赤い空、ひび割れたアスファルトの上に張られた無数のテント、露店商が道行く客を呼び込んでいる。
周囲を壁に囲まれた空間…ハザマには違いないが、ハザマでもまだ健全な空気がある場所、それがこのキャンプ地である。
ここには襲い掛かってくる生物もいないし、アンジニティ側の人間もいないため、しっかりと休息が取れる安全地帯だ。
ハザマに来るのはイバラシティの時間で10日に1回、1時間程度。
そうしてハザマに来ている間、本来のイバラシティではほとんど時間経過がない。
逆にハザマでは以前呼び出された時の続きからとなる…ゲームでセーブデータを読み込んでから再開するというのはこんな感じなのかもしれない。
また、イバラシティではハザマでのことを思い出すことはないが、ハザマではイバラシティでの出来事も含めたすべての記憶がある。
最初は混乱して、周囲を警戒せねばならず、生き抜くことに精一杯だったから落ち着いて情報を精査していなかった…というのは怠慢だ。
もっと早くそれに気付いていれば、ここで連れの少女があんなに憔悴することもなかったろうに。
チラリと隣のテントに視線を送るが、少女が起きた気配はない。
森での敗走が響いているのだろう…無理もない話だ。
視線を戻すと、赤いトカゲにも似たフォルムの生き物が周囲の生き物と戯れていた。
「マーレ、あんまり遠くに行くなよ」
「キュイ!」
ミランが一声かければエイドであるベビードラゴンから元気な返事が返ってくる。
テントの入り口で周囲の様子を眺めている間に飛び出していった彼女(多分)は随分と好奇心旺盛らしい。
他所のエイドに挨拶して回っては楽しそうに声を上げ、時折思い出したようにこちらの姿を探しては戻ってくる。
他のエイドの主らしい人と目礼を交わし、戻ってきたマーレの喉をくすぐるように撫でてやればぐるぐると目を細めて喉を鳴らした。
「よし、マーレ。ちょっとこっちに来な。手を見せて…そう。怪我はないな?」
抱き上げれば、人間の乳児くらいの重さだろうか…結構しっかりとした重量を感じる。
先の練習試合で泣いてリタイアしたので一応のチェックはしたが、念のためもう一度確認することにした。
不安にさせないように一つ一つの動作に声をかけ、何を見るのかを伝えればマーレは素直に従ってくれるので、随分頭がいい。
あるいは、親にもそうやって健康チェックをされていたのかもしれない。
「…鱗の剥がれや欠けはないな。よし…マーレ、牙も見よう。口開けてみな?あーんてして?」
「キュアー?」
首を傾げながら口を開けて見せるさまはなかなか可愛らしいが、ずらりと並ぶ牙は小さいながらなかなかの迫力だ。
口の中は血色もよく、牙がぐらついてる様子もない。
爬虫類の口の中をまじまじ見たことはないが、口内炎や歯槽膿漏のような症状も見られないから多分健康だと思う。
「よし、いい子だマーレ!お利口さんだな!」
「キュイ!キュイ!」
「ぎゃ゙~あ゙?」
「お、館長起きたのかい?」
マーレを撫で回して褒めていると、よちよちとした歩みでアデリーペンギンが近付いてくる。
森なんかの足場が悪い場所では当ペンギン的には不本意ながらミランに抱えられて移動していたためか、比較的元気そうだ。
一応館長にも異常がないか改めてチェックし、足の爪や足裏に割れや傷がないのを確認する。
「館長も口開けられるかな…館長、マーレみたいにできるか?マーレ、さっきのお手本見せたげて」
「キュア~~~ア!」
「ぎゅ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」
「うわ口怖っ!!」
隣のベビードラゴンに倣って口を開けてくれたはいいが、ペンギンの口の中は見た目だけならドラゴンより凶悪だった。
上顎と舌には喉の奥に向かってギザギザした返し状の突起がびっしり並んでいるのである。
本来ペンギンとは海中で生きた魚などを捉える生態を持つので、捉えた魚が容易に逃げられないように、また飲み込みやすいようにと進化していった結果なのだろう。
絶対食う!という生存への強い意志を感じる。
ドラゴン以上に健康状態が分からないが、血色はいいと思うので多分大丈夫だろう…多分。
館長の口を閉じさせて嘴の下を撫でていると、ふと影が差した。
「ミランさん」
声をかけて来たのは、隣のテントで休んでいた少女だ。
ミランはテントの入り口に腰を下ろし、外に足を投げ出すような形で座っているので、いつもとは逆に少女を見上げる体勢である。
「サツキちゃん、ちょっとは休めた?」
「はい、お陰様で」
そう言って笑う顔はここに戻ってきた時より大分マシになっており、ミランもほっと安堵の息を吐く。
「そっか、よかった」
とはいえ、蓄積された疲労がそう簡単に抜けるわけでもない。
なんの訓練の受けていない一般人であり、学生であった彼女ならば、なおさら。
「丁度よかった、今健康チェックしててね…サツキちゃん、ちょっと手を出して」
「? はい」
差し出した手に、素直に細くたおやかな手が乗せられる。
寝起きだろうに少しひやりとしたその手の爪は白い。
「ちょっと脈計るよ」
「え、あ…はい」
親指で細い手首を探り、筋と骨の間の脈を探し出す。
トッ…トッ…と規則正しく打つ脈拍は正常の範囲内だが、やはり少しばかり体温が低い気がする。
「ん。脈は大丈夫だね。何か体調に異常はない?火傷が残ってるとか、痺れがあるとかは?」
「大丈夫です。ミランさんのお蔭で、すっかり」
「そう?ならいいんだけど」
細い手を解放しながら、少女を見上げる。
ハザマでは異能の力は強くなるらしい。
日常生活では使ったこともないような強力な異能スキルを戦闘に使うというのは、体力的にも精神的にもしんどいものだ。
ミランのように軍属経験があって、それこそ戦闘に特化した異能を見た経験があればまた別だが、少女の場合は自分や対戦相手のスキルでしか経験がないはずで。
心配事に加えて、そういった情報の錯綜が彼女を追い詰めているのは明らかだ。
ひやりとした指先が示すものに、ミランは内心で溜息を吐く。
守り、生きることを最優先事項としたため、自分が最前線で防御と回復を担ったことに後悔はない。
ただ、できることなら攻撃も自分が受け持てたならよかった。
先の敗走に彼女が責任を感じる必要がなく、前を向いていられるくらい、自分に力があればよかった。
それが傲慢な願いだということも自覚してはいるけれど…
「サツキちゃん、情報を整理してて気付いたことがあるから、聞いてくれる?」
「はい!」
今から自分が話すことが、少しでも彼女の心を軽くできればいい。
その憂いを晴らす切欠になればいい。
そうしてもう少しだけ、彼女が休める時間を取れたら…
そんな風に願わずにはいられなかった。
時間の流れに容赦はなく、けれど今はまだ立ち止まる。
次へ進むために。