「似合う？」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―――― カーテンの隙間から

国の三大権力のうち二つが留守にしている代わり。というか留守番役への約束がこれ。
こんなに楽しんで、もとい楽しめてるぞ、というアピールを兼ねた報告。この前の水着姿も勿論送ってある。

端末には直ぐ様反応があり、連絡でもなんでもない怨嗟と罵倒と羨望が並んだ。
着せ替えを楽しむ習慣はあるもののこういった衣装劇（コスチュームプレイ）を楽しむ習慣はない。
この一枚を見れば明らかに主導権はコノエにあり、私は言われるまま流される立場にあるように見えるだろう。
遊びとはいえこういった記録を残せることがコノエの特権といっても良い。
それを解っていて挑発し、望んだ反応を得ているのだからいつもの薄い笑みが今は濃くなっている。

ごく自然に私の肩を抱いたコノエが緩く口を開いた。赤い舌と共に覗くのは白く長い牙。
乱杭歯ではなく元からそう在ったと言わんばかりの美しさを誇るそれは、間違いなくコノエのもの。
振る舞われた大量の南瓜料理とお菓子。そのお礼に悪戯に付き合うのは面倒でも何でもない。
目を閉じ、軽く首を反らした。小さく笑う気配がする。背中に回される腕、絡む指先。

唇に冷たい感触がして思わず目を開けた。
捕食者の笑みと一瞬だけ目が合い、そのまま下へ見えなくなる。

肉を掻き分け潜り込む牙。心地よい熱さと痛みには程遠い疼きがじわりと広がっていく。
皮膚が裂け血管が破れて疼いても痛みは無い。注射ですら一瞬の痛み――異物感はあるのにそれすらも無かった。
浅くはない傷口から血が溢れ、それだけでは足りないと吸い付かれる。
思わず握り返した指からは革の感触が伝わり、その無機質さが首元の熱を際立てた。
不快感はない。微睡みに似た心地良さに身を任せる。




　運が悪かった。嫌でも目に入るのは綺麗に大穴の空いた腹。
　背中をささくれだった木板に任せ、頭を上げることすら不可能な程に疲労している。円形の傷は赤黒く血を溢れさせ今も地面に水溜りを広げていた。
　しかし痛みはない。全くの無痛、血が抜けて目眩がすることを除けば体に変調はないのだ。
　意識を手放せば何の苦痛もなく全てが終わる。最期としては幸せな部類のそれを受け入れたくない。遅かれ早かれ辿る結末は同じでも最後まで抗うつもりだった。
　ここまで自分が死に物狂い――生き物狂いだとは思わなかったと他人ごとのように思う。
「ねえ、死んでる？」
　頭上から女の声が降ってきた。低く、どこか楽しげで甘ささえ含ませている。遅れて視界に入ってくる赤い爪先。
　顔を上げようとしたが力なく揺れるだけに終わる。衣擦れの音で相手が覗きこんできたらしいことだけ理解できた。
　言葉の代わりに血を吐くようになった口からは呻き声すら出すことが出来ない。生ぬるい吐息が少しだけ強く吐出された。
「びっくりした。まだ生きてるの？　すごいすごい」
　四方八方から声が響く。柔らかく温かいものが頭に触れ、撫でられていると理解するまで数秒掛かった。体は浮くようで意識は突き落とされるちぐはぐな浮遊感。
　死にかけている。女にもそれは解っているだろう。
　耳元へ吐息が触れた。聞こえるように顔を寄せてきたらしい。
「生きたい？」
　既に首を振ることすら出来ず力なく指先が跳ねるだけだった。それでも充分だったらしい、女が満足そうに笑う。
「じゃ、少しだけ待ってて。――ちょっと！」
　声が遠くへ離れる。近づいてきたのは銀の爪先。少しだけ強く踏み込まれたのを見るに自分を見て驚いているようだ。
「すぐ戻るから看てて。死なせないでね」
「承知しました。お気をつけて」
「解ってるわ。そうそう、これあげる」
　半開きのまま閉じられない口に柔らかそうな指先が差し込まれる。舌先に触れられた瞬間、衝撃が身体を貫いた。
　美味い。脳髄まで蕩けるような甘さでありながら全身に活力を漲らせる程の刺激。
　急に鮮明になる思考、視界、感覚に驚く間も無く指は離れてしまう。
　追うように伸ばした舌をそっと撫でて女はどこかへ消えた。

「お待たせ。お願いごとは決めた？」
　待ったのは本当に短い時間だったと思う。漸く回り始めた頭で考えたが『お願いごと』の意味は解らなかった。
　なまじ感覚が蘇ったために死んでいく感覚が全てを塗り潰していく。死の否定だけが思考を埋め尽くしていた。
「充分よ。さあ召し上がれ」
　差し出された手は飴玉を摘んでいるように見える。
　指先が唇に触れ、身体が強張り全てが落ちた。




大きな犬に首を舐められている。そんな悪戯の時間が終わり、コノエが首を拭った。布の白さで血が止まっているのを確認する。
そっと抱き上げられ、降ろされた場所は二人がけには大きすぎるソファ。すぐ横には未だ熱々の料理を載せたローテーブル。
横に陣取ったコノエの膝に頭を乗せ目を合わせる。
高いはずの膝枕は首尾よく用意されたクッションのお陰で丁度いい高さだ。

頭を撫でながらお菓子を私の側に引き寄せるのをなんとはなしに観察する。
思えば私がコノエを見下ろすことはとても少なくて、私は常に彼を見上げていた。跪いている時を除いて。
美味しい料理を作ること、苦痛を与えず血を吸うこと。血を栄養にできること。それらは同じところから来ている。
数少ない、私がコノエを見下ろしていた時のこと。




　空腹。何を貪り喰らおうと満たされない飢餓。もしくは渇き。目が覚めた時にもその感覚は残っていた。
　ただしぼやける視界に入ったのは食糧でも天井でもなく、黒髪に赤い目をした女。
「おはよう」
　にこりと笑って掛けられた言葉に咄嗟に反応できない。相手が誰なのか、ここは何処なのか。
　生唾を飲み込む。返事を待つ女を穴が空くほど見つめるしかできない。絞り出した言葉はあまりにも普通だったと思う。
「……お早うございます」
「言葉が通じないかと思った。起きれる？」
「多分」
「あ、でも気をつけて」
　何に、と聞き返すより早く上体を起こすと髪が引っ張られた。思わず振り向けば尚更引っ張られ、次いで銀の滝が肩から腹まで流れ落ちる。呆然と手に取り、梳いて漸く気づいた。自分の髪だ。
「前髪だけ私が切ったの。不揃いでごめんなさいね」
「これは――っ！？」
　背中が盛り上がるような、奇妙な違和感。解放感と言っても良いが、なぜそんなものを感じたのかは心当りがない。
　女がなんとも楽しそうな笑顔でベッドの下まで流れる髪をすくった。埋もれた指先が私の背後を指す。
「翼、よく似合ってるじゃない」
　髪を掻き分け光を遮って伸びる六枚の翼。重さはなく呼吸に合わせて緩やかに上下している。
　大量の情報に頭が追いつかない所に女が追い打ちをかけた。
「改めて自己紹介、必要かしらね？　結構有名人なのだけれど」
　怜悧な印象を与える一重瞼。勝ち気な赤い瞳は眦が吊り上がり、髪は侵しがたいほど黒い。畳まれた翼は葡萄酒の色。
　その特徴は嫌になるほど知っていた。漸く、思い出した。
　レージェント国王、アンペラトリス＝クオレ＝レジェ。人呼んで『残虐女王』。
「よろしくね、敵国の兵士さん」
　私の腹に大穴を開けた張本人が嫣然と微笑んでいた。

しょんぼりと物想いにふけっている所にデコピンがさく裂する。

照れくさそうに俯いているようだ。

慈悲泣き言葉に見事崩れ落ちる。「そりゃボクだってわかってるけどさ」とか「好きで小さいわけじゃ……」とか断片的に聞こえて来るが──泣きやむまで少々お待ちください。

コノエの語りに目を輝かせる。
と、そこに遠くから声が聞こえてくる。と言うか女の子が近づいて来た。

コノエもアリスも無視して話をすすめるアリス(霊)。
そして呼ばれて来る天使のエンブリオ。

アリス(霊)が連れて来た天使とコノエを何度も見比べるアリス。

何度も二人（？）を見比べ──あまりのギャップに膝を付くアリス。
自らが夢見る理想の騎士様と、出来損ないのシーツのお化けが同じ存在と言われて、なんかショック受けてるっぽい。

アクスをぶんぶん振り回しつつ