ツグミは森に居た時と同じように、視線をふらふらと彷徨わせている。森に居た時よりは、足元には気を付けているらしい。水際を行き過ぎて川に突っ込むということはなかった。
何故そうしているのか、何がツグミをそうさせているのかは結局今になっても分からず仕舞いだった。勿論本人には問いただしていないままだ。私が分かっているのは、ツグミが落ち着きを見せなくなったのと左肩が痛むと言い出したのはほぼ同時期であること、屋敷に居るときはしきりにどこかへ探索に行きたがること、そして行軍の最中に視線を彷徨わせて何かを探していること――これだけだった。
ある程度の推測は立てていた。この一連の行動は、ツグミが能動的に行っているのではないということは絶対的だった。

――すなわち、精神の高揚、欠損、感情の増幅などありとあらゆる事象が起きる可能性が秘められており、それらの精神に起因する行動を阻害した際には精神が一時的に崩壊、錯乱するに至ると考えられる。

我々『能力者』を分析した科学者が残した論文の一節を私は思い出す。能力を得た時と同じくして、我々は何かを失くしている、らしい。
その何か、とは精神的なものであるという結論じみたものは出されていたが、私には全く思い当る節はなかった。胡散臭い科学者が（そう言うと間接的に真那霞を侮辱しているような気さえした。しかし彼女の研究姿勢は私の知っている科学者と大きく異なっていた。彼女はまだ、まともな方なのだろう）提示した仮説に固執する気はさらさらない。
しかしツグミは、と言えばこの仮説に当てはめれば全てがしっくりと納得のいくものであった。勿論この仮説が当てにならないものだったにせよ、ツグミの自主性は少なくとも私が出会った以前より失われている。
そう、自主性がないのだ。自分から何かをするということがない。
大体の場合は私が呼びかけてやることで行動を起こすし、日常生活に必要な行動については、生きる上で必ず行わなければならない、とルールのように言い含めておけば事足りた。決して記憶力が無いわけではない。むしろツグミは物事をよく記憶していた。
そのツグミが何か行動を起こすとなれば、命令されているか強要されているかのどちらかだ。
何かに命令されているのだ。例えば『何かを探せ』と――何か、については私もはっきりとした答えを用意出来なかった。というよりは認めたくなかった。
命令しているもの、探しているもの、この二つにエンブリオ――私が見ることの出来ない得体の知れない何かを当てはめれば、すんなり正答と思しきものを導き出せることを。
ツグミに一言問えば、彼はきっと答えを話すだろう。その場合、私の見立てとそう違わない答えが返ってくるに違いなかった。
ただ、私が関与できないものにツグミが囚われている――この事実を私は認めたくないのだ。
だから私はツグミに対して何も問えなかった。問うことが出来なかった。

「ねえ、ユーくん」
眩暈のしそうな呼び名に私は振り返った。私のことをそう呼ぶのは屋敷の中で一人しかいない。
「トーカ。何か用かい」
いくらか目線を下げたところに彼女の顔はあった。ルクリやカレンもそうだが、彼女たちはツグミより背が低い。こちらを見上げているトーカの顔はいつもよりも神妙な顔つきだった。彼女の赤い瞳からは、不信や不穏といった様子が読み取れる。私に向けてこのような顔を見せるのは珍しかった。彼女は底抜けに明るい様子が常だったからだ。
トーカは私を見て、さらにその横に居るツグミを見た。ちょっと、と手招きをする彼女に合わせて姿勢を低くすると、トーカは耳元で声を潜める。ツグミには聞かれたくないことか。
「あのね……つぐみんの様子、おかしくない？」
事実を――恐らくは屋敷の人間がほぼ知るところの異変を、面と向かって問いただす者は少なかった。少なくともこうして彼女のように直球を投げてくる者は居なかった。
「トーカ」
「久しぶりにユーくんたちと行動するからそう見えるだけなのかなあ、と思ったんだけどね？　何だか違うのかなあ、と思って……」
確かにトーカと行軍する機会は少なかった。戦力の分散を考えてのことだった。しかし今回は珍しく皆の行先が同じなので、道中は揃って行軍している。全員が揃うのは久しぶりだった。
とにかく、トーカの言葉は的を得ていた。
「ああ。最近ずっとこの調子だ」
私は特に声を潜めることはしなかった。私の言葉が気にかからないくらい、ツグミは上の空だったからだ。視線は上空や水面を彷徨っている。トーカは私の態度にいくらか驚いた。
「ずっと、って、何でそうなってるのか知らないの？」
「検討はついている。ただ、私には出来ることがないんだよ」
そう、何も。何も出来ることがないのだ。酷く苦々しい気持ちだった。
どこかで爆発音がした。また木や獣でも吹き飛ばしたのかもしれない。能力がこうして制御できないという現状は、落ち着いて運ぼうとすればするほど限界まで注がれたコップの水面が溢れるのと似ていた。気にすればするほど力が入ってしまう。
「ユーくんでも出来ないこと？　そんなの、あるんだ」
「私にだって出来ないことは、いくらでもある。……例えば、私には魔法は使えない」
魔法などというファンタジーめいたものは、私の世界では存在しなかった。能力者の持つ能力は物理法則を捻じ曲げるものではあったが、それらは魔法などという括りにはされなかった。今でもトーカやカレン、真那霞が繰り出している技は――辛うじて視認こそ出来るものの、仕組みは理解することが出来なかった。勿論仕組みが分からなければ使えることはない。

「でもでも、本当に？　本当に何もできないの？」
「……………………」
その時の私はひどく渋い顔をしていたに違いない。
「なんかね……上手く言えないけど、今のつぐみんは絶対変なんだよね。誘われてる、っていうか呼ばれてる、っていうか……そんな感じがするんだ」
「探している、ではなく？」
私は反射的に聞き返して、すぐにしまったと思った。
トーカは数回瞬きをした後、腕を組んでうーんと唸った。全くの第三者、部外者から見ればものの見え方が違うらしい。
「探してる？　確かに、探してるように見えるし、実際そうだよね。……でも、何で探してるのかって言えば、探し物に呼ばれてるから……っていうのが、しっくり来ると思うんだよね」
ここで私の仮説は、いくらか外れているのかもしれないと考え始めた。
エンブリオに命令されて何かを探している。これは正しい。その何か、というのも恐らくはエンブリオのはずだ。
私の知っているエンブリオとは森の中で見た光り輝く鸚哥、あれのことだ。つまりあの輝く鸚哥が命令をして、ツグミが他のエンブリオ、もしくはそれに代わる何かを探す破目になっているというのが私の中での仮説だった。
しかしトーカの思う所を反映すれば、命令しているのはすでにツグミと通じ合っているのであろう輝く鸚哥ではなく、まだ見ぬ未知のエンブリオだ。呼んでいるのだ。自らを見つけてほしいが為に、探すように命じて。探すことの手助けに成り得るのだろうか、恐らくはツグミにしか分からない方法で自らのところへ手繰り寄せるように呼んでいる――。
急にツグミが私の元から離れるような気がして、酷く眩暈がした。思わず行軍の足が止まる。
「ユーくん？」
トーカは私のことを心配したが、それよりも強く握りしめ過ぎたのか、繋いでいたツグミの右手が血の気を失って白くなっていることの方が事だと思ったらしい。その事を指摘されて、私は思わず手を離した。離してしまった。

「つぐみん大丈夫？　ユーくんはつぐみんが心配なんだよ。だから怒んないであげてね？」
「………………………………………………」
ツグミは顔色一つ変えた様子がなかった。
「もう、つぐみんは左腕痛いんでしょ？　それなのに、右腕も痛くしちゃったらダメじゃん」
私は何も答えなかった。トーカの言葉に言い返せなかったのではない。ツグミが私の元を離れていくような、そんな妄想が頭の中を支配して離れなかった。頭から血の気が引き始めているのが分かった。気分がすこぶる悪い。
いつか、私の元を離れてしまうような。
鳥籠から飼っていた小鳥が飛び立つような気分だった。
何故――自由を求めて？
「…………」
いや、そんなことは『あってはならなかった』。
ツグミは、私の元で庇護して然るべき存在だ。それは何があっても揺らぐことは許されない事実だった。
一人では食事も取らず、身動きすらしない少年を、ツグミを世話する人間は今は私しか居ないのだ。

「……………左腕……」
私は呪われたような心地で、やっとそれを絞り出した。ツグミは依然として、左腕――刺青が施された肩に痛みを訴えている。この話はトーカまで聞き及んでいるらしい。原因が分からないということで、随分話は大事になっている。
「でも、ずっと痛いと寝るのが大変だよね。つぐみん、ちゃんと寝てる？　だいじょぶ？」
「………………………………………………」
「いや、ちゃんと寝てはいるが……」
何も答えないツグミの代わりに、何とかそれだけを口にした。実際、ツグミが寝ていることを確認してから私は寝るようにしているのでそれは間違いがない。
「……ツグミ。そうだろう」
私は会話をある程度放棄したくて、続きを話すようにと意図的にツグミに矛先を向けた。気分は全く晴れないままで、目の前を暗闇が覆い始めているようだった。私の言葉を受けてツグミが口を開くのに、少しは安堵したものの。
「………………………夜は、痛くない…………………」
私が知らなかった事実を平然とツグミは口にした。
「………………………昼は…………いないから、痛い…………」
「わあ、つぐみんがこんなに話してるの、私初めて聞くよ？」
喜ぶトーカをよそに、私は何も言うことが出来なかった。
私は、ツグミが返す言葉はおおよそイエスかノーか、それだけを期待して、予測して話を振った。それなのに、その答え以上の言葉が返ってくる。違和感しかなかった。何かがおかしい。私とツグミの間に、何者かが介入している気分だった。
何者かが――こう答えるように、と助言を施しているような。
自主性のないツグミの意思を、外に出す手助けを施しているような。

「………………………いない………………………」

ツグミの視線は宙を彷徨っている。

「………………………………リン、どこ………………」



私はとうとう、その名前を聞いてしまった。

揺れる水面を、じっと見つめている

そうは言っているが、酷く顔色が悪い……

System Message : M.E.E.駆動...出力...30%...40%...50%...M.E.E.戦闘出力確保......

System Message : M.E.E.駆動...出力...30%...40%...50%...M.E.E.戦闘出力確保......