【ハザマ時間 1:00】
SIDE:T
まだ暖かい灰が、辺りにうっすら散らばっている。
その中央に膝をついた少年は、己の上着を脱ぎ捨てた。
烏木 茅
一心不乱に掻き集め、地面に敷いたそれへと乗せていく。
何も言葉を発することなく、ただそうして積み上げられた灰の山を作っていく。
風に散ってしまうことを恐れているように。
ある程度集められた灰が、俄に熱を帯びて輝き始める。
手で集めきらなかった細かな燃え残りもまた発光し、彼が集めた灰の山へふわりふわりと漂って集まってきた。
状況を鑑みなければ、幻想的な光景だ。
ほどなく灰の山の頂上から、勢いよく何かが飛び出した。
燃えるように輝く人間の腕だ。肘くらいまでのそれが、掌を天に向けてもがくように蠢いている。
(――あいつの手だ)
現実とはかけ離れたこの状況であっても、なぜかそう確信した。
探り当てるその先を教えるように、あるいは引っ張り出すように、強く握る。
燃えているように見える腕は触れてみるとほの暖かく、肌を焦がすような熱さではなかった。
虚空を探っていた手が縁を見つけたようにしっかりと握り返す。軽く力を込めると、僅かな手応えと共に腕は引き寄せられ――
腕から引きずりあげられるように、よく見知った残りの肉体が、身につけていた衣服ごと灰によって形作られていった。
灰が固まって目の前に現れたまだ仄かに青く輝く少年は、引き上げられた片腕に頼ってだらりと力なく座った姿勢のまま動かない。
両目が閉じられて眠っているようにも見えるが、握り返す手の力だけは未だにしっかりと力強い。
「……すみれ、目を開けてくれ」
下手に扱えばまた崩れ去ってしまうのではないかと逡巡した挙句、その姿の名を呼び、そっと頬へふれる。
目の前の人物の異能に、このような働きがあった覚えはない。
あるいは、知らなかっただけに過ぎないのか……
そこまで考えて、何より彼の無事を確認すべきであることを思い、仄かな光越しの顔を見つめる。
頬はまるで焼き物のような感触だった。しかし躊躇いがちな指がそれに触れた瞬間、硬く乾いた肌が突然ふっくらと弾力を取り戻していく。
声が聞こえたのかは定かでないが、うっすらと少年の瞼が上がった。
平時の薄くブルーの入ったグレーではなく、纏う炎とほぼ同じ鮮やかなライトシアンの瞳と目が合う。
「……ちがや、」
弱々しい声とともにその身を包んでいた神秘の一切は炎とともに掻き消え、ただそこには寝起きのようにぼんやりした少年がすっかり元通りの様子で座り込んでいた。
疑いようもなく、いつもの幼馴染――菫 啓文その人である。
菫 啓文
「ああ、俺だ」
すっかり元通りになった頬へもう一度ふれる。繋いだ手の感触と同じく、柔らかい。
「一体なにが、……いや、それよりも、怪我は?どこか痛かったりは……」
「だいじょうぶ……君のおかげでもとどおり」
「そ、そうか……ならいいんだが……」
つぶさに観察するも、言葉通りどこにも外傷は見当たらない。ひとまず、安堵の息をつく。
そんなこちらの様子を見て、まだぼんやりとした表情ではありつつも困り笑いを向けた。
「ありがとう。また君に、引っ張りあげて貰っちゃった」
「また、って……お前、もしかしてこういう風になったことあったか……?」
あるとするなら、あの時、彼が生死の境を彷徨っていた時だろうか。
けれども、今のように手を握ったりは出来なかった。
親族でもない俺は、ついぞ病室に入れなかったのだから……俺が助けたというのは、すこし、噛み合わない。
「んえ」
そのことを問おうとしたが、彼は突然はっとしたように目を見開く。
「ないよ。ごめん、寝ぼけてた……寝ぼけてたって言っていいのかな?これ」
そうして一転頭をぶんぶんと振って、立ち上がった。自分もつられて立つ。
手は繋がれたままだ。幼い頃から感じてきた温もりがそこにある。
「無理もない。幾ら異能があるって言っても、こんなに大掛かりなことをすれば混乱して当たり前だ」
立ち上がった跡に目をやった。
もう灰はどこにもなく、ただ乱雑に自分の上着が投げ捨てられているだけに見えた。
「俺、この世界なら茅さえいれば死んでも元に戻れるみたい。
茅のほうこそ大丈夫?あの人たちに酷いことされてないよね……?」
気付けば、心配そうにこちらを覗き込む顔。
半分ほど、目の前の幼馴染の言うことが理解できない。
――死んでいた?灰になって……そこから蘇ったとでも言うのだろうか。
「俺はなんともない。死んでもとか、そんなに軽々しく言うなよ。
……いや、力不足だったのは、それでも確かか」
少し変な力のある男子高校生として、なんの変哲も無い日常を過ごしてきたつもりだった。当然人の害し方など知らない。
いや、知ればいつか叶えてしまうかもしれない。そういった性質の異能であるが故に、余計避けていた。
……けれど、このままでは目の前の存在がいたずらに傷つき続けてしまうことになる。
今度こそ、本当に失ってしまうかもしれないのに。
「ごめん。守れなくて……」
「ごめんなさいは俺のほうだよ、茅。先に死んじゃって役に立てなかった。戦えそうな異能を持ってるのは俺なのに」
「俺の灰、頑張って集めてくれたんだよね。ありがとう」
放っていた上着を叩いて、差し出してくれる。
「そりゃあ、…………ずっとあのままかと、思って」
いつもそうだ。平然とした、柔和な微笑みから吐き出されるのは過剰な奉仕と自己犠牲。
それでは本末転倒だ、と何度も言っている筈なのだが。
「お前が役に立つかどうか以前に、死んだらなにも意味がない」
「俺はそう思わない」
やんわりとした、しかし明確な否定。
それほど取り付くしまのない答えを返されることはそうそうなかった。
肩にかけてやった上着を握っている。
「ありがと。……茅の気持ちはいつも嬉しいんだ。茅が悲しむところも見たくない。
だから、ちゃんと死なない方法は考えるよ。ごめんね」
「っ……でも、」
言い返そうとした。
けれども、逆の立場ならおそらく同じことを言うであろうし、ここまで彼が真っ向から意志を主張することはまずない。
それなら、やることはひとつだ。
「……俺も、もっと探そうと思う。すみれを守れる方法。二人で帰れる方法」
何としてもお互いのために命を使うことをやめないのなら、その事態が起こらないようにすればいい。
最善を叶えること。「互いのため」のぶつけ合いなら、それが一番シンプルな解決法だ。
思わず繋いだ手に力が入る。
「うん」
それを握り返され、すぐ隣にぴったりと寄り添われる。
「そうだね。ふたりで帰ろう」
迷いのない返事は、明快な了承のしるしだ。
「ああ。約束だぞ」
考え方はともかく、こいつが自分の要求なら絶対に守ろうとするのを知っていながらこうするのは、狡い手だ。けれども、命には代えられない。
その選択を肯定するように微笑み、頷く。
「じゃ……行こっか、茅。今度は勝てるように、武器の材料とか集めようよ」
「それがいいな。適宜食材もこの調子で調達しながら、慎重に進もう」
そうして赤い空の下を、ふたりで歩き出す。