すでに陽は落ち、辺りを占める暗闇に、地面を激しく叩く雨音が響く。
大きく肩で息をしながら、相手の挙動を注視する。
暗さで視力は使い物にならず、雨音が追い討ちをかけるように聴力すら鈍らせた。


―― 迂闊には動けない


間合いを伺いながらジリジリと、時間だけが過ぎていく。
このままでは埒が明かない。
ふっと息を吐き出すと、思い切って相手の懐へ飛び込もうと歩幅を広げ………。


グシャ……


ぬかるみにハマる感覚と、なにかを蹴った感触。
思わず目線が足元へ逸れる。
そこにあったのは、見知った男の子だったはずの………。

心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走り、息が詰まる。


―― ダメだ気を散らせてはいけない


慌てて視線を戻した時にはすでに遅く、目の前には飛び掛ってきた獣の大きな体が迫っていた。
咄嗟に剣を水平に構え牙を受け止めるも、あまりの衝撃に獣もろとも倒れこんでしまった。

「ごほ……っ」

背をしたたかに打ちつけて息が止まる。
苦しさに空気を求め開いた口へ、降り注ぐ雨水が喉を打ちむせ返る。
一連の流れの中で執拗に迫る攻撃は止むことなく、徐々に体力が奪われていく。
弾き返すことは容易ではなく、逃げることも叶わない。
いや、元々逃れるすべはなかった。
長く伸ばした髪を、獣の前足が押さえつけていたのだから。

雨水が喉に詰まる。
腕が痺れてきた。
目が霞む。

霞んだ目の端に小さな手が見えた。


―― ああ…私も、あんな風に


どうして一人でこんな所へ来たのだろう。
伯母に剣を習い、日々稽古を欠かさず。

だからそんな私は強いと？
一人でも大丈夫だと？

なんて馬鹿なんだろう。


涙が滲んだ。


もういい
願うなら、少しでも苦しまないように


ギュっと瞳を閉じた。



「ギャン…！！」

甲高い鳴き声とともに、腕にかかっていた重圧がなくなった。
どうしたのだろう？
ゆっくりと目を開け体を起こすと、私は言葉を失った。
目の前にはよく見知った背中が…病で床に臥しているはずの、伯母の背中があったから。

「ロジィ………ど、どうし
「この馬鹿者が！！」

激しい雨音を掻き消して、彼女の怒声が辺りにこだまする。

「どうして頼らなかった！　周りに……私に！！」
「だ…だって…」
「一人でなんとかできるとでも思ったか？　そんな訳ないだろ！！
村の男どもを見下しているのか？　私はもう使い物にならないと思ったのか？
それとも、お前は死にに来たのか？　……どう、なんだ…」

声のトーンを意図的に落とし気を鎮めているのかも知れないが、
捲くし立てる言葉と苛立たしげ地面を殴りつける様が合間って、
彼女がとても恐ろしいもののように思えた。

「ち…ちが
「自分を守れないやつに他人が守れると思うか？　思い上がるな！！」

身がすくみ上がり、手から剣が零れ落ちる。
俯いたまま彼女の顔を見られない。
それは恐怖だったのか、それとも悔しさだったのだろうか。

「自己犠牲なんてクソくらえ！　その上に立たされる奴の気持ちがわかるのか？
命を一つ余計に背負うことになるんだぞ！　自己満足も…大概にしろ！！」

伯母の怒りは収まらず、後から後から言葉が溢れ出してくる。
時に言葉に詰まりながら。
時に苦しいものを吐き出すように執拗に。

「私が…私がどれだけ苦しんだと…」


どこかおかしいような気がした。
この言葉たちが、他の誰かへ向けた文句にも思えた。

私はゆっくりと、ゆっくりと顔を上げた。

「？！　ロジィ後ろ！」
「？！」

体当たりされ気を失っていた獣が、戦いの集中力を欠いていた彼女に襲い掛かる、まさに瞬間だった。
しかし時すでに遅く、慌てて振り返った彼女へ勢いよく牙を立てる。

そのまま獲物を食らうように左の耳を


引きちぎった。


宙に舞う　あかい　花。
たゆたうように優雅に。
宙を舞う　あかい　はな。
目を見張るような鮮やかさで。

―― はな？


―― ちがう


―― これは彼女の



刹那、視界が真っ赤に染まる。

伯母の、苦痛にゆがむ顔が。
伯母の、振り絞る叫び声が。
伯母の、頼りがいのあった背中が崩れ落ちる様が。

赤く染まったその光景が、今も焼きついて離れない。


気が遠くなる。
そんな訳にはいかないのに。


すぐそこで、バシャバシャと泥を踏みしめる音が聞こえる。

しかし確認することも叶わず、私はまたしても、小さな沼と化した地面へと倒れこんだ。

スィナン達との試合を終えて再び相対する2人。
男の眉間には少々皺が寄っているように見える。

なにか聞こえたような気がするがよく聞き取れなかったようだ。

なんだ？と言わんばかりに濡れた鼻先をぴとっと頬にくっつけてきた。

―３人で野道を歩く。冬の風もなぜか心地よい。―

――…遠くからずっとずっと眼帯の男と白黒ウサギが手を振り続けている。――…

道を…外すことはない…。

悪いな、と。躊躇う笑みを浮かぶアデルに、

じっと、真っ直ぐな視線を向けるアデルに気恥ずかしさを感じ、俯く