そうして、彼と彼女は帰ってこなかった。

　懐中時計を見る限り、外には夕焼け雲が広がっている頃合いだろう。
　この調子なら夜が明けても帰って来まい。

　ミセス・エミリーとプロフェッサー・カーライルによる追いかけっこはまだ続いているのかもしれない。
　無いとは思うが、お掃除ロボットが逃げ切った可能性も捨てきれない。
　そうなっていたら大変だ。探す手間が増えてしまう。

　現段階でも奇っ怪なメルンテーゼの生態系に、野生のロボットが組み入れられたら楽しいかも。
　……と言ったら、おそらく社長夫人に叱られるだろう。





　ロボットといえば、統御の世界よりやってきた彼を思い出す。
　ヴォルフスムーンの南部市街地から、北部地域や西部地域へ向けて走る蒸気機関車。
　ロル主導で導入された設備達。設計主任であった中年技師の事を。

　本職はおもちゃ職人。
　副業として他世界の設備設計を請け負っている――とは本人談。
　優秀すぎるくらい優秀すぎて、何を作っても兵器になるという変わった男だった。
　加えて己の趣味や矜恃を全面に押し出す悪癖まで持ち合わせており、
　機関車に「先頭車両が変形合体して巨大ロボになる」という機能を入れようとした結果、トニーに本気で殴られていた。
　優秀な人間特有の悪趣味。今となっては何もかもが懐かしい。

　ちなみに、夫の愛銃も彼の手による作品だ。
　一般的に流通している猟銃を改造し、一般的でないほどの精度と耐久性・静音性を確保した業物。
　何ら特殊な機能は入れてないはずなのに、使い手の手にしっくりと馴染む。
　何よりもまず“壊れないこと”“使用者の意に沿うこと”を第一としている彼だけにたどり着ける境地とも。

　本当に良い技師だった。
　ヴォルフスムーンには、彼を引き抜く資材も技術も無かった事が悔やまれる。





　アーロンは馬車の整備に余念がない。
　少しだけ大人びた悩み顔、ミセスとプロフェッサーが戻らなかったときの事を考えているのかもしれない。

　一方のわたくしといえば、ミセス・エミリーに依頼した弾丸の試し打ちに勤しんでいる。
　今や私の得物となった、彼の作品であり、夫の遺品でもある狙撃銃。
　無理を言ってオーダーメイドした銃弾に問題がないかの動作確認でもある。

「弾ぁ変えたくれえで何が変わるってんだ」

　試し撃ちを見たいというよりも、バラしたいという顔をしている彼をさらりと流す。
　天井に下がるランプ、その真下に照準を向ける。

「あら、面白い挙動をするのではなくて“させる”のよ」

　ヴォルフスムーンに於ける魔術の大前提。
　あらゆるモノは“サンセットジーンが本に描いた物語”であるという原則。
　掘り出したばかりの金鉱石も、貴婦人の胸元を飾るネックレスも、どちらも金であるように。
　塗りつぶされようと、書き換えられようと、元々の表記はそこにある。
　元に戻すのは簡単だ。ほんの少し仮面をはいでやればいい。
　さすれば弾丸は竹へと姿を戻す。

　地を突き破る音。
　わたくしの蒔いた種はちっぽけな芽であろうとも、ディグリース・インダストリーの技術で数ヶ月先の未来を描き出す。
　着弾点より堂々と伸びた青竹は、天井のオイルランプを突き破って破壊していた。
　しかし、無茶な生育は竹が斯くあるべき姿にはほど遠い。
　堂々とそびえる青竹は、3分と待たずに“それを構成していた文字”へと戻って消えていく。

　口笛。
　酷く投げやりな称賛の意。

「本当、魔法みてえだな」

「あら、科学と魔法は親類のようなものよ」

　肩をすくめるボイラー技士。
　彼にとって、魔法と人狼は忌むべき存在に他ならない。





　統御の世界の技士。
　彼とはあれ以来会っていない。
　風の噂を信じるのならば、統御の世界から旅立ったと聞いている。
　行き先は知らず、また知るものも知らぬ。

　わたくしと関わったものは、わたくしを置いて何処かへ行く。
　今回は大丈夫、判っていても胸を穿つ。

老貴婦人はニコニコと微笑んでいる。
好意的に見えるが、なぜだか握手の手は差し出そうとしない。
彼女の流儀だが、見る人によっては礼を欠いて見えるかもしれない。

馬車の遙か後方、探検家師弟が走り去っていった方を見やるも、ほの暗い通路には人影一つ見えない。
老貴婦人は僅かにため息を零した。

運び屋にヘッドロックされむすっとしながらも老貴婦人へ視線を向け、頷きを返す

抑揚なくそう呟くと、運び屋の左右の顳かみそれぞれに握り拳を力一杯押し当てた

わざとらしく驚く老婦人に、

語るに落ちるとはまさにこのことだ。

　

我が意を得たとばかりに、遺跡や古代の神秘について熱く語りだした！

　　


　　　　　　　　　　　　　　　　†

お手本をサッと作って見せたカータイルは、老婦人に材料と道具を渡す。

巨狼は気付いたのだろう。
眼前の馬は、ラファーガではなく――それどころか、明らかにこの世のものではない存在だと。

巨狼は老貴婦人の間に割って入りうなり声を上げる。

“執事”の要素を司るエンブリオを前にニッと笑い飛ばせば、
降り立った、その背後の騒動にちらりと半眼をくれれば、瞳鋭く、声を低く―――

二人のやり取りを尻目に黒馬を見つめる目は燦爛と輝いている

老貴婦人の後ろより、馬が静かに休む御者台の上から
投げかける声は遠くに向けられている！

その場に座り込み、しばし呆然と床を眺める

座り込む考古学者の親密な様子に比べれば、
老貴婦人の表情は険しく、遠巻きに真っ黒な考古学者を見つめた後――。

老貴婦人は猟銃を構える。

熊らしき動物と、地面を這う見たこともない物を交互に見やり、顔を引きつらせた

電池切れで転がるお掃除ドロイドの近くに、見覚えのある老婦人と青年の姿を見つけてその場にガックリと座り込む。