切っ掛けは、怨言に満たない小さな小さな愚痴だった

「ネクターさえあればな」

独裁の王に向けられた、民衆の諦観めいた小さな愚痴、初めはそれで済んでいた。
少しして、事態が変わる。
ネクターが出回らない事による、契約エンブリオの減少、それに伴う農作物の収穫率減少、
忽ちにして起こり始める、物価の上昇と飢饉。

小さな愚痴が不満に変わり、兵士達による強引なネクターの回収が行われると、それは漸く"怨み"に変わった。

飢えと怨みは人を容易く突き動かす、民草達は一揆を起こし、兵士達は武力を以ってそれを制した。

血で血を洗う泥沼の闘争は更なる怨みを呼び、メルンテーゼの大地を黒く、赤く染め上げる。

尊い血が流れる無益さに、膨れ上がる怨みの恐ろしさに、悟り戦き、戦はやめよと言う者もいた、
しかし、それで止まる者等もういない、気づくには遅かった、止まるには遅すぎた、もう血は流れてしまったのだから。

流れ出た血は戻らない、抱いた怨みは掻き消せない。

誰も誰もが好き好んで血を流している訳ではない、皆、譲れない『思い』の為に殺し殺されている。

この世界のために、王を止めるために、ネクターを取り戻すために、
生活のために、家族のために、友のために、

そして皆分かっている、その思いを貫く為には『多少の犠牲は仕方が無い』のだと。


メルンテーゼは、そんな彼らの『思い』を元素に、一つのエンブリオを生み出した。


彼らの生活のため、家族のため、友のために、
ネクターを取り戻し、王を止め、この世界を救う、『思い』を抱えた思いのエンブリオを。

生まれたてのエンブリオに、抱えた思いを貫く力は無く、エンブリオは吸った、力を付ける為に、皆の思いを更に吸った。

思いのエンブリオは皆の思いを吸って強くなる、間違ってはいない、しかし誤算があった。

皆の思いのその裏に、潜み隠れた大きな"怨み" 抱いて、抱かれて、積もり積もったどす黒い怨みを、
思いのエンブリオは、『思い』と共に飲み込んだ。

"怨み"もまた、強い『思い』の一種である、思いと怨みを取り込んだエンブリオは、絶大な力を手に入れた代わりに、
白い絵の具に黒い絵の具を垂らすが如く、エンブリオも、取り込んだ『思い』も、全て真っ暗な黒に染まってしまった、

『思い』のエンブリオから、『怨み』のエンブリオになったのだ。

『怨み』のエンブリオとなれども、元素の『思い』だけは消えずに残った。

彼らの生活のため、家族のため、友のために、
ネクターを取り戻し、王を止め、この世界を救う、この『思い』を貫く為に、

エンブリオは　

―――――― 私は"皆の怨みを吸い続ける"


『思い』を貫く為には未だ力が足りないようで、"彼"はあろうことか皆に捕まってしまった、
これではとても貫き通す事等できはしない。

だから、私はもっと力を付ける必要がある、もっと怨みを吸う必要がある、
そのために皆には犠牲を強いる事になるだろうが、

思いを貫く為には『多少の犠牲は仕方が無い』のだ、別段、気にすることでは無い。






「さあ、そろそろ良いだろう」

手ぬぐいを被った男が、石油ストーブの上に置いたアルミホイルの包みを二度三度突き、具合を見て取り上げた、
包みをかさかさと開いてみると、所々焦げ目が付いた、紫がかった色の大きな芋が顔を覗かせる。

それに箸を入れる、ごつごつとした見た目に反して、箸はスムーズにさくさくと入り、みてくれの悪い化粧を割っていく、
中から現れた素顔は、黄金色でとても美味そうな色をしていた、共に出でた熱々の湯気と香りが鼻腔を擽る。

男はそれを隣の少女に差し出した、しかし少女は首を振る。


ここは農場から少し離れた、農民たち専用の休憩所である、農民とは言っても農作業奉仕をする"犯罪者達"は含まれない。

ログハウス調の、素朴で見た目暖かな雰囲気で、
ソファやテーブル、流し台等一通り揃っており、農民達の憩いの場である。

とある"犯罪者"のエンブリオがここに保管されてからは監視係として誰か必ず一人ここにいる事になっていた。

艶やかな長い黒髪を後ろで一つに束ねた少女は、ソファに浅く腰掛け、悲しそうな表情で芋を見つめている、
男は、少し肩を竦めて少女の目の前のテーブルにアルミに乗った芋と箸を置く。

「その芋はね、このあいだここに来た少年が仕留めた物だよ。お前も見ただろう？弓矢を持った子」
「久々の収穫だからさ、無理を言って少しもらって来たんだ、お前が食べたいだろうと思って」

優しく少女に語り掛けるも、少女の表情は変わらない、
それを見て男は心配そうに「お腹でも痛いのか？」と聞いた

「それ、悪い人が、とってきたんでしょ？」

小さく、少女が呟いた、男は苦笑して頭を掻く。

「悪い人が取った奴なら、いらない」

「ああ、違うんだ、これはね」

「ここに来る他所の人たちはみんな悪い人だって、お隣のおじさんが言ってたよ」

「違うんだ、良いかい？」

男はそっと、少女の隣に座った。

「確かに、ここに来る他所の人達はみんな悪い事をしたんだよ」

「やっぱり」

「でもね、今は皆反省して、こうして美味しそうなお芋を取ってきてくれる」

「…反省したって悪い人は悪い人だよ」

「おや、お前だって悪い事をして叱られた事があっただろう？」

「う……」

「その時お前はちゃんと反省したから父さんも母さんもお前を許したんだ」
「なのにそのお前は反省した人を許さないのかい？」

「それは……でも…」

少女は俯き口を尖らせて言葉を詰まらせる、男は、ははは と明るく笑うと、
そっと少女の頭に手を置いた。

「それにね、彼らは本当は正義の味方なんだよ」

「正義の味方！？」

はっとしたように、男の顔を見る

「ああそうさ、ラルフさんとルリアンナさんに見込まれて！魔王と戦う正義の味方！」

「ラルフさんとルリアンナさんに！？」

「うん、今はちょっと欲張ちゃってこんな所にいるけれど、本当はとても良い人達なんだよ」

「そうなんだ」

少女が口を閉じるのといっしょに、小さくお腹の音が　ぐう　と鳴った、
少女と男は顔を見合わせてクスクスと笑いあった。

「さあ、食べなさい。早くしないと冷めてしまうよ」

少女の頭をくしゃくしゃと撫でて、男は立ち上がった

「うん」

外気に晒されて、丁度良い温度になった芋を、箸で掬って口に運ぶ、
ほくほくとした食感と、素朴な芋の甘味が口いっぱいに広がった。

少女の目が輝いた。

「おいしいよ！ほくほくして、とってもおいしいよ！」

弾んだ少女の声に、男はとてもとてもうれしそうに頷いた。

「少し待っていなさい、今バターを出すから、それを塗って食べるともっとおいしいよ」

微笑みながら、床下の食糧貯蔵庫を開けようと男が屈んだ、
その時、不意に、背を氷が滑るような感覚に包まれた。

はっとして視線を上げると、その先には、部屋の奥で鳥かごに入れられている、"真っ暗な光のエンブリオ"が居た、
いつもは鈍い光をぼんやりと放っているだけのはずだが、今はどうだろう。

怪しい黒い光が煌々と輝いている、様子がおかしい事は明白だった。

男はすぐに皆に相談しに行こうと思い、立ち上がった瞬間。

どんどん

と、扉を叩く音が聞こえた。

「誰か来たみたい」

食べかすを口元に付けながら、男の方を見て呟いた。

「誰だ？」

扉の先の誰かに、尋ねた。

「交 代 の 時 間 だ」

掠れたような、どことなく不吉な声色の返事が返ってきた。
男の知らない声だった。

「交代？そんな事聞いてないが……」

不審に思った男は、扉ののぞき穴に顔を寄せる、何も見えない。

のぞき穴に赤い紙でも貼り付けられたのか、
のぞき穴の先は真っ赤に染まっていて何も見えなかった。

どんっ どんっ

先ほどより強く、扉が叩かれる。

不気味ではあるが、返事をしてしまった以上出ないわけにもいかないだろうと、意を決し。
男は小さく扉を開けた。





























「う ひゃ ひゃ」



男は胸に強い衝撃を受けて、床に倒れた

謎の捨て台詞を吐きながら、スポーツブラと共に消えていった。
――その日、彼を見たものはいなかったとか。

ただ、まだ完全に傷を修復し終えてないので、
息絶え絶えのまま、アナタはぶつぶつと呟く。

なので、

少女は骨をしばらく見ていたが話している内容からうっすらと把握する