［基本］OK.　［戦闘］OK.　［戦闘:エイド1］OK.　［戦闘:エイド2］OK.　［戦闘:エイド3］OK.　［スキル］OK.　

//side:イバラシティ


始まりは、ただの気まぐれだった。
確か、外国のテレビ企画を見たからだっただろうか。
会社の偉い立場にいる人間が、身分を隠して社員や清掃員として社内に紛れて社員の動向を探る内容だったように思う。
クウィリーノからすれば、割り振られた仕事をきちんとしていれば、よほど人品が卑しくない限り問題ない。
そもそも入社の時点で能力に関しては問題ないものばかりだ。

それがわかっていながら、クウィリーノは時折自身の身分を隠して社内に紛れた。
何せ、面白そうだったから。
勿論目立つ容姿と言う自覚があるから、慣れた部署では上手くはいかない。
自然と、新人やバイトのいる場所が多くなる。
それでも、社長が来るからと整えられている訳ではない、自然な姿を見られるのは面白かった。
クウィリーノのことをよく知っている人は若干顔をひきつらせているような気はしたけれど、お願いすれば概ね快く迎えてくれた。
むしろ面白がって協力する者もいるのだから、人事は優秀である。

仕事をして、息抜きをして、それからまた仕事をする。
仕事の内容に多少の違いはあれど、日々は代わり映えせずに過ぎていく。
きっとこうして、何も変わること無く生きていくのだと思っていた。
だから、その時も特別な感情は抱かなかった筈だ。
いつものように新しく来たバイトの青年に挨拶をした、ただそれだけ。
丁度食べたお菓子とよく似た名前だなと思った、それだけの筈だった。

「それが、こうなるんだもんね～？」
「は、はい？」

いつものように廊下をふらふらと歩いていた時のこと。
バイト上がりらしい後ろ姿を見つけて、衝動で引き寄せて、レクリエーションルームに引っ張り込んだ。
相手が目を白黒させながら見上げて、クウィリーノと視線が合う。
椿坂さん、と名前を呼ばれて、一拍の後にきゃんきゃんと怒られて、なだめながら卵型の小部屋に押し込んだ。

休憩時に籠もりたい人用に設置してある、狭小の小屋のようなものだ。
色んな形があって、ものによっては中で作業が出来るように椅子やテーブルがあるし、クッションが敷き詰めてあったり、畳だったりもする。
家のような形、観覧車のゴンドラのような形、きのこや木を模したもの、とにかくバラエティ豊かに揃えてある。
そんなところに連れ込んで、ぎゅう、と抱き寄せた。

「充電に付き合ってよ。ちょっとだけだから」
「じゅ、え……、充電……」
「そ。僕この後まだ仕事があるから。元気ちょーだい。今はこれ以上はしないから」
「……お疲れ様です」
「ん」

すり、と相手の肩口に頭を寄せれば、腕の中の体温がぐっと上がったような気がして、肩が揺れる。
少しの抵抗から、ためらいがちに背に回される手が嬉しかった。
この体温がいつから特別だったのか、思い返してもわからない。
自身の感情に疎いと言うよりも、そう言う感情を持っていたことに気付いたのが、つい最近だからだ。

「今日も、お菓子補充した？」

抱き締めながら聞けば、はい、と律儀に返事がある。

「僕、あれ好きだなあ。黒い稲妻的なチョコ。歯ざわりが面白いよね」
「そうですね。皆さんもよく召し上がるみたいで、無くなるのが早くて。あとは十円のチョコも人気です」
「色んな味があると、選べて楽しいよね」
「今度期間限定の味が出るようなので、並べておきますね」
「ん。せっちゃんの好きな味も置いてよ」

きっと僕も好きだから、と囁きながら抱きしめる。
狭い空間でくっつきあって、ぽかぽかと熱いくらいに暖かくて、離れようとしない相手。
ただのバイトの青年で、年齢も立場も随分と違って、育ちなんて天と地ほど違う。
挨拶して、そのままになりそうな存在。
一時的に距離が縮まっても、いつしか離れて過去に埋もれていくような。
そうなる筈だったのに。

「ふふ、せっちゃんはぬくぬくだねえ」
「つ、椿坂さんこそ、今はぬくぬくです……」

よいしょ、と座った自身の上に相手を抱き込む形で抱き直せば、服の厚みに季節の移り変わりを実感する。

いつの間にか、社内のお菓子棚にお菓子を補充してもらうようになった。
あれこれと菓子を吟味して、クウィリーノや秘書にも差し入れをくれたりもする。
選ぶと言えば、ワインを選ぶためにワインの醸造場に付き合ってもらったこともある。
ワインに合うものも買い込んで、相手に良さそうな『ぶどうジュース』もお土産に渡した。
どっさりと渡し過ぎて、かえって邪魔にならなかったか、今更ながら心配になる。

わざわざ浴衣を着て、お祭りにも行った。
ラムネを飲んだり、屋台で景品をもらったり、社員への差し入れの買い出しもした。
今思えばクウィリーノが幼い頃にしなかった、出来なかった『普通』を、共に経験していた。
その普通を壊したくなくて、ヨーヨーを保護までして貰った。
普通ではないことも起こった。
何かに導かれるように向かった先で、花火を見た。
その間にもずっと離されなかった温もりが、今も腕の中にある。

抱き締められて来なかった自身が、今は誰かを抱き締めている。
しかも、打算も何もなく、ただ抱き締めたいから腕の中に閉じ込めている。
何て、変わったのだろう。

焼き肉をしたことも、ハロウィンで悪戯したことも、ねこを撫でようとして濡れ鼠になったことも。
昔の自分なら笑うだろうことが、『大事』だとわかっている。
それらを全部捨てずに、クウィリーノを構成するものとしてこれからは持って行く、そう決めている。

――あちらにも。

「ねえ、せっちゃん」
「はい？　何でしょう」
「約束をしようか」
「約束、ですか？」

疑問符を浮かべる顔を見て、笑う。
以前と変わりない顔、変わらない反応。
それらを見て、相手には記憶がないのだと推察した。

不思議な空間で、不思議な生き物と対峙して、何度も戦闘したこと。
ある日を堺に、クウィリーノはそれの記憶を薄っすらと持つようになった。
いや、持てるようになった。
それは恐らく勝敗が決し、均衡が崩れ去ったからに違いない。
けれどその記憶を保持する人は少ないか、あるいは隠しているのか、治安が大きく悪化することもなく日常が続いている。

（あれは夢、みたいだけど。現実味がありすぎる）

ただの杞憂で終わればいいけれど、そうでなければ、カメリアまで丸ごと奪われるのだ。
重要機密や危険物に関しては、ある程度破棄し、そうでないものは厳重に封印すべきだろう。
出来れば近日中に、薄っすらとでも記憶のあるものと情報のすり合わせが出来ればいい。
自身よりも鮮明な情報を保持している人がいればいいけれど。
あるいは、自身の馬鹿げた夢、妄想であれば何よりだ。

「どこかに急に飛ばされて……飛ばされた瞬間には離れ離れだったとして。僕はちゃんと君を見つけるよ」
「……飛ばされる、ですか」
「あは、風船で、とかじゃないよ。魔法で、ぱーっと飛ばされる感じ？」
「ファンタジーですね」
「うん、そう言う……もしもの話し」

要領を得ない顔で、しかし『離れ離れ』と口の中で繰り返す。
身体を僅かに離せば、相手の目の中に自身が映り込んだ。
いつも通りでいて、少しだけいつも通りじゃない顔だ。
そのことに気付いたのか、少し視線を揺らす相手の頬を撫でた。

「だから、ちゃんと覚えておいてね」
「……俺も」
「ん？」
「俺も、椿坂さんを見つけます。……微力ですが。頑張ります」

やはり要領を得ない話しなのに相手が拾い上げた言葉に、胸の奥がむずりと動く。
どんな顔をしたのか自身でもわからなくて、隠すように強く抱き締めた。

この子と一緒ならば初詣ではゆっくりと進む列も苦ではなく、お参りしてから御神籤を引いて、お揃いのお守りを受けて、甘酒を飲んだ。
芸術館では色んな猫を見て、カフェで美味しいものを分け合って、ベンチでは益体のないことを、共にいる時間を引き伸ばすように話した。
誰も呼んだことのない自宅に招いて、ケーキを食べて、ゲームをして、それから――

「……約束ね。詳しいことは今度、話すかもしれないけど。その時はちゃんと聞いてね」
「は、い。……約束ですね」

とくとくと間近で鳴る相手の心臓の音を聞きながら、ああそうだ、と笑う。

「コンポタまん再現レシピとか、今から覚えておこう。また一緒に食べたいから」
「ふふ、コンポタまんですか。うまく包めるかなぁ」
「ねこの形になってもいいよ」
「ホットケーキのあれ、でしょうか。……あれは猫だったかな」

ぐんにゃりとよれた形を思い出す。
持っていけるもの、持っていけないもの、取りこぼすもの、そうしたくないもの。
様々あるけれど、思い出とこの子だけは、絶対に手にしていたい。
他にも美味しかったもののレシピとか覚えていこうかと提案しながら、手癖で相手の背をするりと撫でた。

（おっと）

びくりと震えた相手の身体に自身が反応する前に、ごめんごめんと背をぽんぽんと撫でた。

「……今はこれ以上はしないよ。今は、ね」
「もう！」

一時落ち着いた相手の体温がまたぽかぽかと上がって、その素直さにつられて自然と笑う。
この自然と笑える場所を、無くしたくないと思う。

「……あっちでも、カメリアを作ろうかな」
「あっち？　支店ですか？」
「あは、そうだね。支店。綺麗な場所にして、せっちゃんとお散歩したいからね」
「……無理はしないでくださいね？」
「大丈夫大丈夫。……せっちゃんが元気をくれるからね」

囁くような会話を繰り返していると、ガチャリ、バタン、と近くの扉が開閉される音がした。
思わず口をつぐんで、それから、ふふっと忍び笑いを漏らした。
そろそろ戻らないといけないけれど、名残惜しい。

もう一度強く抱き締めて、のろのろと身体を離した。
いや、まだ膝に乗せたままだけれど。

「充電したから、僕は行こうかな。……よいしょ」
「わっ」

ばっと再び抱き締めて、一緒に立ち上がる。
その勢いのまま、ちゅ、と可愛らしい音を響かせながら唇を合わせた。
驚きにまん丸くさせた瞳に、嬉しそうな顔をした自身の姿が映る。
きっと、もうずっと、相手に対してこんな顔をしていたのだ。
それに気付かず、何て遠回りをしたのだろう。

「『今』は、さっき終わったってことで、許してね。……せっちゃんは、少し顔を冷ましてから出た方がいいかも。遅くならない程度にね？」

それじゃあね、とひらりと手を振って、足取り軽く小部屋から出た。
背後で扉が閉まる音がして、ぽすりと、相手が座ったような気がした。

子犬のような子、陽だまりのような子、優しくて自身よりもよほど強い面があって――大事な子。
きっとこの感情を、人は抱いて生きているのだ。

「はー、がんばろっと」

元気を充電して、クウィリーノは大きく一歩を踏み出した。