
━━sideアガスティア━━
戦闘の度に自分は離れた場所から敵を狙撃するため仲間の彼女たちから距離を取る。今回もそうして遠くから戦闘を見守っていた。廃墟だらけのこの世界では狙撃に適した場所を見つけながら移動するのは骨の折れる仕事だった。
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フィリア 「アガタ」 |
呼び声に振り返る。
……いつのまにと驚くほどすぐ近くに、彼女がいた。
彼女からはまるで気配を感じない。けれど、目で視ればわかる。彼女の体内に無数の生き物が取り込まれていることが。
もちろん、それは私の魔眼だからわかることなんだが。
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フィリア 「迎えに来ましたよ。ほら、私の手を取って。無駄な争いは嫌でしょう?」 |
咄嗟に差し出された手を振り払って後ろへ飛び退る。
どろりとした粘液に触れる感触と共に、身体の力が抜ける。思わず膝をつきそうになったが、必死に体勢を立て直した。
今の彼女の能力は触れるものの力を奪う……そんなところだろう。
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アガタ 「あなたは何者なの。イバラシティでの贖為の母親とは違う。だけど、アンジニティにいたあの邪神とも違う。あなたは、誰?」 |
手にしていた銃を構える。軍人だったとはいえ自分はただの研究者だ。戦闘は苦手だ。だからこそこうして遠距離からの援護に回っているというのに。
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フィリア 「私はフィリアですよ。ええ、アンジニティであなたは彼女とお会いしているのですね。私の主人と。それなら、あなたが私たちと一つになれば彼女もきっと喜びますよ」 |
向けられた銃を恐れる様子もなく、彼女は私に向かって歩み寄る。……引き金を引く。撃ち込まれた弾丸が、彼女の胸を貫く……はずだった。
しかし、着弾とともに彼女の身体はびしゃりと水のような透明な飛沫を飛ばしてその弾丸を飲み込んだ。
飛沫を受けた私の脳にさまざまな光景が流れ込む。走馬灯のようで、そしてその内容につながりはない。魔眼で人の記憶を覗いた時のような……いや。それ以上の混沌。きっと、彼女が取り込んだ生き物たちの記憶の一部だ。
また身体の力が抜ける。次の銃撃より前に、彼女が銃身を掴んで私の懐へと踏み込んだ。
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フィリア 「知りたいのですね、私のことを。ええ、ええ、教えて差し上げます。私と共においでなさい。共にイバラシティもアンジニティも救いましょう。難しいことを考える必要は無いのです、身を委ねれば良い」 |
小柄な彼女が私の襟首を掴んで引き寄せる。体格に見合わぬ怪力だった。触れられれば無数の思念が流れ込み、身体の力が抜けて己の思考が溶けていく感覚に襲われる。
抵抗しなくては。そう思っていても、身体は動かない。このままでは……
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ミカゼ 「アガタ!!」 |
私が聞き覚えのある声に目を見開くのと、私の襟首を掴む母親だった女の腕が飛んできた斧に切り落とされるのはほとんど同時だった。それに続けてリボンが現れ、私からぶら下がっている腕を引き剥がして、動けない私の身体を引っ張る。
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アガタ 「……ミカゼ」 |
私の親友。きっと異能で私が魔眼を使ったことに気付いて駆けつけたのだろう。まだ戦闘のダメージが残っているはずの身体で。
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フィリア 「あら、あなたは……そう。ここでもお友達なのですね。ヒーロー気取りの怪物さん。いえ、怪物同士だからこそでしょうか?」 |
その棘の混じる声色は、イバラシティの私が聞いたことのない母親の声だ。
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ミカゼ 「怪物だろうと人間だろうと、誰でもヒーローにはなれますよ。どんな人でも誰かのヒーローになれる。それをアガタは教えてくれた。彼女は私にとってのヒーローなんです」 |
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フィリア 「ヒーローだなんて、くだらない。全てを救うことなんかできないくせに。あなたたちがどれだけ必死に手を伸ばそうと、取りこぼしてしまうものは救えたもの以上に沢山あるんですよ。あなたたちのそれはただの自己満足です」 |
嫌悪を滲ませた、感情をむき出しにした母親の姿を見るのは初めてだった。切り落とされた腕はどろどろと溶けて地を這い、そして彼女の元へ戻り再生を始める。
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フィリア 「わたしは、たすけてほしかったのに。誰も助けてくれなかった。そのくせ私を裁くんですか。救いは与えないが、罰は与えると。そんなの、神様以下ですね」 |
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ミカゼ 「それはそうでしょう。ヒーローは万能の神様なんかじゃない。たとえ異能者だったとしても、兵士だったとしても、怪物だったとしても。私たち1人の力にはどうしたって限りがあって、色んなものを取りこぼす。だけど。 だからって諦めるの?そんなの間違ってる。10あるうちの1しか救えないからって諦めて、救えるはずの1も見捨てるなんて、そんなのおかしいでしょう!」 |
フィリアは薄く笑む。その腕はまだ水の塊が蠢いているだけで、人の腕の形とは程遠い。
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フィリア 「残りの9は、その救われた1を妬んで。救ったヒーローを、残りを救えないヒーローを憎むんですよ。 全部救わなくては意味がない。意味もないことを繰り返して悲しみばかり増やす人たち。可哀想に。苦しんでまでそんなことを続ける必要はないでしょう? 私たちが、カタストロフィリア様が全てを救ってあげます。そう、全てを。神様はヒーローなんかじゃない。何もかもを完璧に救うことができるのですよ。 あらゆるものを一つにして、自分も他人も自我も記憶も存在しない世界。そこでは何もかもが平等で喜びも苦しみも何もない。とても素敵なことだとはおもいませんか?」 |
にこり、と彼女がミカゼに笑みを向けて。
その瞬間、フィリアのボコボコと水音を立てて蠢いていた腕先の液体の中からミカゼが投げつけた大斧が飛び出し、彼女の腕を切り落とした。
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ミカゼ 「ッ、ぐ、アアッ!!」 |
元々人工的に作られた悪魔であるミカゼの体液は有害な魔力と毒素を含んだものだ。それはどうやら転生した今でも変わらないらしい。滴った蛍光色の血液が足元に転がる瓦礫をじゅう、と音を立てて溶かす。
こんな時なのに、力を吸い取られた私はまるで役に立たない。
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フィリア 「お返しですよ。痛いでしょう?私も痛かった。……ああ、イバラシティではあなたに首を切り落とされたこともありましたね。体験、してみます?そうすればきっとあなたも分かりますよ。私たち、救われずに絶望して落ちていった者たちの気持ちが」 |
傷口を片手で押さえるミカゼが、ふっと笑った。
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ミカゼ 「まさか。私とあなたは違うんですよ。お互いの考える『ヒーロー』の形が違うことでわかるように、違う生き方をして違う考えを持っている。同じ目に合ったからといって、あなたと私が同じ感情を抱くとは限らない。理解や共感を求めているなら、自分がされたことを相手にやり返すのは、それこそ無意味ですよ」 |
ミカゼの傷口を押さえていた手が、ぱっとフィリアへ振るわれる。掌に溜めていた血液が、フィリアの身体へ降り注いで、肉を焼く。
「いっ、ぎぃぃィィイッ!!!」
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ミカゼ 「効いた! 逃げますよ、アガタ!!」 |
切断された手を拾い上げたミカゼは片手で私を抱え上げると走り出す。流石は身体強化の異能といったところで、成人女性を片手で抱き上げながらも、彼女の走る速さは獣のようだ。
遠くなっていく母親の方へ再び視線を向ける。地面にうずくまり、それでもこちらへ必死に手を伸ばして何かを叫んでいるその姿は、たしかに救いを求める者の姿にも見えた。
━━sideミカゼ━━
仲間のみんなから少し離れたところで抱えていたアガタを下ろす。流石に腕がもげたままで戻るわけには行かなかったのだ。
拾った腕を傷口に合わせてリボンでぎゅうと縛り上げる。
アガタが少し不安げに私のそれを覗き込んでいる。
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アガタ 「治そうか?」 |
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ミカゼ 「大丈夫ですよ、普段は普通の人間だけど……変身してるときの肉体は以前と同じです。しばらくこうしていればくっつきますよ」 |
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アガタ 「なら良かった」 |
アガタはいつも以上に口数が少なく、ぐったりしているように見える。やはりあの女に触れられた時に何かされたのだろう。
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アガタ 「ミカゼ……私のことをヒーローだって言ったけど」 |
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ミカゼ 「ああ、それですか。……ヒーローって別に特別な人じゃないと思うんです。助けを求める人みんなを救うって、そりゃそれも立派なヒーローですけど、そもそも本当に守りたいものを守れないんだったら戦う意味がないと思います」 |
そう、私が本当に守りたいのは私の友達だ。他の人を守れたとしても、私の周りにあるものを守れないというなら、私は何のために戦っているんだろう。
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ミカゼ 「だから、自分が助けたいって思う人のために手を伸ばして戦える人はみんなヒーローなんですよ。別に戦うって言っても、敵を倒すだけじゃないです。いじめっ子にたち向かったり、苦しい時にがんばるためのお手伝いをしたり。そんな些細なことでも救われる人はいるんですよ。 だけど、それって誰でもいいわけじゃない。『この人だから、救われた』って思えるような相手……そんな人じゃないとまず差し出した手を取ってはもらえません」 |
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アガタ 「たとえば、アガタの母親の手を私が取らなかったように?」 |
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ミカゼ 「そうです。だから、誰でもみんなヒーローにはなれるけど、みんなのヒーローにはなれないんです。だけど誰かのヒーローになる、それだけでも大きな価値がある。私たち1人1人の力は限りがあるけど、そんな些細なことしかできない私たちでも、たくさんのヒーローがいればそれだけたくさんの人が救えるんですから」 |
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アガタ 「そうか。……ヒーローって、もっとすごいものかと思ってた。でも、そう……私はあなたのヒーローか」 |
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ミカゼ 「そうですよ。あなたはだって、世界と私1人を天秤にかけて私を助けた。ロギウスの人たちからすれば、あなたは大罪人なのかもしれないけど……私にとっては紛れもないヒーローなんです」 |
アガタはあまり表情豊かでもお喋りでもないけど、満足げに頷いたので、きっとこの答えでよかったのだと思う。
ヒーローって、何なんだろうってよく自問自答する。だけど、私にとってのヒーローを思い出すと、アガタになるんだ。世界と友達の二択を突きつけられて、友達を選んだ人。だから、私はみんなの味方のヒーローにはなれない。私は自分の大切なものを守るために必死に手を伸ばす、そんな人をヒーローだと思ってるから。
だから、私の正義はきっと他の人とは相容れない時が来る。
AAAのみんなもたぶん1人1人が考えている正義だとかヒーローの在り方は違う。
だからこそ、私はそれは素晴らしいことだと思う。色んな形の正義が集まって、そして戦っている。たとえ私の正義では届かないものがあったとしても、他の正義を貫く誰かがたどり着くことができるならそれで良い。
みんな同じである必要はなくて、その多様性こそが、より多くのものを救う可能性を高めるのだと私はそう信じている。
だから、バッドガイのように悩みながらも戦う人を私は尊敬する。それは私とは違う正義だと思うから。きっと彼らは苦しんでいるけど、それでもそんな彼らだからこそ救えるものがあると思っているから。苦しくても立ち向かうというのは勇気のいるもの。だから私は彼らに敬意を抱くのだ。
最初からそんな葛藤を抱くことなく淡々と進む私には、真似できない正義だから。