不意に考えることがある。
　それは予測なのか、それともただの妄想なのか。
　この一揆が、どう終わるのかを。
　果たして、本当に終わるのかと疑いながら。

　――――――――――――――――――

「ちょ、痛っ、痛い！　もっと優しく……！」

　診療所で包帯を巻かれながら、アムルイは痛みを訴えていた。
　先日、水辺に向かったのはいいが、うっかり侵攻し過ぎた結果がこれである。
　傷だらけのアムルイを呆れたように見つつ、医師は処置を施していく。

「まったく、嬢ちゃんも無茶するねぇ。
　一揆は順調なんだろう？　そこまで体を張らなくてもいいだろうに」

「あはは……」

　確かにそうなのだが、つい勢いで、ということもある。
　どうにか逃げ帰れただけ、まだマシな方だろう。

「でもさ、先生も大変だよね。
　私みたいな怪我した人、毎日来るんでしょ？」

　問いに、医師はアゴに手をやって「ふむ」と頷いた。

「医者は繁盛しないのが一番だが、ここのところは大賑わいだな。
　しかし民のために頑張っている連中を、大変だからと邪険にはできんよ」

「おー……。さっすが先生、人間ができてるね」

「褒めても治療費はまからんぞ」

「……ですよね」

　肩を落としながら苦笑して、ふと、アムルイは今の会話で気になる点があることに思い至った。
　民のために頑張っている。
　医師は一揆の参加者を、そう評した。
　無論、それが全てではないし、そう思っていない人もいるだろう。
　だが現に、そう思ってくれている人もいるのだ。
　これは民を守るための戦いなのだ、と。

　疑問はその先にあった。
　人々がこの一揆をそうだと思っているなら、新王パラダイスは民の敵になる。
　そう。世論は既に、彼を敵だと認識している。
　この国は王国でありながら、王を失っているも同然の状態なのだ。
　アムルイにはそれが、酷く不吉なことに思えてならなかった。

　例えばアムルイは、山の部族の一員だ。
　部族全体に関わることは族長が決め、舵を取る。
　もしも族長がいなければ、部族はバラバラになってしまうだろう。
　だから族長が死んだ時には、新しい族長を決めることになる。

　しかし、この国はどうなのだろう？
　まだ新王パラダイスがいるから、という言い訳は通る。
　だが民衆は、やがて新たな王を必要とするだろう。
　その時、新たな王は誰が、どのようにして決めるのか。
　ただパラダイスを倒すだけでは決まらない気がする。
　いや、それどころか新たな王の座を巡って、今度は何の正義もない争いになるかもしれない。

　考える。倒すだけではダメだ、と。
　それでは誰も幸せにならない。
　ネクターを集める者が変わるだけで、他は同じだ。
　パラダイスの真意がどうあれ、彼を倒してしまってはいけないのだ。

　そこまで考えて、アムルイはひとつの可能性を思い浮かべた。
　それは彼女自身、すぐに馬鹿げていると思った。
　しかしこれしかないのでは、という確信にも似た思いもあった。
　だから彼女は、医師に問う。

「……ねえ、先生。変なこと訊くけど、いいかな？」

「うん？」

「王様ってさ――この国に、絶対に必要なのかな？」

「……嬢ちゃん、それは」

　アムルイは考えた。
　考えた末に、王という概念が邪魔だと気付いてしまった。
　この国は一揆が起きている今も栄えている。
　民が王を敵に回しながら、国はちゃんと機能している。
　王に頼ることなく――民が国を回している。
　ならば。

「私、思うんだ。
　この国は、王様を必要としなくなってるんじゃないかって」

「いや、だが……むぅ、確かに一理ある……のか？」

「だってさ、先生はここで医者をやっていられてるでしょ？
　他の人だってそうだよ。商人も、学者も、聖職者も……みんな、やっていけてる」

　思い描くのは終わりの形。
　一揆の果てに、この国がどう在るべきか。

「だから、王様なんていらない。
　みんなで国を治めて、みんなで国を決めたらいい。
　……先生。そういうことって、できるかな？」

　問われて、医師は渋面になった。
　この国はずっと、王を戴いてきた。
　そういう国であることが、ずっと当たり前だったのだ。

「嬢ちゃん、何を考えているのかは分かった。
　不可能じゃないとは言える。
　だがなぁ、できるとは言えんのだよ」

　様々なしがらみがあり、様々な障害がある。
　しかし一番の問題を、医師は言う。

「何故ならそんなもの、誰も見たことがない。
　たまに暴君や暗君がいても、この国は王国としてやってきた。
　そういう国しか見てこなかったから、それでいいと、みんな思うんじゃないかねぇ」

「でも――今までがそうだったとしても、今まで通りにはならないよ、先生」

　もう、この国は見え始めているのだ。
　学のないアムルイにも、きっかけがあれば見えてしまうほどに。
　新たな王になることを望む者が、現れるとしても。
　王を不要とする国の形を、捉え始めてしまっている。

「私に何ができるかなんて、分からないけど。
　誰かが王様になる国を目指したら、きっと、今まで通りにはならないと思う」

「……そうだとして、じゃあどうするんだ？
　結局のところ、誰かが上に立って、国のこと決めなければならんだろう」

「それは――――」

　それは確かにそうだ。
　アムルイの出身部族のような、少数の社会であれば、平等に意見を求めることもできる。
　しかし国という大きな社会になってしまうと、そんなことはできない。
　必ず誰かが上に立って、決めなければならないのだ。

　アムルイは考える。足りない頭を捻る。
　誰も見たことのない、終わりの先を見るために。
　稚拙な理想を、この現実にぶつけていく。

「――それは、みんなで選んだらいいんだよ」

「選ぶ？」

「ええっと、だからさ。誰かが上に立たなきゃいけないのは、みんな分かってるよね？
　今まではそれが王様だったから、暴君とかも現れた。
　でも、みんなで誰がいいかを選べたら、そんなことにならないと思うんだ」

「ふむ……」

「あと、選んでから、酷いことをするようなら、みんなで辞めさせればいい。
　そういう形なら、この一揆みたいなことには、もうならない」

「――なるほど」

　アムルイの言葉には、まだまだ欠けているものが多い。
　しかし医師は、だから彼女には見えているのだろう、と考える。
　欠けているのなら埋めればいい。
　足りていないのなら補えばいい。
　倒れそうなら支えてやればいい。
　みんなで選び、みんなで決めるとは、そういうことだ。
　それができる、王のいない国を、彼女は語った。
　故に。

「不可能だとは言えないし――できるとも言えん。
　だがまあ、できるかもしれない、と言えるぐらいにはなったな」

「じゃあ、先生！」

「おい早まるな嬢ちゃん、まだその程度だということだ。
　それに賛同してくれる連中を集めて、もっと具体的にしないとダメだ」

「……先生は？」

「俺は医者だ。矢面に立ってないのが、声をかけるのは早かろう」

「むぅ」

　不満そうに唇を尖らせつつ、アムルイは立ち上がった。
　おぼろげだが、どう一揆を終わらせればいいか見えてきた。
　もっと別の形があるかもしれないが、自分が目指す場所はそこだ。
　誰も見たことのない場所を、目指して歩こう。

「――それじゃ先生、また誘うから、その時はいい返事聞かせてね？」

「おう、その前に今日のお代を置いていけ」

「…………まからない？」

「まからんなぁ」

　国の形がどうであろうと、経済の形は変わらない。
　売買契約は、時にエンブリオ契約よりも重いのだから。

あまり納得していない様子のグレンダだったが、
ここまで言って、何か閃いたことがあったのかぱっと表情が変わった。

アムルイが口を挟む暇も無いくらいに熱く語っている。
勇者への憧れはどうやら相当大きなものらしい。

薙疾はそう言ったあと、少し眉をひそめて言葉を続ける。

言っている本人もよくわかってないが、なんやかんやであろう。
メルンテーゼの闇は深い。

悪魔――メルンテーゼにおいても、それは邪悪と力の象徴だ。
曰く、神に背きし者の末路。
曰く、天より堕とされし御使い。
曰く、人を堕落させる悪意の隣人。
以前のアムルイならば、きっと、戦おうとも思わなかった。
しかし一揆を通じて、アムルイも変わっていたのだ。
今、彼女がサタンを前にして思うことはひとつ。

アムルイの目に、悪魔が本能的な何かを悟って、思わず後ずさる。
違う。あれは悪を憎む目でも、力に怯える目でも、困難に挑む目でもない。
一切の差別なく、そこにあるものを食らわんとする、捕食者の目だ。

その独白は、彼なりの戦意の表れか、あるいは虚勢か。
真偽はこの戦いの中で、明らかになる。