
K.Mの異能が生み出した物質の矢が、青い輝きとともに観客席の壁の接合部を撃ち抜き分離させる。そこにK.Mは華奢な体を潜り込ませた。
「この野郎!!」
異形が太い腕でK.Mの首根っこをつかみにかかる……が、シュッ! K.Mがすかさず形成した刃に阻まれ、小さく血しぶきをあげた。
「僕を行かせてくれッ!」
K.Mは叫び、コロシアムの内側へと飛び降りた。
一穂を捕らえ、睨みつける蛇女に駆け寄り、刃を振るう!
ガラッ!!
刃は蛇女の鱗を打ち付け、跳ね返り、もろく崩れ落ちていく。
「あたしに逆らおうってのかい、K.M?」
蛇女は首をゴム人形のようにぐるりとひねってK.Mの方を向いた。
「あ、アビゲイル……! もうお前の言いなりになんか……!」
「シャッ!!」
蛇女―――アビゲイルの眼は見えざる光芒を放ち、K.Mをつらぬいた。K.Mはよろめき、たちまち力を失っていく。
だが、一穂はそれをよそに振り子のように勢いをつけ、アビゲイルの腹を蹴り上げた!
「ヴゥッ!?」
アビゲイルは一穂を取り落としてしまった。彼はすかさず、分解しつつあったK.Mの刃の破片に記憶を焼きつけ、アビゲイルめがけて蹴っ飛ばした。
巨大なカエルのような生物に飲み込まれ、胃液で溶かされていく記憶が、アビゲイルを襲う!
「なっ……と、溶け、るッ!? が、ァァ゛ア!?」
悶絶し、のたうち回るアビゲイル。未だ立ち上がれぬK.M。一穂は二人に目もくれずコロシアムの内扉へ駆けていった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
そこからコロシアムの外へ出るのは容易かった。
異形連中はみな観客席に行ってしまっていたらしく、一穂の行く手を阻もうとする者はほとんどいなかった。装備も無造作に置かれていた。まさか生きて帰すものとは思っていなかったのだろうか。
脱出を果たした一穂は少しよろめきながら、瓦礫から瓦礫へと駆けていく。まるで、手負いの獣のように……実際彼はアビゲイルの『従者』たちに酷く痛めつけられていた。体中に切り傷をこさえ、命に関わるほどの火傷もしている。
それでも彼は足を止めることはない。ひび割れ、傾いたビルの中に転がり込もうとした時、パンッ! すぐ後ろで土が爆ぜた。
「そこかぁ! 死ぃねえぇ〜!!」
ズダダダダ!!
イノシシ頭の異形は中指を立てると、そこから機関銃みたいに空気の弾丸をぶっ放した―――これが彼の異能であるらしい。強度の落ちたビルの壁は、そんなものでもたやすく破壊されていく。
「姐さんを倒したヤツだ! 百回は殺すつもりでいけー!!」
掛け声とともに、異形たちは爆弾を次々とビルに投げつけ、すぐさま散り散りになる。
ドゥッ、バンッ、ドドゥッ!
基盤を壊されたビルはメリメリと割れ、轟音とともに倒壊する!
「はっ! 馬鹿め、ざまあみやがれ……」
イノシシ頭は鼻息も荒く、もうもうとあがる土煙にむかって嘲った。
が……パッ! 銃声とともに、何かがイノシシ頭の突き出た鼻を打ち、紅くしずくを散らす。彼はそのままその場に崩れ落ち、痙攣と失禁をはじめた。
さらに、二発、三発! 崩壊したビルの中から依然健在の一穂が現れ、異形たちを撃つ!
「不死身かあのガキャぁ!?」
「ビビんな!! ヤツもじき動けなくなる、囲んじまえ!」
この異形の言うとおりであった。一穂もビルの崩落を無傷でしのげたわけではなく、顔を血で真っ赤に染め、左脚は引きずっている。
それでも彼は遮蔽物から遮蔽物へゴロゴロと転がり、接近してくる異形を的確に撃ち抜き、リロードが必要となれば適当なゴミに記憶を焼き付けてしのいだ。
異形たちからしても信じがたいほどのしぶとさだったが、やがて限界はきた。誰かが放った一発の銃弾が、転がっていた一穂の背中を撃ち抜く。
もう動けなかった。一穂はうつ伏せのまま、その場に血溜まりを作った。
「この野郎手こずらせやがって、くたばれェ!!」
深緑色の肌をした鬼のような異形が大きな足をかかげ、一穂の頭を踏み潰そうとする―――
―――そこへ、ギィンッ!!
青白い一筋の光が、鬼の身体を貫通した!
「一穂ッ!」
鈍い音を立てて倒れる鬼を横目に、脇から飛び出したK.Mは一穂に駆け寄る。
「け、K.M! てめぇいつの間に……」
鉄パイプを構えたカブトムシの異形が、K.Mに詰め寄ろうとする。が、その手が大きく輝くのを見て後ずさった。
「一穂は殺させない! ワールドスワップ・ジャックのために!!」
「ジャックだとォ……!?」
K.Mはそれ以上返事をせず、一穂を担いで瓦礫の裏に引っ込む。
「……ジャック、乗っ取るってことよねェ? もっと詳しく聞かせてくれない?」
異形たちはぐるりと後ろを振り向く。一穂の異能に倒されたアビゲイルが、そこにいた。
「あ、姐さん!? もう大丈夫なんですかい!?」
「最初はこたえたが、幻とわかりゃ大したことないさね」
と、アビゲイルはK.Mと一穂が隠れたほうを向く。
「こんなとこで夢みたいなこと言い出すなんて、あんた意外と強かだったんだねェ。
教えてみなさいな。どうせこれから、二人仲良く逝っちまう前にさあ!!」
アビゲイルはとびきりドスを効かせて叫んだ。
「……わ、わかりま……」
K.Mは口を止め、軽く首を振り、
「わかった、教えてやる」
言い直した。
「……アビゲイルの言う通り、僕はワールドスワップを乗っ取る。
発動の一瞬、世界が空っぽになったところを狙って、僕と一穂の力を使ってアンジニティを平和な世界に作り直すんだ。そうすればどっちも救われるでしょ!?
僕らがイバラシティに負ければアンジニティに帰されてしまう……だけど勝ったら勝ったで、今度はイバラシティの人たちがアンジニティに送り込まれちゃう! そんなのは……!」
「いいじゃないのさ。イバラの連中のことなんて、どうでも」
震える声で訴えかけるK.Mを、アビゲイルは鼻で笑ってつっぱねる。が、
「駄目だ! あの世界がどんなに苦しいか、僕らは知ってるはずだ!」
K.Mは負けじと声を張る。
「苦しい? アァッハハハハッ……あたしなんかアソコはアソコで気に入ってるくらいだけどねえ。
それに世界を作り直すだなんてねェ……ホントにできるのかどうかは置いといて、あんたみたいな臆病なガキンチョの作る世界なんてロクなもんじゃないだろうよ」
「そんなこと……!」
「あんたはアンジニティが大ッ嫌い。だからアンジニティとまったく逆の世界を作る。清潔で平和で安全な世界を。けどねえ、それでみんな満足するって思ってんのかい?」
「……心が荒むのは、食べ物や住むところが十分ないからでしょ。安心して生きられる世界があれば、みんな優しくなれるはず……!」
「わかってないね。人間、衣食が足りたところで今度は別なモン巡ってケンカするだけさ。
あんたが世界を変えた所で、あたしらの心は変わらない……あるいはまさか、洗脳しようって魂胆じゃなかろうねェ?」
「お、お前じゃあるまいし……!」
K.Mの声がどんどん真剣味を増していくのが誰にも明らかだった。
それに合わせるかのように、アビゲイルはツカツカと、K.Mと一穂のいる瓦礫に近づいていく。
「アンジニティの役割だって変わりゃしないさ。あんたがキレイにした世界に、どこからかまた放り出されたヤツらが放り込まれて、汚していく。
……あるいはそれすらやめさせられるって? じゃあそのシワ寄せはどこへ行く? また別の世界がアンジニティの代わりになるのかい? それとも?」
「受け入れられないからって棄てるだなんて、そもそも間違いなんだ! この世界だけの問題じゃないってんなら、他の世界にだって行ってやる!」
アビゲイルは瓦礫の一歩手前まで来た。その長身とひょろりとした首で見下ろせば、もうK.Mらの姿が捉えられるだろう。
「……K.M。あんた今思いつきで言ってるだろ。本当は……なんも考えちゃいないくせに!!」
K.Mは、一瞬のうちに激情に駆られた。
突風がごとく吹き抜けるそれに、己が心を乗せれば、たちまち手の届かぬところへ飛んでいく……
―――ギィィーンッ!!
青き閃光が、およそ斜め十五度に放たれた。あたかも稲妻が地面から天へとあべこべに伸びたかのようだ。
周辺の異形たちは、光に眼を焼かれ、高音に頭痛をもよおし、何かの薬のような匂いを感じてすらいた。
が、そんなK.Mの渾身の一撃を、アビゲイルは縄のような首をひん曲げてかわした。そればかりか、真っすぐにK.Mと自分の視線をピタリと合わせていたのだった。
「ァ……」
アビゲイルの眼球がもつ魔性の輝きが深々と自分の中に染み込んでくるのを、K.Mは感じた。
かつて一度やられた時とは比べ物にならぬほど、深く……
「それしかない。そうでなくちゃならない……心が強くかたくなになるほど、折れた時に立ち直れなくなるものさ。
そこにつけ込むのがあたしの力。昔のひ弱な……何をしたいのかさえわかんなかったあんたには、このあたしの眼の輝きも中途半端にしか通じなかった。けど今は違う。
うっれしィよォー、K.M。あんたのその力、あたしのものになるんだねェー……」
アビゲイルはK.Mを睨みつけたまま、しなやかな両腕で彼を抱き上げようとした。
……そこへ、パゥッ!!
銃弾がアビゲイルの肩をかすめた―――血の海に横たわる一穂が、銃を構えている!
「こいつ! まだ!」
アビゲイルはそのまま、脱力したK.Mを掴み上げて瓦礫の向こうに引っ込んだ。
「姐さん!」
事態を見守っていた異形たちも動き出して一穂に迫るが、次々と記憶のこもった弾丸で撃ち抜かれ倒れていく。
うかつだ、とアビゲイルは叫ぼうとしてやめた。叫ぶ暇があるならこの少年を鎮圧する。これ以上の犠牲を避ける一番の手段はそれだと判断した。
アビゲイルはマズルフラッシュから一穂の位置を判断し、そこへ落ちるようにK.Mを放り投げる。そして自らも瓦礫を飛び越した。
K.Mの華奢な身体に隠れながら、一穂の眼を捉えにかかる―――
―――パゥッ!!
躊躇なき銃撃がK.Mの側頭部をかすめ、その延長線上にあったアビゲイルの右目を撃ち抜いた。
続いて、見開かれた左目も……パッ!! 水風船のように弾け飛ぶ。
ドサ、ドサリッ。二人分の体重が、瀕死の一穂にのしかかる。はねのけるほどの力はもう彼には残っていなかった。
「あ……あっ、あ、姐さんが……!」
「姐さんが殺られたァッ! 姐さんがァァ!!」
異形連中はたちまち恐慌状態に陥った。ある者は逃げ回り、またある者は狙いもつけずに瓦礫への攻撃を試みる。
サンドイッチになっていたK.Mは己を取り戻し、転がって離れ、何が起こったかを理解した。
「アビ、ゲイル……」
K.Mは喉が締め付けられるような感覚を味わった。
誰も彼もを救いたかったのに。彼女も含めて……
☆ ★ ☆ ★ ☆
なおも戦おうとする異形たちを光の矢で追い払ったK.Mは、一穂を背負ってこの場を離れた。
一穂はもはや、いつ死んでもおかしくない様子に見えた。一応止血は行ったが、長くはもたないだろう。
だが、このハザマがイバラシティを元にした世界だというのなら、どこかに病院が―――おそらくは、病院『だったもの』といったところだろうが―――あるはずだ。あるいは治療に使えるような異能を持つ人間でもいい。
一穂の生命を救えるのならこの際何だってかまわない。何か、ただ何か見つかってほしい。
K.Mはただそれ以外考えずに、ボロボロの道を早足で進んでいった。