草木も眠る、丑三つ時とは程ではないが、それなりに夜という状態に差し掛かってきた時間帯、
街に設置されている外灯にぽつらぽつらと白に近い淡い光が灯されていく。
それを一つ、二つ、三つ、あ、あそこの家でも明かりを付け始めた。
街の端に目を移せば、均等に設置されているとは言い難い外灯が建てられているが、一か所だけ点滅してるのがやけに目についてしまうのは、暗がりに近づいているせいでもあるだろう。
こういった事は何処に言えば良いのだろうか。あの辺りを仕切っている担当管理職の家があると思うけど、と何の気なしに取り留めの無い事を考えていた。

「わわっ」

不意の振動。
ブブッ…ブブッ…ブブッ…ブブッ…！
小さな振動音が連続して空気を振るわせようとしているが、音と共に発せられるのは布生地の擦れる音だけが発せられた。
つい先ほどまで、カーフェイネスの周りを覆っていた夜へと移ろうとする静寂の気配が消え、不意に日常へと戻って来た感覚を与えられる。
そんな事を思い、思った事に驚きを得たカーフェイネスは小さく苦笑を浮かべた。胸中に広がった感情がどういったものか分からないまま。
だがそれを思い起こすのを阻むかの様に、振動の主は彼に時間を与えるつもりは無いらしい。
やや焦った動作で目的の物を取り出し、画面上の名前に目を走らせた。
だが彼はそこで表情を変える。困惑と、何やら苦虫を噛んだ人を驚いて見ている様な顔をして。

「はい、もしもし」

『はーい、どうも。元気そうです？はい、お元気そうですね！安心しましたよ〜』

通話ボタンを押し、髪が阻害しない程度に耳へと除ける。髪が掛かったままでも十分に聞き取れるのだが、
耳へと携帯を押し当てる隙間に髪が入り込んできて、あの得も言えぬ感触はどうも苦手だ。しかも電子板の声を拾うごとに髪からその声の振動をダイレクトに内部の皮膚へと伝播させるので、余計こそばゆい。
これをやるとつい、会話を放って耳を後足で掻きたくなる。
その衝動を逃すため……、後の楽しみ……！と心中我慢しながら聞こえた声は、予想通りの声。
耳元から僅かに漏れるテノールに近いその声から、電話相手が男性だと予想できる。

「そちらも元気かい？君が電話なんて何だか久しぶりだね」

『はい、御蔭様で。こちらの父も仕事で忙しそうですがまだまだ働く頑固な所は変わってませんよ。
　まぁそうでしょうね、そちらでは30年程経っていますから。いや〜流石お義兄さん。お変わりなく安心しましたよ』

「君は相変わらずだね。義父さん達も元気そうで何よりだ」

カーフェイネスは見えない相手に向かい目元を幾分か和らげる。

『えぇ。中々義兄さん達が働いてくれている御蔭でこちらの方にも力が入れられますよ。さて、それで今回は、その事についてお電話をしたんですが……姉さんはそこにいますか？』

「いや……。今は僕だけだね」

『そうですか……。それじゃあまた、後ほどお電話を掛ける事にしましょう。すいません、お時間を取らせてしまいまして』

「ううん、いいよ。それにもう終わりだから余り気にしないで」

掛ける時間を取決めた後、ディスプレイを操作してまた元の場所へと納め直す。
そして腰掛けていた枝から立ち上がると、

「あぁ、ごめん」

幹の方へと向き直る。足元にある枝は彼が動くたびに分かれた枝がざわりと揺れる。
彼が足場として立っている枝が、さわさわと揺れる度に緑の匂いが一層広がっていく。
鼻腔が浅い刺激を吸い込むのを彼は尚、それに話しかけた。
そこには、幹から直接生えた枝。人に近い形。その胴体部分から枝と生やした黒い泥があった。
先程まで口と思われる場所から吐き出されていた泥は乾き、幹の根本部分に溜まった泥ははるか地表へと落下していくか、風とぶつかるごとに跡形もなく崩れ去っていく。
胴に刺さった枝を掻き毟っていた跡が目につき、顔を顰める。
トッ。足取りは軽く。うららかな日差しの中、気軽に川べりを散歩するかのように、気軽に。
数多くの敵を屠った拳が、泥の頭部を捉えた。
拳が顔面に叩き込まれ、顔の中心へと沈むように泥が潰れ、塊が砕けるのを感じ取る。
更に気を乗せた一撃は泥の全身へと一瞬で伝播すると

「――――！！」


内部からの強力無比な力に耐えられる事もなく。
もはや強度を失った身体は、体中を走りにける暴力にあっけなくその身を霧散させた。
ぱらぱら、と空中に舞う泥はもはや形を保つ事も出来ずに空へと消えていく。
彼はそれを見届けると、傷ついた枝にそっと手を添え小声で何かを呟くと、そのまま足場の枝を蹴り、空中へと身を躍らせた。
暗闇の森に抱かれた金の獣は、闇の中へと紛れていった。

＞ガル君

>卍人さん

>ガルさん

向き直り、こちらへと厳しい視線で怒りを露わにするガルヴァニナーナ。彼が背を向けた後、笑みを崩す事もなくポツリとそう呟く。しかし――

そして顔を伏せている夫の元へと歩み寄った。

＞卍人

ティシアの後ろに隠れるエレアナ。

モノづくりの意味で。

　看板を持って少女が立っている。

　ここは兵舎だ。良いのだろうか。