カンカンカンカンカン!!!!!!
「うるっせえよ朝っぱらから!!!!!!」
ターバンを巻いた典型的なインド人が、中華鍋をなんてことなく持ち上げ、店先でカーチャンの如くかき鳴らしていた。近所の安アパートの住人に怒鳴られ、しゅんとうなだれたインド人はすごすごと店の中へ戻っていく。
「毎朝やってるヨ……」
それも迷惑な話である。
「カリ・カーリーのインドカリー」は、インドカリー屋だ。
インドカリーといっても、北インドと南インドでかなり雰囲気が違う。イバラシティで最も知られているであろうインドカリーにはナンがついているが、これは北インドのカリーで、南インドではライスがつくのが一般的だ。「カリ・カーリーのインドカリー」はどちらも対応している。
閑話休題。
カリ・カーリーは、インドカリーのすばらしさを広めるため、はるばるインドからイバラシティにやってきた。客は、少ない。がんばって作った手製のチラシも配り、開店していることをアピールするために毎朝鍋を鳴らしているが、逆に客足は遠のくばかりだ。
「ヤッパリ、アルバイト950円て、見栄をはったのがよくなかったヨ。850円にしておけばよかったネ」
断っておくが、ほぼ最低賃金である。
「食べたらわかるヨ、カリ・カーリーのカリーたべたら、おいしくてしんじゃうヨ……」
日本語もだいぶ危うい。カリ・カーリーの明日はどっちだ。
鍋を鳴らしていたカリ・カーリーに、侵略を告げる声は聞こえていなかった。
黒い、水が。
ひたり、ひたりと静かにひろがっていった。
荒廃した街。建造物は崩壊し、瓦礫はそこかしこに転がり放置されている。
見捨てられた世界を見下ろす、時計台。
私はそこで生まれた。
それだけがわかり、それ以外はなかった。
力を蓄える必要があった。
いまの私は、あまりにも無形で、あまりにも脆弱だった。
偽りの私を真の私とするために、力が必要だった。
侵略を遂げてはならない。
この侵略なくば、形ある私を得ることはなかったとしても。
そうして得た偽りの私を否定する、世界の入れ替わりを遂げてはならない。
棄てられた無形の私をさざめかせる、響奏の世界。
その音色は、つながりを断たれた先でも、私を響かせてくれるだろうか。