
そういうわけでね、と何てこともないように言う少女の横に、薄緑の髪をして、頭から角を生やした男が立っていた。白衣のような羽織物の下からずるりと長く青い尻尾が覗いていて、度なしか、あるいはごく弱い度の眼鏡を掛けている。
そういうわけでね、というノリで連れてきていいものではない、というのは、ここにいる全員が分かっていた。この男の正体は、狭間の世界にいる咲良乃スズヒコのオルターエゴだ。
オルターエゴと呼ばれるものを意図的に作り出す能力は確かに存在し、記録もされているが、この男は根本的に成り立ちが異なる。
一度死んでいる男のオルターエゴには、死という概念がそもそも存在しない。短くなるテロメアが存在しなければ、いくらバラバラにしようと復活する。修復可能である限り蘇るのは、さながら無機物のようだった。
「そういうわけでねはいチートです、これがカミサマってやつかよ」
「そうよ」
「マジでそうよとは言わなくていいんだよ……ほらよ」
「ありがとう。私は信仰をほとんど受けていない神だから、これでもひょろひょろのへろへろなのだわ?」
「神界、コワ……」
何てこともないように言う“カミサマ”に向かって、クレールは個包装の菓子を放り投げる。
信仰と神力の関係性についてはまるで門外漢だが、お供え物――単なる餌付けのようにしか見えないが――をすることで、一定以上の神力を保っていただくことで、言い出しっぺの神に言った通りの仕事をさせなければならない。
「彼も縦の移動は……得意よね?」
「……彼って俺か。付属物としてだんまりの方がよかったかと思ったが」
その声は吉野暁海によく似ている。
似ていないことと言えば、目付きが悪いことと、人には付属していないパーツくらいだ。
「……」
「……何だ?何か不満でもございますかね?」
「いや……」
クレールの根っこには、この男――クロシェット・アストライアー・スケープゴートに対する嫌悪感が埋もれている。別に以前会ったことがあるわけでもなく、ただ嫌悪という感情だけがある。それについて神にそっと問うてみたら、曖昧な笑顔だけが回答として返されたため、それ以上のことは聞いていない。
「あまり目くじら立てないであげて、クロトくん。ところで紙はどのくらいの火力で焼いたら燃えるのかしら?」
「しれっと脅してくるんじゃねえよ。俺の仕事の内容をとっとと話せ」
自己と他我を当然のように手札に揃えてきた神を加え、今為されようとしていることは、いよいよ最終局面に到達しつつある。【望遠水槽の終点】を殺せば、【哀歌の行進】はいよいよ後がなくなるはずだ、と見ている。
【哀歌の行進】が【鈴のなる夢】に既に接触しているらしいこと、そして【望遠水槽の終点】を駒として利用し始めた――という旨を、連絡手段からの定時(まったくもって定時ではないが)報告として受けている。【鈴のなる夢】は誇り高い(あくまで【哀歌の行進】と比較して)から、何も心配はいらないはずだ――と、彼らは言う。
誇り高いなど、まあ笑わせてくれるものだ。クロトは腕を組む。ありとあらゆる汚泥を捨てたから、外面だけがいいように見えるだけだ。
「そうだな……まあ簡単な話だ。狭間に行け。それで、殺してこい」
「本当にそれだけか?」
「今のところはな。俺はそれしか聞いてないもんでね」
「それはそれだけって言わないんだよなあ~」
クロシェット・アストライアー・スケープゴートは射撃能力に長けていた。これはオルターエゴとなってから改めて身につけた技術で、基本的に手持ちの射撃武器であれば何でも使うことができる。リボルバーから自動小銃、弓から弩まで、――まあやれと言われれば手持ちでなくても、射撃であれば何でもできる。そのように、記載があるのだ。
そして何より、泥土のように泥濘んだどす黒い感情が彼を構成している。殺意、怨念、妄執、怒り、一度咲良乃スズヒコが捨てようとしたもの。そして結局再び全てを獲得し、どうしようもない滅びへと走っていったものを、全て持っている。
スケープゴートという名前を冠し、それを外すことができないのは、等しくこの存在が生贄と同義であるからだ。全てを代わりに引き受け、そして去る。それだけが許されていて、それだけを許していない。
「俺も残念ながらそれしか聞いてないんだよホントに。暇ならカミサマにでも聞きな」
「無神論者なんだ」
「そう言ってられる相手じゃねえぞ」
分かっている。逆らうことなどできない。何より、【鈴のなる夢】のいる場に引きずり出されてしまっては、【誰がための自己犠牲】は、その誰かを一人に定めなければならない。
「まあ、お互いいい感じにやろうぜ。邪魔はしないが手伝いもしないよ、こっちじゃね」
「全然それでいいよ。余計なことされるよりマシだ」
静寂。
面白そうに角の男は笑って、こちらを呼ぶ女性の声の方へ向かっていった。
『わたしたちが指定する世界に行って、わたしたちが指定する人と会ってほしいの。あとは、自ずと分かるわ』
初めに聞かされた言葉の通り、まず響奏の世界へ。“わたしたち”のうちの一人は、あまり相手をしたくないタイプのチビメガネだった。研究者としての汚泥がそう感じさせるのだろう、人当たりだけで言えば全然マシな方だ。
研究者とは、総じて何をしようとするか分からない。そう記録の中にある。自身が関わったわけではないが、構成されている汚泥がふつふつと煮えるのだから、そうなのだろう。
「よくぞ応じてくれた。恐らく半ば脅しのようだったとは想像に難くないが……」
「何か手当とか出ません?そういうの必要だと思いますよ」
「考慮しよう」
この場で一番立場がえらい人と、根本的に存在のレベルが違いすぎる神に挟まれている学生たちのことを思うと、少しばかりかわいそうな気持ちにもなった。けれども誰もそれに文句を言っている様子が特にないのだから、よく統率が取れている。
「神はあくまで仲介者であり、真に行動を求めたいのは我々である。故に相応の対価、あるいは保証。それらを寸分の狂いなく用意しよう」
「そりゃどーも。後払いでもいい?すぐ思いつくようなものに使うのはもったいない」
「全くだ。では話を変えよう」
ホワイトボードに大まかな図が書かれている。ベン図だ。二つの丸がごく僅かに接していて、そこに注釈がいくつか書かれている。
「これが君に向かってもらう場所……ハザマの大まかな説明だと思ってくれてよい。デカい丸はそれぞれが世界で、その片方はこのイバラシティ」
「……ふむ?」
世界は侵略されているらしい、と聞いて、それを信じる人はまずいないだろう。
侵略はそもそもがそう思われないように行われるのが普通で、それが大掛かりなものになって影響が及べば、自然と争いへ移り変わる。
世界は侵略されているらしい。この、今いる場所がそうらしい。なるほど全く信じる気になれないが、おそらくそのハザマとやらに向かえばおおよそ解決するのだろう。
「この……隙間のような場所に我々がどうしても討伐したいやつがいてなあ。まあただでは行けぬようなところである」
「……でもオタク、なんかチートしたって話でしょう?」
「チートか……君が来てくれたことのほうがよっぽどそうだと思っているが」
それもそうだ。
本来絶対に出会うはずのない、もう二度と戻らない合わないと決めたものに対して、強引に糸を繋げられてしまった。丁寧にリードまでつけてそうするのだから、余程切迫しているのかと言われれば、そうでもない。
「……何にせよ承った。というか受諾しないとこのヒモが取れないんだよ」
「随分気に入られているようだな。オルターエゴは珍しいしな」
「だからもう別人だって一億回言ってんだけどな……」
必要なものを支給し、情報も伝えると言う。今までの何よりも恵まれているといえばそうだが、神が首に掛けたヒモだけが強く行動を縛っている。それも真綿で首を絞めるようなふんわりとした掛け方だから、性質が悪い。
「恐らく君も知っているものが、狭間の世界での仲介役となる。では、ご武運を」
「……どーも。やるからには徹底的に、やりますともね」
そうして、クロシェット・アストライアー・スケープゴートはハザマへと降り立ち、パライバトルマリンを経由してスズヒコの元までやってきた。
そして今、柄でもなく――あり得ざる形で、ぼそぼそとした話を繰り返している。この近辺は思っていたよりずっと人が多く、あまり面倒なことにはしたくない。今のスズヒコとクロトの差異は、眼鏡と服装くらいだというのが少しばかり救いになっていた。
「……お前のことを把握されていない、というのはどこ情報?」
「向こうのカミサマ。俺は今首に縄かかってるみたいな感じなんだよ」
「お似合いだと思うよ」
「……要するに仕留めるまで帰れねえんだよこっちも」
パライバトルマリンの隠密能力はクロシェットに対してもいかんなく発揮されており、彼のことを認識できる人間はほぼいない。そもそもハザマに呼ばれもしていないのに訪れているのだから、何にも引っかからない。何もかもの穴を突いて、彼は送り込まれてきている。
「あっそう……それで」
「あんたも殺しにかかるんだろ?俺は二の矢だ」
「……なるほどね。向こうも仕留めたい、ってわけ」
「そうそう」
一の矢をどうするか、まだ話を詰めきれてはいなかった。恐らく行けるだろうととっさに判断して話したことを、精査してすらいない。ただ、自分ごと――つまり、射線を遮り、死角から、ということだけは、自分の中で決めていた。
娘の模倣だったとしても、彼の方が殺しに長けていたとしても、二の矢が控えていたとしても、実際に行われたという事実を見せたくない。では父親が目の前で死ぬ方はいいのか、と問われれば――いや、死ぬ予定はないので、これは問題ない。
専門外のことを不意に思いついて、話を振ってしまった程度に動揺していたことは確かだった。とにかく、殺せと言われれば、その通りにする。あれは幸せな娘ではないから。
「しっかし、アンタも大変だねえ。こんなところウロウロしてるんだ?」
「……ああ、そうだよ。否定の世界なんて……ろくなところじゃない」
「ふーん……俺はとっとと否定されてみたいもんだけど。どんな悪行をしたわけ?」
目を細める。不快だからというわけではなく、そういう発想があるのか、と思ったのだ。
否定されるものは、皆悪であるはずだ。そう思っているからこそ、否定されてみたい、という言葉が出るはずだ。そして、この男の存在は、何度も自分が否定してきた。
他我として、生贄として、邪悪だと判断したものの寄せ集めから産まれたそれのことを。
「……さあ、どうだろう。人はかなり殺したと思う」
「……。……素直に喋ると思わなかったな」
「そう?別に不快な問いかけではなかったからね。それに、ここから出られたら……今度こそ、お前とは会わないと決めている。」
否定されるに値する罪とは何か?
否定されて堕ちたるものは、どのような基準で選ばれるのか?
興味がないわけではない。けれど、それは目的ではない。とにかく、勝たなければならない。
「……あっそう」
持たざるものは、持ち得るものをただ見つめていた。
今度こそ会わない、という言葉の裏側を舐め取れば、ひどく苦い。

[822 / 1000] ―― 《瓦礫の山》溢れる生命
[445 / 1000] ―― 《廃ビル》研がれる牙
[490 / 500] ―― 《森の学舎》より獰猛な戦型
[199 / 500] ―― 《白い岬》より精確な戦型
[407 / 500] ―― 《大通り》より堅固な戦型
[325 / 500] ―― 《商店街》より安定な戦型
[250 / 500] ―― 《鰻屋》より俊敏な戦型
[181 / 500] ―― 《古寺》戦型不利の緩和
[105 / 500] ―― 《堤防》顕著な変化
[148 / 400] ―― 《駅舎》追尾撃破
[5 / 5] ―― 《美術館》異能増幅
[144 / 1000] ―― 《沼沢》いいものみっけ
[100 / 100] ―― 《道の駅》新商品入荷
[288 / 400] ―― 《果物屋》敢闘
[40 / 400] ―― 《黒い水》影響力奪取
[199 / 400] ―― 《源泉》鋭い眼光
[84 / 300] ―― 《渡し舟》蝶のように舞い
[99 / 200] ―― 《図書館》蜂のように刺し
[78 / 200] ―― 《赤い灯火》蟻のように喰う
[45 / 200] ―― 《本の壁》荒れ狂う領域
[76 / 100] ―― 《珈琲店》反転攻勢
[100 / 100] ―― 《屋台》更なる加護
[55 / 100] ―― 《苺畑》不安定性
[1 / 100] ―― 《荒波》強き壁
[83 / 100] ―― 《小集落》猛襲
[13 / 100] ―― 《落書き壁》リアクト
[38 / 100] ―― 《変な像》揺らぎ
―― Cross+Roseに映し出される。
空には変わらず光の玉が、星々を模している。
次第に集まり、大きな光になっていく・・・
白南海
黒い短髪に切れ長の目、青い瞳。
白スーツに黒Yシャツを襟を立てて着ている。
青色レンズの色付き眼鏡をしている。
エディアン
プラチナブロンドヘアに紫の瞳。
緑のタートルネックにジーンズ。眼鏡をかけている。
長い髪は適当なところで雑に結んである。
 |
エディアン 「いやー、キラキラと綺麗ですねぇ!」 |
 |
白南海 「こんなハザマの景色で綺麗も何も・・・」 |
 |
エディアン 「いいじゃないですか。こんなところだからこそ、ですよ。」 |
 |
エディアン 「・・・あ、流れ星!」 |
 |
白南海 「若が無事でありますように若が幸せでありますように若が最強でありますように!」 |
集まった光がそれぞれ何かの形を成し、地上に落ちてゆく。
 |
白南海 「・・・ってありゃ流れ星じゃねぇわ。変な光の玉じゃねーか。」 |
 |
エディアン 「ハザマの大地に次々落ちていきますね。落下先が偏ってるような・・・・・森や山?」 |
 |
白南海 「さぁて、今度は何が始まるのやら。」 |
 |
エディアン 「要注意ですね・・・」 |
チャットが閉じられる――