“彼”は遺物にして異物。
　何の因果か、世界に取り残されてしまった残骸。
　使命も役割も、とうの昔に廃棄済み。
　それでもなお彷徨うは、未練か妄執か。
　生者の唄声を背に、朽ちた墓標に独り立つ。




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　　┃┏╋┓┗┛　Extra　或る騎士の物語
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　――私が久方振りに意識を取り戻した時、目の前には一人の少女がいた。
　歳は十の半ばか、それよりも少し下といったところか。
　私はややもすれば手放しそうになる意識の手綱をどうにか握り、彼女に問うた。

　私には己が何者で、どうしてここにいるかも定かではない。

　この身がどういう状態であるかは把握しているが、何の慰めにもならない。
　そして少女は、少し驚いたように目を丸くした後、優しく笑った。

　少女――アムルイには悪いが、私は黙って首を横に振った。

　些か礼儀を欠くが、名前など失って既に久しい。
　よしんば憶えていたとしても、名乗る勇気が私にあっただろうか。
　生き恥どころか、死してなお恥を晒す無様。
　名前があったとしても、名乗ることはなかったに違いない。
　そこでふと、私はそんなものよりも大きな無礼に気付く。
　私は掛け値無しに亡者だったのだ。
　それがこうして話せる以上、ただの偶然である筈がない。
　そのことに気付いた私は、アムルイに頭を下げた。

　そう。それだけは、違えてはならない。

　今更に過ぎるが、このような身であっても守りたいものがある。
　私の言葉をどう受け取ったか、アムルイは笑う。

　そんなの、で片付けていいものではない。

　ないのだが、彼女の寛容さに少しだけ救われる。
　犯した過ちに許しをもらえて、胸が楽に――――

　瞬間、頭蓋を砕かれたかのような衝撃を受けた。

　アムルイ。君は、君はそう呼ぶのか。
　こんな無様を晒す、惨めな亡者でさえ。

　未練たらしく現世を彷徨って。

　何も守れなかった後悔で、幾年も己を呪い続けた。
　いつしか正気さえ失せ、怨嗟の塊と成り果てるほど。
　こんなにも醜悪な残骸を。

　縋るような問いかけに、彼女は眩しく微笑んだ。

　中身のないこの手を握り、誇るように彼女は言った。

　――ああ、そうか。

　身分や時代が違えども、この子は同じ価値観を持っているのだ。
　いたずらに死を美徳としているのではない。
　誰かを守り、そのために死ぬならば本望だという価値観だ。
　……彼女と出会えたのは僥倖だった。
　結果がどうあれ、私は無駄死にではなかったと、認めてもらえたような気がした。

　そう――そうだ、私は守るために死んだのだ。
　敗走し、河を渡る仲間達を守るべく。
　捨て石となって、この地で追撃を食い止めた。
　稼げた時間はいかほどか。
　ほんの数秒であれ、それで命を拾った仲間はいるのだろうか。
　真実がどのようなものであったかは思い出せない。
　しかし何も守れなかったと、己を呪う理由は失せた気がした。

　問いかけに、彼女は強い眼差しで頷きを一つ。

　私ならば応じてくれるに違いないと、信じ切った様子で口を開いた。

　告げられたのは真っ直ぐな言葉。

　きっとこの兜の中に顔があれば、私は笑っていただろう。
　野太く、豪快に。
　この残骸に、今一度名誉を得る機会を与えてくれたことに感謝して。

　契約が結ばれる。
　この世に私を繋ぎ留めていたものが、怨嗟から誓約へと変わる。
　我が君と共に在る限り、私が正気を失うことは二度とないだろう。

　呼び方を正そうとした時。
　私達は首筋に焦げるような殺意を感じて、咄嗟に身構えた。

　あの敗戦で捨て石になったのは、私だけではない。
　ならば私のように成り果てた者も、私だけではないに決まっている。
　気付けば、周囲には亡者と化した騎士の群れが集まり始めていた。

　いかに優れた使い手であっても、契約を結べるエンブリオの数には限りがある。
　我が君にその意思があっても、彼らの全てを救うことは不可能だ。

　一瞬、僅かに逡巡しながらも、我が君は剣を構えた。

　叫び、不用意に近付いた亡者を斬り伏せる。
　怨むならば怨め。
　呪うならば呪え。
　貴様らの怨嗟、ここで悉く天に還そう。
　そんなものは一片たりとも、我が君には届かせん――！

　吼える声を呪うように、亡者どもが何故と謳う。

　どうしてお前だけが。
　どうしてお前だけが。
　どうしてお前だけが。

　――俺達が望んだ場所にいるんだ、と。

　押し寄せる亡者どもの中央へと切り込む。
　応じて飛び出す者を叩いて割砕。
　怯む者がいないのは、むしろ好都合というもの。
　何も考えずに集う烏合の衆ならば、次から次へと斬って捨てるのみ！

　その答えは決まっている。
　この身は騎士の魂を残骸で鎧うモノ。
　ならば。

　――これが、我が君と駆けた最初の戦場。
　その顛末は最早、語るまでもない。
　私は亡者から、再び騎士となった。

私は思わずそう聞いていた。
異世界から来た私だって、ゴードニアを脅かされたことへの怒りや、
王の行いをメルンテーゼに来て知って、彼を許せないという気持ちになったのに。
ただ、知りたいだけだなんて。それに―――

言い過ぎたと思った。すみませんとすぐに謝ったが、思ったよりも衝撃を受けていた自分自身に驚く。
でも、こんな失礼なことを思わず言ってしまうくらい、アムルイさんの表情は好奇心に溢れていた。

私には考えられない。お父様や皆を苦しめる元凶の考えることなんて知りたくないに決まっている。知ってどうするというのだ。

しかもそれが、恋、だなんて。自分の立場はわかっているつもりだけど、恋に憧れたことが無いわけではない。
それがアムルイさんの言うような物だというのは理解できそうになかったし、正直に言うとそうは思いたくなかった。

そこまで考えてふうと溜息をつく。
アムルイさんと話すのは楽しいけれど、たまにこんな風に話に困る話題になることがある。
何か話題を変えなければ。

……ああ、そうだ。もし、私が知りたいことがあるとすれば―――

私はメルンテーゼに来てからずっと気になっていた疑問を尋ねてみた。
あの勇者の話はよくあるお伽話だとは頭ではわかっているけど、こんな凄い世界を実際に見てしまったらつい期待してしまう。
もし、あの伝説が本当の話で、彼の痕跡をここで見つけることができたとしたら――
ただ、実際に聞くのは思ったよりも恥ずかしいことだったらしい。質問を終えた私の顔は真っ赤になっていた。

苦手だった？と無邪気な笑顔で問うてくるアムルイを見て

手元の"コレ"を見て。

再びアムルイに視線を戻して。

言葉に詰まること数秒。
これが数十秒にならなかったのは僥倖か。
表情は既に数十秒固まっているが。

アムルイが勧めた通り、頭だけを残して"ソレ"を噛み千切る。

そう立て続けに言い放ち、薙疾は足早に去っていく。
料理も出来る相手のようであるし、食文化…特に彼女の世界の食文化について話をしてみたくもあったのだが。

声をかけようとした時には、もう雑踏の中に消えていた。


「魚より馬よりも大物」と言っていた時の薙疾の顔から察するに、自分が先日一戦交えたラズロやブランチマンのような。
そんな強大な敵との戦いを控えているに違いない。

そうであるなら、大きな狩りの前に余計なことを差し挟むのはあまりよくないことだろう。
アムルイは薙疾を見送り、自分もまた狩りの準備をすべく蛍との合流場所へ足を向けた。





一方。
アムルイと別れ、即路地裏に飛び込んだ薙疾は──

手近な店で購入した果実酒を、一息で飲み干していた。

子供の笑顔には勝てない。
とは言え。

勝てないどころか、敗北感まで味わったのは中々ない経験である。