彼女とのはじめての邂逅はあの白い空間だった。

「覚えてないの」

たしかに彼女はそう呟いた。
ぼろぼろの黒い外套、それは大分荒く汚れていて伺い知る限り彼女自身もそこかしこに土埃を被った跡がある
フードのはじから覗いた瞳はぼんやりと心ここにあらずといった様子で
どこからきたのだろう、いつからいるのだろう　あの時は本当に沢山の疑問を彼女に抱いた事を思い出される。


程なく天より声を受けて彼女と己の眼前、石畳の上に人の形を成した異形がゆっくり降り立った。

彼だろうか？彼女だろうか？
何らかの神官を思わせるゆったりとしたローブに、床に打ち付け鳴らす杖は猫背気味の体躯を支えるようでもある。
大きな仮面の中には大きな双眸がこちらを捉え離さない。

「願った者　とは何の事でありましょうか。」

私は訊ねた。
願い事なら山とある、でもそれを願い続ける事はきっと特別な事では無いだろう。
内なる欲求を、肉体的な熱望を、人は、人であるからこそ誰もが抱き続ける事なのではないだろうか。
別段特別な事を祈った覚えはない。無いはずだ。　

否、一つある。
あるとすれば…



『その名を改めよう』

思索の間を遮るように、杖を打ち鳴らしながら神官が一声発する。

『氷炎の子、淡雪。　相違ないな』

「……　ええ。」


『君はハイデンベルク領の子女、アリアナシア。　相違ないな』

「Oui(はい)」

名を呼ばれると改めて視野がさっとひらけて行く心地だった。
この感覚は小さな硝子レンズを一つを通すだけで世界が鮮明になる事と似ていて
不思議と意識も締まり、俄かに私という存在を認識できる。

『先も述べたように、君達に役割をあたえよう。
　まず向かうのは淡雪、君だ。
　
　…アリアナシア。君は元より非常に世界とのつながりが希薄だな
　何らかの媒体を作らねば君は彼の地に送る事が出来ない。』

「ウィ、　ああ…」

『彼女の得る何かを媒体とし、君を送り込む事としよう。
　それまでは少し話をしようか。アリアナシア。』









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夜営の中、人の喧騒から少し離れた部分に二人は居る。
いつもどおりの修練にも今回は話し相手がいる。
…正しくは、「いる」のではなく「一方的に喋っている」のが正解だ。
記憶が無い己に語りかける彼女は過去、いつか何処かで逢瀬果たしているらしい。
それがとんと抜けている。　　しかしそれを打ち明けても彼女は「それで正しいのだ」と云った。

彼女の話にしきりに登場する人物がいる。
「彼」は全てを知っている。己の知られたくない事までだ。
そしてそれを彼女は己のいない間に聞いていて、そして分かった風な口をきく。
誰にも打ち明けたことが無いはずの感情を、そして己が内に隠した真実を。

彼女が話す事は何もかも分からない事だらけだった。
ただ彼女に敵意は無い。確かに親身でもある。

己に近づく人間にはいつもこういって遠ざけた。
唯一それを破ったのは我が弟子、そしてもう一人

彼女はかわらず穏やかに続けた。

まるで見透かされているようだ。気分の良いものではないが彼女に言われれば悪い気もしなかった。
拗ねたよう微かに歪めた眉を見てか、柔和に笑みながらアリアナシアは言葉を継ぐ。

その晩
その晩は静寂が耳に痛いほどだった。

アリアナシアの静かな語りだけが時折響き、それを全て聞き届け
その後は静寂のみが残っただけだった。

告げられた彼女曰く「真実」、己の有り様を改めて知らされた癖にすんなりと理解がいく事ばかりで
だから余計と黙り込んだ。



その日だけは今までで一番朝が恋しく、夜の長い日であった。