……完全にあたし自身のミスだ。

　議会で急速に発言力を増している新興宗教。

　冷静に考えれば、何か仕掛けがあると見て間違い無いはずで。

　つまりはこの宗教の教祖、あるいは彼の所有物が普通であるはずがない。

　そう考えているうちに、あたしの腹部を貫いたサーベルがゆっくりと引き抜かれる。

「つぁっ……！」

　痛覚を意識しないようにして、全力で前方へ身を投げ出して距離をとる。

　振り向いた先にいたのは、あたしの想像通りの人物だった。

　先ほどまで、あたしの足元に転がっていたはずの男―――この宗教の教祖が、相変わらずの軽薄な微笑を浮かべて言う。

「ははっ…実に惜しいですねぇ。貴女が避けようとしなければ、お望み通り心臓を一突きして、苦しまずに死なせて差し上げたのに」

「魅力的な話ね。でも、身体が勝手に動いてしまったのだから、仕方がないでしょう？」

　虚勢を張ったわけでも、嘘をついたわけでも無い。

　頭では生きる事への執着なんてない。

　でも、傭兵稼業で戦いに染まりきった身体は、死を回避するために最適な動作を、反射的に導き出してしまう。

「そうですか。でもそのままでは苦しいでしょう？」

「ええ、そうね。いっそ、一思いに殺してくれると嬉しいのだけれど」

「そう思っていたのですけどね、気が変わりました」

「へぇ……それはどうしてかしら？」

「だって、見たくなってしまったのですよ。腹を貫かれてなお全く変わることのない、貴女のその透き通った氷のような表情。
それが苦痛に歪みッ！　涙と涎でべとべとになりィッ！　完全に屈服して私に許しを乞う姿をねェッ！！」

「ふーん…なかなかいい趣味をしているのね」

「お褒めに預かり至極光栄…！　では…存分に苦しんでから死なせて差し上げますよ！」

「生憎だけど、どんなに苦しもうが貴方の思い描いた通りにはならないわよ。
……でも、苦しんで死ぬのもごめんなのよ！」

　会話が終わったのを合図にするかのように、サーベルによる連撃を繰り出してくる。

　先ほどの動きとは全くの別人。

　ただ、動きは目で追えないくらいに速いけれど、攻撃に全く捻りが無い。

　実戦経験が無い者特有の、フェイントも何も考えていない攻撃。

　でも、身体能力は常人のそれではないという矛盾。

　……恐らくこれは、魔力で極限まで身体強化を施している。

　しかし、本人がこんな莫大な魔力を生み出しているようには思えない。

　例えばそう…何らかのマジックアイテムから、魔力を引き出している…そんな風に感じる。

　さっき倒した偽者がその魔力で生み出した存在と考えると、色々と辻褄も合う。

　だったら、そのアイテムを見つけて、魔力の供給を断ってしまえば、あたしの勝ちだ。

　万全の状態なら、攻撃を捌きながらアイテムを探すくらいの余裕はあったと思う。

　でも、さっきのダメージで思うように身体が動かなくて。

「くぅっ……つっ！？」

　攻撃を受けきれない、避けきれない、捌ききれない。

　浅い一撃は数え切れない程、深い一撃も何発かもらってしまっている。

　この腹の傷が無ければ、普段の力が出せれば、十分どうにかなるというのに…。

　これじゃ、アイテムを探している余裕なんてない。

「あはははは、あれだけの傷を負っておいて、そこまで動けるとは素晴らしいですよ。
それにしても、貴方の血は本当に奇麗ですねぇ…」

「女の子にそういうことを言うなんて、デリカシーに…かける…わよ」

「おっと失礼。でも、本当のことだから仕方ないでしょう。このまま死なせるには勿体無いくらいに美しいですよ」

「じゃあ、この…まま…見逃して……くれると嬉しいの…だけ……どっ！」

　かろうじて繰り出した反撃も、思うように踏み込めず、空振りに終わる。

　まずいわね…気力でもたせていた身体が、限界に来ている。

　少し休めさえすれば、こんな傷治るのに…。

　大量の失血と、痛覚を無理矢理押さえ込んでいるための、精神的な疲労。

　耐え切れずとうとう、膝が地面に付いた。

「くっ…！」

　どうやら…ここまでみたいね。

　霞む視界の中で、教祖の狂喜に満ち溢れた表情が見える。

　でももう、そんなものはどうでも良い。

―――……………

　こんな誰もいない世界に、未練なんて無いし…。

―――…ち…ん…

　随分待たせてしまったけれど、これであたしも皆の所へ……。

―――…ね……ち…ん…

　何だか、聞き覚えのある声がしたような気がする……。

　けど、もうそんなのもどうだって…

―――…ねーちゃん！

「！！」

　脳内に響くその声で、終わりかけていた意識が覚醒する。

　あたしはその声を知っている。

―――コイツのサーベルの宝石を狙って！　…ねーちゃん！！

　もう聞くことは無いはずの声。

　あたしの大切だったモノを奪ったあの声。

　あたしがこの手で引導を渡したモノの声。

　それでも、あたしの大切だったモノの声。

　何故それがここで聞こえたのだろう？

　その答えを、真実を知るまでは……。

「まだ、死ぬわけにはいかないようね……」

　閉じていた目を開く。

　と、教祖が何故か動揺して、サーベルの方を睨みながら、ブツブツと何かを呟いている。

　あたしが意識を取り戻したことにも気付いていないようだった。

　あの声に従うには好都合だけど、このままじゃもう指先一つ動かせそうに無い。

　だから、もうあれしかない。

　もう随分長い事やっていないから、上手くやれるかどうかも怪しい。

　それに、終わった後が恐ろしく苦痛だから、出来ればやりたくはないのだけれど…。

　少なくとも、本当に死んだ方がマシと思えるくらい……それも切実に。

　でも、とりあえず生きなくちゃならない理由ができたんだから、しょうがないわね……。

「はぁ…もう、後はなるようになれ……ね！！」

　全身を巡る血に意識を同調させて行く……。

　あたしの異変に気付いて、教祖が驚愕の表情を浮かべるけれど。

「……遅いのよ」

　次の瞬間、あたしの背後には真っ二つに折れたサーベルと、これまた身体を真っ二つにされた教祖が転がっていた。

―――えっ！？　ちょ！？　えっ！？

　何か、先ほどの声の主がえらく動揺しているわね。

―――や、あの〜、結局一撃で終わらせちゃうとか、ボクの助言は何だったのかなーと？
宝石に…というか、ボクのことなんだけどね？　一撃入れたら、一時的にでも魔力の供給が止まってですね…。

「煩いわね、時間が無いのよ。とりあえず一緒に来てもらうわよ」

　意志が疎通できているかどうかはわからないけど、とりあえずそれだけ言うと、サーベルから宝石を引っこ抜こうとして、

―――いやああぁぁん、乱暴にしちゃらめなのおおおぉぉぉ！！

「ひゃうんっ！？」

　何て声が脳内で響き渡るものだから、反射的に飛びのいてしまう。

「ち…ちょっと、変な声を出さないでくれるかしら…？　って、時間が無いって言っているでしょう！？」

―――いやぁ、何となく言わなきゃいけない気がして、ついー。

　この声と会話？していると、調子が狂って仕方が無いわ…。

　うーん…？　しかし、こんな言動をする奴だったかしら…。

　何だか人違い…というか、声違いのような気がしてきたのだけど。

　ズクンッ…！

　ああ…ほら来た、タイムリミットが。

「っく…変なことやってるから…マズくなってきちゃったじゃない……の。とりあえず……問答無用で『戻る』………わよ」

　有無を言わさず、今度こそ宝石を引っこ抜くと、転移用の特殊術式を展開。

　瞬間、視界が光に包まれていく。

　あの人の所に戻れば、後はどうにかしてくれるだろう。

　だけど、当分この世界には戻れそうに無いわね。

　となると、結局成功報酬もチャラってことになる。

　結局ほぼタダ働きってことになるのが、少し癪に思わなくも無い。

　けど、この世界を去るならこの世界の通貨なんか持っていても仕方ないわけだし。

　このまま去れば、面倒な権力争いに首を突っ込むことも無さそうだし。

　それに、タダ働きってわけでも無いようね。

　溢れ続ける光と薄れ行く意識のせいでほとんど見えなくなってしまったけど、でも確かにその手の先にあるソレを見つめながら、そんなことを考える。

「さて……と、次…目が覚め…るのは、何ヵ…月後……かしら………ね。年単位……なのは、流石………に…勘弁…………してほ………しい…………わ…………ね」

　そして、光が視界を完全に包み込むと同時に、あたしの意識はそこでぶつりと途絶えた。


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「ふぅ…まあ、こんなところね」

　日記を書き終わって一息つくと、後ろから覗き込んでいたティー（人化）が胸を反らして言う。

「……とまあそんな感じで、ピンチの時に颯爽と現れたボクの助言のおかげで、ねーちゃんは今もこうして元気に生きて」

「ま、貴方の助言は役に立たなかったけれどね」

「が…がーん！？　そういうことはっきり言っちゃう！？　いや、そりゃホントのことだけどさぁ…」

「自覚があるならいいじゃない」

「自覚があっても、言われると傷つくものなのっ！　ボクのガラスのようなぴゅあぴゅあハートがっ！　わっかんないかなぁ…」

「貴方の心がピュアだったら、ありとあらゆる人の心は超絶ピュアハートだと思うわよ…」

「あー言えばこーいうんだもんなぁ、も〜！！」

「……その言葉、そっくりそのまま返してしまっていいかしら」

「あー、そろそろ魔力の消費がしんどくなってきたから、元に戻るね〜」

　と、返答も待たずに、人化ティーは姿を消した。

　ああほんとにもう……この駄杖は。

　まあ、『助言は』役に立たなかったけど。

　実際、あの日この子に助けられたのは確かね。

　それに……。

「……あの日だけじゃなくて、ほんとは今も助けられてるんだよね」

―――ん？　今何か言った？

「……何でもないわよ」

実際の程はさておき、相手の念押しのような言葉につい同意してしまったような感じだ。

そしてナンパなのか、と問われると急に慌て出す。