ハザマにいる記憶と、イバラシティにいる記憶は、おかしな話だが区別できていた。
ハザマからイバラシティに戻って、それからまたハザマに来て――という記憶があるわけでなく、
ハザマにいる時の記憶はそれで続いているのに、それとは別にイバラシティで生活している数日分の記憶もある。
考えてみれば、混乱せずに整理できているのが不思議だなあ、と思った切っ掛けは、
イバラシティの記憶が途中で止まったからだ。
色々なことがあったせいで、多少混乱しているが、どうやら俺は死んでしまったらしい。
ハザマの赤い空の下。
何となく、もうイバラシティの青い空を見上げることはないのだと思った。
それでもいいと思った。
この世界に、彼女が――いや、『滝 鶺鴒』がいてくれるなら。
「……ああ。今度こそ、ずっと……鶺鴒さんと、一緒に」
イバラシティでの最後の記憶は、同じカフェでバイトしている鶺鴒さんと話をして、俺は彼女の力になりたいって伝えて。
その後、鶺鴒さんが急に咳をして――赤い花を吐くのは知っていたけど、その時は、何故か白い花だった。
いつもの咳と様子が違ったから、すぐにヨアヒム店長に連絡をして、そして……
確か、鶺鴒さんの具合が本当に酷くて、救急車で運ばれて行ったことは覚えている。
救急車?
「なんで……なんで、鶺鴒さんが、こんな目に遭わなきゃなんねえんだ……?」
俺は、
鶺鴒さんが死んでしまうと店長に聞いて
鶺鴒さんが死ぬんじゃないかと心配で、以前に聞いた話を思い出して、思わず、
あの話って、いつ、誰から聞いたんだ?
「神サマって奴が本当にいるんなら、何とかして見せろよ!」
「あきとおにいさんも、ちーちゃんに、おねがいする?」
鳥籠の中に、
誰か、
何か、いる。
いつの間にか、
俺のポケットの中に手帳が入っていた。
俺はくたびれた手帳を持っていた。
ページは黒っぽい汚れで読み辛かったが、目当てのページは鮮明だった。
なんで俺、そのページが読めるんだ?
そこには、知らない男の字で、こう書いてあった。
ーー猿の手、という昔話がある。
どんな願いも、三つまでなら叶えてくれる、不思議な手のミイラ。
手……正しく『お願い』すれば何でも叶う異形の腕、『やちまたさま』の噂と似ていないか?ーーと。
何の偶然か、それをヨアヒム店長が所有していることを、俺は知っている。
「やちまたさまに、お願いすれば……鶺鴒さんも、助かるのか……?」
これがタチの悪い悪戯だとしても、それでも俺は、見知らぬ手帳に縋るしかなかった。
あの本にも同じようなことが書かれていたんだから、
俺の異能はコーヒーを入れる時にちょびっとだけ役に立つ程度のもので、
怪我を治すだとか、病気を良くするだとか、ともかく鶺鴒さんを助けるような力じゃない。
だから、もしもやちまたさまが鶺鴒さんを助けてくれるなら、俺の頭くらいいくらでも下げてやる。
――やちまたさまの
鳥籠、さっきまでカウンターにあった筈なのに
鳥籠は、ヨアヒム店長の部屋にあった筈だ。
何故かビルには誰もいなくて、
店長は、付き添いで病院に行ってるから、今なら俺が部屋に向かっても誰も気付かない。
よほど急いで出て行ったのか、玄関の鍵は開いていた。
留守中に勝手に部屋に入るのは多少罪悪感もあるが、人命が掛かってるんだから見逃してくれ。
「お邪魔しまーす……っと」
そろりと室内に入って、後ろ手に玄関を閉める。
ベッドサイドのポールに、鳥籠が吊ってあるのが見えて、ほっとする。
店長が鳥籠を持ったまま病院に行ってたら、本当に何もできなくなるところだった。
靴も脱がずに近寄って、鳥籠を掴んだ。中のティーカップが倒れるが、大事の前の小事だ。
「おい、やちまたさまはいないのか!?」
「え、えと、ちーちゃんは」
「いいから、さっさとしてくれ! 急がないと間に合わないんだ!」
急かしても、鳥籠の中に、薄気味悪い腕は出てこない。
なんでだよ、どうでもいい時にはフラフラしてたじゃねーか!
「手帳に書いてあっただろ、やちまたさまなら、鶺鴒さんを助けられるって!」
困った顔をしていた小人が、俺の後ろを見てほっとした顔になる。
俺の後ろにいる、誰かを見ている。
気付けば、鳥籠を掴んでいた
手は、動かなくなって、まるで何かに掴まれたみたいに、
手を放していた。
小人が、首を傾げる。
「あきとおにいさんも、ちーちゃんに、おねがいする?」
「当たり前だろ! 鶺鴒さんを……鶺鴒さんのいた世界を返せって、そのためなら俺の頭くらい、」
ゴキン、というか、
ボキン、というか、妙に響く重い音がした。
小人は首を傾げたまま、四つに分かれたパーツの内、一番大きな塊が床に倒れるのを眼で追った。
それから顔を上げて、残る三つのパーツを――正しくは、それを握り潰した三本の腕を――見て、
今度は反対側にこてんと首を倒す。
状況がわかっていないような顔で少しの間考えていたが、やがて小人ははっとして、腕に向かって声をかけた。
「あ! あのね、ちーちゃん。あきとおにいさんが、ちーちゃんにおねがいごと、あるんだって!
わたし、でんごんしようとおもったのに、とちゅうできこえなくなっちゃって…
ちーちゃんは、ちゃんときこえた…?」
口を持たない腕は、小人の問いに、何の反応も返さなかった。
「また葬式? この間もそうじゃなかったか?」
「あれは叔父さんの所のでしょ、今度はほら、従弟の――」
「そうか、随分若いのに……事故だなんて気の毒に」
「それがね、亡くなった時の状況がおかしくて、異能での殺人じゃないかって聞いたわよ。
――あら? ねえ、ちょっと、お義母さんの妹さんにも不幸が……」
「おいおい、何でそんなに――」
通りかかったリビングで、ハガキを見たお父さんとお母さんが、怪訝な顔をしている。
そう言えば、学校でも最近、変な事故で一家全員が死んだって噂があったっけ。
異能での連続無差別殺人事件とか、勘弁してよ。しかも親戚が巻き込まれてるとか、生々しくて嫌な感じ。
このタイミングで親戚が何人か死んでるって学校で言ったら、あたしまで変な噂の関係者にされそうだ。
憂鬱なため息をついて、あたしはそのままバスルームに向かった。
「あー、でも、葬式に行くなら学校休むのよね……」
自分からは言わなくても、担任教師が「身内の葬式のために今日はお休みしています」なんて言ったら、
次の日には勝手に関係者扱いになっているかもしれない。勘弁して欲しい。
嫌な気分になりながら脱衣所で上着を脱ぎ、何となく鏡を、見――
「――は?」
なに、これ。
鏡の中、立ちすくんでいるあたしの肩からお腹にかけて、変な模様が出ていた。
内出血とは明らかに違う紫色で、歪な四角形を組み合わせたような……
そう言えば、この前に亡くなった親戚の家族が、そんなことを言っていなかっただろうか。
首に変な痣が出て、何だろうと思っていたら、事故で首が――と。
まさか、その痣って、これ? 放って置いたら、あたしも、死ぬ……?
なかなかお風呂に入る様子がないのを心配したお母さんが様子を見に来るまで、あたしは鏡の前で立ち竦んでいた。
|
祟り神は、祟るからこそ手厚く祀られているものなのだ。 |