■ 蹄の音

ソルトは猟師を生業としている。
腕は悪くない。鉄砲一丁で熊でも猪でも仕留めちまう。
だが、ソルトは鉄砲よりも罠で仕留める方が好きだ。
罠だったら獲物の息の根をゆっくり止めることができるからだ。

ソルトは残忍な男だった。



地下道のねぐらで休んでいると、若い岡っ引きがやってきた。
「おう、シさしぶりだな。おめえさんもこっちに来てたのけえ」とその男は言った。

ソルトは一揆に参加する前にもこの岡っ引きには会ったことがある。
岡っ引きはソルトの山小屋を訪ねて来てこう言った。
おめえさんの殺生があんまりにも過ぎるんで村の者たちが困っている、と。

「そいつぁ酷ですよ、親分さん」とその時のソルトは言った。
「おらは自分が食うために猟師をやってるんでさあ。村のもんだっておらの獲った肉を食う。
　そいつをやめろって言うのは、おらに飢え死にしろって言ってるようなもんだ」
御法度でもなし、こう言われちゃ岡っ引きには何も出来ねえ。
ソルトはそれがわかっていたのでただの猟師を演じた。
あるいは、その時はまだソルトも自分がただの猟師だと思っていたのかもしれねえ。

「だがよ、ソルト」と帰り際にその岡っ引きが言った。
「一寸の虫にも五分の魂って言うからな…そのことを忘れちゃなんねえぜ」



それからしばらくして、あのことが起こった。
ソルトの仕掛けた熊用の罠に立派な雄馬がかかっていたのである。
蹄鉄や轡をしているところから見て何処かのお屋敷で飼われているのが逃げ出したのだろう。
馬の脚には虎挟みの刃が深く食い込んでおり、もう走ることはおろか命すらも危うかった。
わざとじゃねえとはいえ侍の馬を死なせたとあっちゃあどんなお咎めを受けるかわからない。
ソルトは焦って、こいつをどうにか隠さなきゃならねえと思った。

それでソルトはその馬を食った。

隠れて矢場いことをやっている気持ちからか、その肉は篦棒に美味く感じた。
五日かけて丸ごと喰らって、残った骨や馬具を山に埋めた。
だが、その肉の味はいつまで経っても忘れられなかった。
それからソルトは熊や猪の肉をあまり食わなくなった。
代わりに罠を街道寄りに仕掛けて、かかったものを片っ端から食った。
狐や狸、首輪をつけた犬や猫も食った。
しかしあのとき食った馬の味には遠く及ばなかった。
ソルトはほとんど肉を食わなくなり、頬はこけ目はぎらぎらと光るようになった。



「猟師のおめえさんに一揆は関係ねえと思ってたがな」と岡っ引きは言った。
「おらがどうしようと勝手でしょう。用がねえなら帰ってくだせえよ」とソルトは突っぱねた。
「そう言うなよ。見たところ随分痩せたようだし、チィッと気になっただけでえ」
「帰ってくだせえ」とソルトは地下道の暗がりに座り込んだまま言った。

ソルトが一揆に参加したのは、あの肉のためだ。
お城に堂々と乗り込めるとあれば侍の馬を仕留めることも出来るはずだ。
あるいは、今まで喰ったこともない、もっと美味い肉がかかるかもしれねえ。
思えばソルトは、あの馬を喰った時からあの馬に取り憑かれていたのかもしれない。

「わかったわかった、大人しくけえるよ」と岡っ引きはあっさり引いた。
「だが最後に言っておくぜ。こういう暗い地下には色んな亡霊がいるらしいからな。
　身に覚えがなきゃいいんだが……もし恨まれる覚えがあるなら、気をつけな」
その言葉は、真夜中に近付くにつれてソルトの胸にじわじわと刺さっていった。



「ふん、若造風情がわかったような口を」とソルトは独り言ちた。
だが、確かにひとりで暗闇にいると、周りに何かがいるような気がしてきた。
今までは自分の姿を隠し守ってくれていた暗闇が、今は牙を剥いているような気がする。
がさごそ、がさごそ。
何か小さい生き物が動きまわっているような気配がする。
どうせネズミだろうと、ソルトは気を鎮めようとした。
だがしばらくするとその音は大きくなっていった。

がさごそ、うぅぅ、がさごそ、なぁあ。
物音はさらに大きくなり、鳴き声のようなものが混じり出した。
やがて鳴き声ははっきり聴こえるようになった。
犬に猫に鳥。今までソルトが喰ってきたものたち。

「なんだ、誰かが巫山戯とんのか！」と我慢できずソルトは闇に向かって叫んだ。
一瞬、すべての物音が止んでしぃんと静まり返った。
その静寂はあまりにも重く、ソルトは冷や汗でびしょ濡れになっていた。
何も見えず何も聴こえない時がどれくらい続いたかわからない。

しかし、とうとうあの音が聴こえてきた。





「チィッと荒療治だったかな」と城外へ逃げ出すソルトの背中を見てマニー親分は呟いた。
「まあでも良くやってくれたな。おめえさんの声真似はてえしたもんだぜ」
と言った先にはカンクロという、夜の闇にも負けない真っ黒なカラスのえんぶりお。
「あたしも役者の端くれでござんすからね」と得意げだ。

「しかし、あの猟師はあれで懲りるでしょうか」と乾分のハチベが訊いた。
「さあねえ、だがとりあえず最後の一線は越えなかったからな。あとは奴しでえだ」
こうして猟師ソルトに憑いた馬の亡霊はマニー親分に退治された。
その後ソルトは田舎の村に逃げ込んで農夫になったとかならなかったとか。
まあこれはもはや一揆とは関係ねえ話しだ。



「ところで、最後の馬の足音といななきは本当に見事だったぜ」
と親分はさらにカンクロを褒めたのだが、それを聞いて当の本人は首をひねった。
「馬ですって？ 親分さん、恥ずかしながらあたしは馬の真似だけは苦手なんざんす」
と言うカンクロの言葉を聞いて、そこにいる一同が目を丸くしたその時、

誰もいなくなった真っ暗な地下道から、こちらへ駆けてくる蹄の音が聴こえてきた。

クィンとミアハとの間に沈黙が発生。