06
「コウくん……どうして分かってくれないの……」
陽子の視線は哀しみと苛立ちとが混ざり合っていて、切ない。
だがオレは目を逸らした。逸らしてしまった。
「これが最後のチャンスなんだ。だから……すまん」
イバラシティ、上空約400キロメートル。UTC(協定世界時)2330。榊原光二郎は目を覚ました。
いつも通りメールのチェックをしながら着がえ、ブリーフィングルームへと向かう。といっても会議ではなく、食事をするためである。
「おはよう、コジロー!」
相変わらず元気そうな挨拶はチームでいちばん若いダニエルのものだった。
S. Kojiro という名前を見て「ミヤモトムサシに敗れたササキコジローがマカイテンセーして宇宙ステーションにやってくる!」というデマを流した者がいたせいで、光二郎は到着前から「コジロー」というニックネームで定着してしまっていた。最初は不満もあったが、今となっては別に構わない。
「ダニー、おはよう」
挨拶を返しつつ、周囲を見渡す。まだ他に人は来ていなかった。「みんな寝ぼすけか」
「ようやく厄介な軌道変更が終わって静止軌道で安定したところだからね。みんな気が抜けているんじゃないかな。コジローもいい夢たくさん見ててもよかったんじゃないかい?」
「ああ……あまり夢見がよくなくてね」
朝食のパウチを選ぶ。鮭おにぎりとわかめスープ。和食が恋しくなったのは夢のせいだろうか。
「どんな夢を見たんだい?」
「離婚前の夢さ。当時の妻に宇宙に行くのを反対されてね」
「ふーん……無理解な奥さんだったんだ? 別れて正解だったね!」
ダニエルの故国は離婚率も高く、そしてやたらと陽気でポジティブなお国柄だ。悪意はないし、気分を盛り立ててくれているのだろう。
「いや……オレには過ぎた女房だったってことなんだけどな。オレは今でも愛してるよ。着信拒否されてるけどね」
古株の宇宙飛行士ならたいてい知っている話だが、半年前にミッションに参加してきたダニエルが知らないのは無理もない。
「ダニーは恋人いないのかい?」
「大学院まではいたんだけどね。宇宙行きたいって言われたら振られた」
「なんだ、オレと変わらないじゃないか」
「おはよう」
二人が食事を終えたころになって、ようやく三人目が入ってくる。
「おはよう、クリス」
「クリス、知ってたかい? コジローって宇宙に行きたいって言ったら奥さんに振られたんだってさ! 僕と同じだ」
「もちろん知ってるわよ。ここでは私がいちばん早くコジローに興味を持ったんだから」
つまり、クリスティンこそデマの発生源だった。しばらく根掘り葉掘りプライベートデータを聞かれたものである。もっとも「ケンドーのランクは?」「スワローリバーサル見せて!」といった返答に困るものが大半だったが。
好意的に解釈すれば、新人が受け入れられやすい環境を整えてくれたともいえる。仮にもM工科大のドクターが本気でマカイテンセーを信じているとは思えない。
「でも不思議よね。ダニーは相手がハイスクール時代からの子で、まあ宇宙行くって言ったらたしかに振られてもしかたないと思うけど、コジローの奥さんってたしか……」
「ああ。大学の研究室で知り合った」
「私たちの仕事に理解があるタイプだと思うんだけど」
「タイミングが悪かったんだ。ちょうど息子が大怪我してね。こっちは宇宙飛行士の適性審査の最終試験期間でさ。息子の世話を任せっぱなしにしてた。彼女は大変だったと思う。悪いことしたって今でも思ってるよ」
言葉ほど口調も表情も神妙には見えなかった。誠意が感じられない、というのは光二郎が何度も言われてきたことで、そしてまったく改まらなかったことである。
「……なるほどなあ。この業界、運とかタイミングってほんと大事だもんね」
天文ショーが巷で話題になると必ず「何十年に一度」「今世紀最大」「千年に一度あるかないか」といった文句が見出しに躍るように、宇宙を相手にする仕事は運要素が強い。
宇宙空間での実作業は、むしろ運の要素がほとんど介在しないのだが、忙しくなるときは間違いなく「宇宙の気まぐれ」といっていい現象が起こる。
宇宙飛行士として仕事に赴くこと自体が、かなり巡り合わせが必要なのだ。宇宙ステーションに地球から定期便が就航しているわけはなく、限られた資源をフル活用しないといけない。突発事が発生しても、生命維持に必要なものが外部調達できないため、人員の余裕がない。
そういう中でステーション勤務に入り込もうとすると、欠員補充か新規プロジェクトの立ち上げ時くらいしかない。
光二郎は専門が宇宙生物学であり、宇宙飛行士必修の工学系知識や機器操作の実務に明るくなかった。研修を一通り終えた時点ですでに40代に入っており、新規募集の年齢上限ぎりぎりだったのだ。
当時3歳の息子の大怪我──しかも自分の過失といっていい──に背を向けてきたところで妻に三行半を突きつけられたかっこうだった。
「ああ。オレは今の仕事が天職だと思ってるけど、ここまで来るのはかなりの綱渡りだったってことさ」
こういう話題でも辛気くさい空気にならない職場なのはありがたい。少なくとも光二郎はこの場所が気に入っていて、自分の居場所が地球上にはなかった、という思いがある。
残してきた家族に申し訳ない気持ちだってあるが、だからといって後悔をしているわけではない。
タイミング、運。
たとえばもっと未来に生まれていたら、家族ごと宇宙に連れてくることもできただろう。
「そうね。コジローの運がもっと良かったら、未来に生まれていて、家族も一緒に宇宙に来られただろうし」
クリスティンは彼とまったく同じことを考えていたらしい。
「ハハハ。そのぶん僕たちは運がいいってことだね! 尊敬すべき同僚と出会えたんだから!」
「サンキュー・ダニー」
なんのかんのとフォローを入れてくれるダニエルはやはりいいヤツだった。
「そういえばコジローってたしかツクナミ出身よね?」
「ん? ああ。ツクナミっていうか、イバラシティだが……、ああ、ラボの話か」
ツクナミセントラルラボは宇宙開発事業でも名高い。ここではイバラシティよりツクナミの名の通りがいい。出身地ではなく元の所属のことを聞いているのだと気づくのに少し時間がかかった。
「ツクナミ上空の静止軌道にいるわけじゃない? 地上に知り合いいるんでしょ?」
「そりゃいるさ。訓練もあそこでやってたから、スタッフにはたくさん世話になってるよ」
「いや、ラボの話じゃなくって、故郷の話ね」
誤解かと思ったら合っていたらしい。
「地上には奥さんとかお子さんたちもいるんでしょ?」
「そりゃいるさ。娘はたまにメールくれるから、家族はイバラシティに今も住んでるのは知ってるよ」
「なんとなくだけど、近々縁がありそうな予感がするのよね」
「へえ。キミがそういうこと言うとちょっと怖いな」
「あら失礼ね」
クリスティンは未来予測の異能を持つ。彼女は論理的に状況を分析し、予測していく熟練のプロジェクトディレクターだが、その過程で異能を使っているとのことだった。特にトラブルシューティングのマニュアル作成に定評があり、今まで携わったプロジェクトでマニュアル外のトラブルが起こったことがない。
なにかとトラブルの多いこの業界では大変に貴重な人材だが、同時にたまにぎょっとするようなトラブルシューティングのマニュアルが作成されてくることがあり、そういう場合は必ず、そのトラブルが発生している、いわく付きの異能でもあった。
「まだ予感にすぎないけどね。今のうちに連絡してあげたら? 向こうも手を振ってくれてるんじゃない?」
--月--日(--)
やべーのも、普通のも、いろいろいる。
それはどこの世界でも同じなんだろう。
オレももっと、強くなりたい。
07月02日(木)
バイトのシフトを増やしてもらう。
覚えること多いし、どうせなら楽しいときに時間を多く取りたい。
やりたいこと出来たらまた少し調整してもらおう。
融通利いてよかった。
07月04日(土)
この間の代わりに丸場に付き合ってもらう。
思ったより話し込んだ。
世の中には便利な異能ばっかりじゃないのだな。
07月05日(日)
クロ先輩と出かける。
だいぶ暑くなってきた。夏も近い。
海にしても山にしても気を付けておこう。
07月07日(火)
七夕だ。
願いごとはいつか自分で叶えてみせる。