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…… 「ご飯綺麗に食べましたねえ、おじいちゃん」 目の前の食器トレイを片付ける若い看護士の言葉を聞き流すように、 老人は無言で病室の窓の外へと眼を向けた。 季節は冬であったが、 今日の空は透き通るように晴れ、小春日和といった様相を呈していた。 「それにしてもよかったですねえ。 すっかりお元気になって…」 ワンテンポ遅れて看護士を見つめてひとつうなずくと、 老人は消え入りそうな声でゆっくり、 「……かれいであ……」 とつぶやいた。 看護士はにっこり笑ってベッドの脇の小台に置いてあった ノートを老人に手渡した。 「『かれいであ』ね。 大活躍だったのね、おじいちゃん」 無言でパラパラとノートをめくる彼の目の焦点は、しかし紙の上の文字には 合っておらず、どこか遠くに結ばれているようだった。 「わしは…」 不意にノートが病室の白い床に滑り落ちた。 笑顔を崩さずに それを拾い上げて、老人の手に戻そうとした看護士の動きが止まった。 老人が手を伸ばし、自分に向けて差し出されたノートの端をしっかりと 掴んでいたのだ。 そのまま受け取るでもなく付き返すでもなく、 ただ看護士の目の奥を覗き込むようにしながら、彼はゆっくり言葉を続けた。 「わしは、『あの頃』を、忘れたくなかった。 いや……誰かに、わかってほしかったのかもしれん。 皆、国のため、陛下のために戦い、自ら進んで命を投げ打って…… それが、自らの、一番大事なものを、守ることだと、信じておった。 ……結局は何も守ることが出来ず、大きな罪を背負ったけれど、 でも、わしは……わしらは…… 結局は、何も手に入らず、何も残せず全てを失ってしまったけれど…… あの頃、わしらは確かに、大切なもののため、自分の信じたもののため、 精一杯、頑張ったんだよ。 …… かれいであのこと……将官どのやクレイブン殿のことも皆…… わしの、最後の夢だったのかもしれん。 ……誰しも皆、夢で見たことを 忘れていくじゃろう? 年をとった頭が、たくさんのことを忘れて行く中で…… どうかそれだけ、そのことだけは……」 ノートにこめられた力がふとゆるんだ。 老人の目線は看護士を外れ、また病室の外に向けられていた。 「空が、きれいだ」 「……あら、そうですねえ。 ここ数日は本当に天気も良くて」 「かれいであの空は、今頃は……」 それだけつぶやくと、黙りこくってしまった老人の手のひらの上に、看護士は そっとノートを戻した。 老人はもうノートをめくろうとする様子も無く、 ただ外の景色をぼんやりと眺めていたが、そのまま病室を退出しようとした 看護士のほうを思い出したように振り返った。 「そういえばサチコさん、飯はまだかのう」 看護士はくすり、と小さく笑い声を漏らすと 「もうすぐご家族がお見えになりますからね」 と一礼し、部屋を出て行った。 見送る老人の手から再びノートが 滑り落ちたが、彼は今度は拾おうとも手を伸ばそうともせず、 ただ床に落ちたそれをぼんやりとうろんげに一瞥したのみだった。 冬の日は早くもやや傾きかけ、こころなしか赤みを帯びた日の光が もうすぐこの世界にも夕闇を連れて来ようとしていた。 |
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