アールは今夢を見ている。
目まぐるしく色を変える空の下で、ひとりの少女がうずくまっているのを、黙って見ている。
「チセ……？」
心当たりのある名前を呼ぶ。返事の代わりに、少女がゆっくりと顔をあげる。
その顔に小さく声を上げたアールの腕を、白く細長い手が掴む。氷のような冷たさに、アールは体をこわばらせる。
白い髪から覗く金色の瞳が揺れて、アールを映す。
「たすけて」
か細い声。今にも消えそうなほど。
「痛い。暗い。辛い。寒い。怖い」
体温が奪われていくような感覚。
「たすけて……」
はっとして目を見開いた時には、既に少女の顔が眼前に迫っていた。慌てて後ずさった足元に、いくつもの花。赤い花。外の世界の人たちが、ネクターと呼んでいた命の花。
みるみる色を失っていく赤は、黒い鳥の群れになってアールを飲み込む。足を救われて倒れた先に地面はなく、ただただ落ちていく。もがくように手足を伸ばすがどうにもならない。もはや天地もわからない。
（だれか、たすけて）
自分の声に、目を覚ました。

目の前は夢と同様確かに暗かったが、今度はちゃんと地面の上に座っていた。隣でパチパチと燃える炎が、申し訳程度にアールを照らす。その顔には汗が滲んでいて、指先は小刻みに震えている。
「ゆ、ゆめか」
自分に言い聞かせるように、夢、ともう一度呟く。後ろで聞こえる寝息に、アールはもう一度ここが夢の中ではないと再確認した。
アールの背中では肩を上下させながら小さく丸まっているチセを見て、汗やうるさい心臓が少しずつ落ち着いていくのがわかった。
とはいえ、頭が熱をもっているのかまだぼんやりとしている。頭、というよりは額。

――――額。アールの瞳に影が落ちる。
村であの日受けた「呪い」。もしかしてさっきの夢も、この呪いのせいなのではないかと、アールは布越しに額に触れる。
夢だけならまだいい。まだこれから何かが起きるのではないかと、嫌な胸騒ぎがする。赤い大地は未だに見つからない。チセが以前心当たりがあると言っていた「赤色谷」。面倒なことになる前に早くそこへ向かうべきなのだろうか。しかしそこが声の言っていた「赤い大地」という確信はない。もし違ったら次はどこを目指せばいいのだろう。どうすればいいのだろう。

（……みんな、どうしてるかな）
家族の顔が頭をよぎっては、静かに消えていく。アールは不安を振り払うように膝を抱えて、じっと身を小さくした。
悩んでいても進まない。それに自分は独りというわけではない。そう何度も何度も頭の中で言い聞かせて。そこであれこれ考えすぎたせいか頭痛がして、アールは表情を歪ませた。
（やっぱりあれこれ考えても……）
「…って、あれ？」
頭痛、にしてはやけに痛みが増してきている。そのうち額にある呪印に痛みが集中し始めて、頭がきつく締め付けられるような痛みが襲い始めた。あまりの痛みにアールは声を上げることもできずにのたうち回った。
「………ぐ、う」
痛い。痛い。辛い。苦しい。怖い。痛いいたいいたい。
「…うう……」
ふらつく足取りで立ち上がる。チセを起こしたくはなかった。こんな姿を見られては心配される。チセまで巻き込むのは、不安にさせることだけは避けたかった。
「………しっかり、しろ…アール」
うわ言のようにぼやきながら、アールはひとまず姿が見えない木の陰で痛みが引くのを待つことにした。頭が割れるようだ。
布を外すと額を押さえつけながら、アールはできるだけ声を押し殺し、息を潜めた。時々胸の奥から吐き気に似たものが押し上げてきたが、それも気力で押さえつけながら。ただじっと耐えた。
「たすけて」と声がしたが、それが自分のものなのか、あの夢の少女の声だったのか。それはわからなかった。

料理を煮込む間、チセに手当てをしてもらいながら

サラミスはチセの手元を見ている。チセが手当てに集中している間は
しげしげとその髪や、顔を眺めこちらを振り向きそうなら、なるべく視線は外す。

ふと、物言いたげなチセの視線とかち合い――

＞アールとのひそひそばなし　何か欲しいものがあるのかときかれ

手足をばたつかせるアールに負けず劣らず、焦って聞かれてもいないことをぺらぺら弁明している。



…
ちらちらと食事の盛り付けを横目で見ている。
盛り付けられた食事を最初こそ遠慮がちに手を伸ばしたものの、
一度手をつけると、なにしろ腹が減っているので止まらない。やや無作法に、食事を流し込む

肉、パン、野菜、どれも久しぶりに口にするもので、酷く美味しく感じた。
サラミスは目を輝かせ、振り払われないようならチセの手を取るだろう。

徐々に腹が膨れてくる、料理を半分ほど食べたところでサラミスは急に手を止めた。

迷いながら、ポケットに手を突っ込む。ポケットの中にはいくばくかのPSがはいっていた。
それは、アールに強盗を仕掛ける一手前に、べつの人間から盗んだものだった。

お互いに思い込んで、世界規模で話がずれていることには気付かないまま。
やっぱり変だよなあ、と、彼の反応の受け取った後、ぼんやりと。

自分の職業に疑問を抱いたことがないので、一瞬言葉に詰まってしまった。
本当に役に立つのか、と疑いの目で見られたことは多々あったが、
意外がられたのは初めての経験だった

照れたような仕草と、ところどころ突っかかる喋り方をする彼を見つめ
なんだか微笑ましくなって、軽く笑みをこぼす。

威勢良く胸を張って啖呵を切るアールに、ブラックはその目を細める。

言ってつかつかと歩み寄ると、未だ少年らしい柔らかさの残るアールの頬を
ギュッと思い切り括り上げた。

――こうしておかしな二人組は、少年と少女の前から姿を消したのだった。

チセはぽかんとしている。

少女はソワソワしている。