リンテントポーゼという北の地で、領主の長子として生を受けた。
後継者として寸分の違いが無いよう、過大な労力がこの身に払われていた。

十四歳の時に妹と弟が生まれた。
出産から一ヶ月ばかり過ぎた頃、母はこう言った。
何をしているのか？今日から社交界に出る準備をしなさい、と。

十五歳の時に婚約者が決まった。
二十も年の離れた小さな領地の冴えない男。
ちょっとした悪戯心から、その男にある事を仕掛けた。
そいつは数日後に自ら死んでいた。

二十歳の時に父と弟が死んだ。
その時は領地を出て宛もなく放浪していた。
急遽呼び戻され、自室に用意されていたのは女が着る物では無い喪服。
僅かな笑いが、零れた。
ああ、また、ここからか、と。

*
*
*

窓に叩きつける雪。
吹きすさぶ風に如何様にもねじ曲げられ舞い上がる。
時折、老木の枝は大きくしなり裂けるような悲鳴を上げていた。

契約が成立しなかったことによるあの女の怒りなのか。
それとも、指の一つ動かすにも激痛を起こさせるあの女の力なのか。
アレクセイはこのことについては何も言ってはいなかった。
彼は知らなかったのだろう。

父は知っていたのか？

身を起そうとして右腕に力を込めても、何の反応も示さない。
確かに私の肩から生えているはずのそれは、まるでそこに存在していなかった。

*
*
*

「リューティクが自らの意思で参戦するというのです、私は止めません。
このまま領内で静観しているよりは、いくらかは領民への良い訴えにもなるでしょう」

領主の執務室で、その女は言った。
年季と焦燥が刻まれた顔。
部屋の中央に据えられた背の高い椅子に、主はいない。

「しかし、彼女に何かあってはなりません。貴女の役割は、分かっていますね？」
「ご心配なく。ですが流石に私だけでは不安が残りますので、
ガルテンジア以下数名を連れて行きますが、構いませんね？」
「好きになさい」
「お話とはそれだけですか？」
「ええ。もう下がって結構」

年月を経た重い木の扉を閉じる。
蝶番の枯れた音だけが響いた。
長い廊下には誰もおらず、フリント産の灯輝石が使われた照明は
今は間引きされているため、必要以上に心許なさを煽っていた。

私はあの日、契約に至らなかった理由を不適合及びネクターの不足にあると報告していた。
私が適さなかったのであれば次期領主は自動的にティッキーしかいなくなるが、
仕来たりに従うならば彼女が成人を迎えるまで継承は待たなくてはならなかった。

早くても10年。

領主が不在の間のリンテントポーゼは、過去を遡れば冷夏や厳冬といった異常気象が見られた程度で、
当時よりも農耕技術が進歩している現在ならば乗り切れるだろうと母は踏んでいた。
最後の望みとなったティッキーを焦りから直ぐに領主とすることがなかったことは幸いだった。

あの子こそ、領主に相応しい。
優しすぎる嫌いはあるが、補佐にはアレクセイやピョートルがいる。
領内のことはミーチェに任せれば問題は無い。
チセも、月日が流れればレラと同じだけのことはこなせるだろう。

私は――

*
*
*

こちらの希望を余所に、領主不在の影響は過去の事例とは異なり、深刻な影を落とし始めていた。
領外から戻る度に大雪や降雨の増加、さらには夏季の降雪などの報告をアレクセイから受けることが多くなった。

ゆっくりと確実にその異変はリンテントポーゼを蝕み始めている。

領民達は疑問を抱き始めたとしても理由にまでは中々辿り着けないだろう。
問題は、領主の地位に近しい者共の中でジヴィーテの存在意義への疑いが出始めていたこと。
ただでさえ「余所者」と鼻をつままれていた母が焦りを見せるのも仕方の無いことだった。
ジヴィーテの直系であった父に兄弟姉妹は居らず、
ティッキーが適齢期になった際に譲るという条件で傍系を頼ったが、それらも全て失敗に終わった。

*
*
*

上を向き翼を広げた鳥が彫られたレリーフの前に這いつくばる。
目には見えない質量が私の自由を奪っていた。
ここはリンテントポーゼ最北の地、エドゥーブ。
ジヴィーテが代々受け継ぐエンブリオとの契約を行う祭壇がある以外は何もない場所。
捧げたネクターの花びらは宙に踊り、冷たい石の床に舞い落ちる気配は無かった。

「それが――」
「それがどうしたと言うのだ、まったく安い台本だな？」
「哀れ？貴様にはそう見えるのか？」
「愚か？ああ、そうだろうとも」
「愛しい？貴様の愛など野良犬に喰わせてちょうど良い」
「甘い言葉と力でジヴィーテを縛りつけてきた」
「慈悲深き者、麗しき者、春を謳う者」
「幾つもの呼び名を有していても、貴様にはもはやかつて程の力はないんだろう？」

圧迫された肺と腹の底から絞り出す。

唆されてはならない。
欺かれてはならない。
囚われてはならない。

「どうなんだ？」

契約さえすれば広大な地に膨大な豊穣をもたらす。
そんな上手い話が、ある訳はなかったのだ。
いや、かつてはそうだったのかもしれないが、今は、違う。

「答えろ！ヴィエスナ・クラスナ！」

*
*
*

私は、ティッキーが継承の儀に臨む前に、あの女の影を殺すか、
あの女ごと殺すか、あるいはその両方をしなければならない。
そして、 エンブリオの力に依存しない統治の道を探しておかなくてはならない。

そのために私は、力を手に入れなければならない。

力を――

悪態を吐くものの、倦怠感はおくびも見せず、むしろ嬉々として武器を構える。