「――冬花。そんなところにいたのか。調査は終わったぞ、この辺りならしばらく無事に休憩出来そうだ」

人差し指と親指で挟んで日に透かしていた何かから、視線を下ろす。それは、少女が約束の花の栞を見つけたあの時のような。

「……先輩、お疲れ様。野営の準備は、ユパック達と済ませておいた……ご飯は、まだ。スルメなら、すぐ用意できるらしいけれど」

「ああ、助かる。……でも、イカはもういいよ」

水辺で嫌というほど烏賊尽くしを食べたしな、と言葉を零しながら、少年の興味は冬花の手元へ。

「――そいつは？」

「……私も、一生分のイカ焼きは、あの時に食べてしまった気がする」

何せ大きいから、と遠い目をしつつ。問いに視線を移して。

「……『星奏石』というらしい。さっき、トリスからもらった……のを、偶然出会った猫さんが、こうしてくれた」

腕を下ろし、彼に見せるように差し出す。その動きに合わせて、コサージュに添えられた鉱石の星の結晶が、遊色に煌いた。

「『星奏石』……」

少女の紡いだその名を反芻して、花飾りをまじまじと見つめる。
祈りの花の生花をそのまま永遠のものとしたコサージュに彩られた、星空を映したかのような石。
夜空に瞬くそれが手の届く距離にあるのは、少年にとってはなんとも不思議な感覚だった。

「綺麗、だな」

「……うん、とても」

少女も、手元にある夜の空に、見惚れるように目を細めた。

「あちらにも、同じような石はあるのだろうかと、少しだけ。……こういうものには、詳しくなかったから」

それから、今度は顎を上げ、本物の空を見つめる。何かを思い出すように、遠く。

「……星に関するものだったら、石蕗先輩だったら、知っていたかもしれない」

少女の口にした名は、二人にとって馴染み深い――けれど、少年にとっては思い出したくないものでもあった。

「ああ、先輩か……」

ぎこちない微笑を浮かべてそう返すと、見上げた冬花とは対照的に、俯き気味に。

「そう、だな……」

「……先輩？」

視線を下ろし、疑問を含んだ声で呼ぶ。彼の声は、明らかに気持ちを落としているように聞こえたから。

「……なにか、あった？」

「――ああ、いや。なんでもない。……はは、イカでも当たったかな」

そんな言葉でお茶を濁して、少年は空を仰ぐ。
頭上に満ちた星を見れば、嫌でもメルンテーゼに飛ばされる直前のことを思い出してしまう。
十二月十四日、この空のように星々の降り注いだ、『双子座流星群』の日。
あの時も、星空ばかりは、こんなに綺麗で――

「…………」

じっと。どれぐらいの間か。冬空の瞳が少年を見つめていた。
彼が何かを隠したと、それだけはわかっていた。星空を見上げる少年の瞳に悲しみがあったから。
何も言わずに、少女もまた、夜空を滑り落ちる星々を見上げる。
それからまた、少年を見た。例え、彼が目を合わせてくれなかったとしても。

「……先輩」
「何かを一人で抱えることは、とても辛くて、優しいことだと思う」
「でも、私は」
「それがもし、私を思って抱えているものだったとしたら。それで先輩が苦しんでいるのだとしたら。それは、……してほしくない」

少女の言葉に、魔異は一瞬目を伏せる。
それは罪悪感からか。それとも彼女を思い遣る故か。
そうして観念したように、再び視線を少女に合わせ、ゆっくりと口を開いた。

「……会ってるんだよ、俺。メルンテーゼに来る直前に……こんな風に流星群の見える空の下で、先輩に」

「…………」

交わった視線。その言葉の意味を理解すると同時に、少女の冬青の瞳が見開かれて行く。

「……それは。つわぶき、せんぱいが……」

彼が僅かにぼかした事実をはっきりと紡ごうとして、止まる。
けれどそれは、受け入れたくないという思いからではなく。

「それは……おかしい。彼女が、そうなら、先輩と同じなら……」

言葉が、口の中で絡まる。動揺は、していた。一度小さく深呼吸をして。

「あの人の『瞳』には、何もなかった。私は、一度も何も、見たことがない」

自分もまた、自分の知っている事実を確りと告げる。

「――何、だって？」

嘘だ。そんな筈は無い。少年は、心の中でそう繰り返す。
自分は確かに彼女と戦った。命のやり取りをしたのだ。

「俺は確かに、先輩の口から聞いたんだ」

カノッサ機関のナンバーナイン。フードを被った裏切り者の処刑人、『絶氷の魔女』ルーフレンテの正体。
それこそが石蕗氷織であると、本人の口から、本人の声でそう聞いたのだ。

「先輩が、邪気眼『エターナル・フォース・ブリザード』の所有者だって」

「私は、その時の彼女にも会っていないから、はっきりとした事は何も言えない。
　……けれど。炎を操る彼のように、純粋な悪意のそれでは、なかったのかもしれない」

「だとしたら、先輩は……」

最早かつての面影などどこにも感じられない程に豹変してしまっていた彼女。
以前に相対した時は、取り付く島さえ無かったけれど。
今はそれが、逆に少女の推論の信憑性を増している。
『力の暴走であったなら？』　『誰かを人質に取られていたなら？』
あの時は、戦う他は無いと信じて、携帯からメモリーまで消して覚悟をしたけれど。

「……先輩は、俺たちの敵じゃあ、無いのかもしれない」

「もし、本当の意味で、彼らの側にいないのなら、……私は、彼女を救いたい」

彼の言葉に頷きながら、助けたいと、少女は言う。また、以前のように、共に星を見たいと。瞳を伏せながら零す。

「その為にも私達は、元の世界に戻らなくてはいけない」

「……ああ」
「ごめん、冬花。……正直、大分救われた」

ことりと首を傾げてから。その唇がほんの僅かに綻んで。

「これぐらいは、お安いごよう」

そう、戯れ混じりの言葉を零した。

けれど、一つだけ。あれが『よくないもの』であることだけは、何となく感じられていた。
だからこそ、あれが視えなくなったことは、喜ばしいことだったのだと――

侵食度
590/666

エンブリオ契約できる熊を求め、案山子のグリズリー目撃情報を頼りに森を進むマコト一行。
確かこのあたりであった。と案山子が板に記したのを合図に各自でグリズリーの捜索を開始したのだが、
案山子が低い崖に空いた横穴を発見したところで、事は発生した。

洞穴から漂ってきた黴臭い臭気を、どうやってか感じとった案山子は同行者に臭気の発生源でろう洞穴の存在を知らせる。

カゼヨミが、暗闇に蠢くものを解析する。
一つの影に二つの光。それは瞳。けれども形は菌類のそれ。
すなわち。

気づかれては危険、という事は理解して、ひとつ頷く。
いっぽ、にほ。足場を確かめながら後退していた筈だったけれど、

ぱき。と乾いた小枝が折れる音。
同行している彼らへと、視線。

青年に呼び止められ、振り返る。

何も問題なく自分の方を向いている様子を見て、男は顎に手を当てた。

自分が人間であるかどうか確かめるように、呟く。

どれを言っているのか娘にはわからない。
少年は知らない。物資の事はエンブリオの言葉でわかったと言う事も。

いつもと同じふわふわとした様子で穏やかに告げる。
続く言葉に目を細め、何処か安心したように笑う。

ぱちくりと、瞳を大きく開き驚いた様子で。それからすぐに年相応の顔で、嬉しげに笑って。

それから、思い出したようにぽん、と手を叩き。

そう言うと、ネビュラはカラカラと笑う。
マコトの口調が少し厳しくなっても、その口調は殆ど変化しない。

そう言うと、ネビュラはカラカラと笑う。
その笑い方は、先ほどと全く変わりない。

だが、「俺の眼が妙だからなんだ」のあたりで、笑うのをやめた。

ぱき。と乾いた小枝が折れる音
洞穴の奥から、眼光が一行を射抜く。

――見つかった。

洞穴の奥の菌類はざわめき、殺気立つ。
殺気が森へと伝播する。森も生物達も次々とその身から殺気を放ち始める。

森から放たれた殺気をその身で感じとった案山子は、既に森が自分達に甘い顔をしていないことに気づく。
危険。そう判断した案山子の行動は早かった。
即座に撤退のための補助を自らと一行に施す。

カーキアスの行動の意味を理解した魔異は、即座に仲間に声を掛ける。
それは『撤退戦』の合図。カゼヨミを最大限に展開し、周囲の地形を解析することに全霊を注ぐ。
――ここから、逃げなくては。

縺れないように森を駆けながら、ヤサカの言葉にひらりと手を翻し、風精を引き寄せる。