもなしで働いているはずなのにこの調子だ。話によると趣味らしい趣味もなくストレスも特に感じていないから不要だと。
　鎧下は味気ない黒いシャツだし、パンツに至っては鎧用のものしか持たない。人間じゃなくなっても人間らしい生活まで捨てなくても良いのに。そう言ったところ『今ほど人間らしい暮らしをしたことはありませんよ』と返されてしまった。日がな一日それこそ朝から晩まで立ちっ放しでも、眠る時すら気が抜けなくとも。
「それじゃ、今まで休みの日は何をしてたの？」
　レモネードとレアチーズケーキを並べるコノエを見上げる。私の顔を見、視線を逸らすようにして考え込んだ。
「……女性とお茶をしていました。それだけですが」
「意外というか妥当というかって所ね。おすすめとかある？」
　苦笑しながらコノエは首を振った。私と彼の『お茶』の概念は割りと遠い場所にある。
「相手は売り込みですから。駆け引きもどきを肴に不味いお茶を楽しんで終わりです」
　元は傭兵だったと言っていた。戦場を渡り歩く彼らの周りには市場が生まれる。物が流れ金が動けば商売が成り立つ。男が消費側になるのなら、消費されるのは女に他ならない。一般論での話であるが。
　ちょっとだけ質の良い酒、そこそこ見れる女に有り金をはたく仲間。彼らには彼らの人生があるのでコノエは何も言わなかった。同時に何も言わせなかった。命も金も惜しんではいないが使い道は自分で決める。そう言って。
「そういう意味では彼らは幸せだったと思いますよ。私のように使い損ねませんでしたから」
　あの日に放った魔力の滝は最前線に追いやられた傭兵団は勿論その後ろの正規軍まで届いていた。人間の生存者なし。全ての屍を順々に見て回り、彼の仲間もそうでないものも全て鏖にした。
　それ自体はなんとも思っていないけれど、少しだけコノエが楽しそうなのが印象に残ったのである。

（からかわれると居心地が悪そうに視線を足元に泳がせた）

（投げかけられたいくつかの話題にはあえて答えずにいたようだ）