彼はこの世界を嘆きもしませんし、
自分の生を疑った事も有りません。

だって彼は、結局何時でも、
何か有った事なんて、在りませんでしたから。



彼の倒れた場所は、彼等の巣窟でした。

所謂廃墟と呼ばれる場所を、病院と言う施設に変えて、
自分達の性根のばれぬ様、善人の様に人を助け、
歪んだ神に祈りを捧げて生きる、
自分勝手で、人の力を借りる事でしか幸せになる事も出来ない、
そんな、欠落の多い彼等の巣窟。

倒れていた彼を、警備員が見つけ、
だから、彼が起きたのは、その建物内のベッドの上でした。

目覚めた彼の目に始めに入って来たのは、
今も共に在る、金の髪。

その髪が、彼を兄と呼んだから、
そこからはもう、転がる様に話が進みました。

自分の身体を労わり、
自分に優しく声をかけ、
自分の為に忙しなく金の髪を靡かせる彼女を見て、
彼は、彼女を、
そして、彼女が兄弟の様に呼ぶ彼等を、
兄弟だと捉えたからです。



兄弟達の単純な質問に、
彼は喜んで、素直に、淡々と、
包み隠さず答えてゆきました。

彼等は、彼の生い立ちや姿、性格や性質などに興味は有りません。

たった一つ、彼の聞いた声について、
其れだけを何度も何度も、質問を細かく変えながら。

と言うのも、彼の身体はとっくに全てチェックが済んで居て、
だから、声に導かれたと言う彼を、不思議に思ったのでしょう。

彼の身体には、選ばれた人間に与えられるはずの、
神の印が何処にも見当たらなかったのです。

でも、そんな事は当たり前です。
だってその時はまだ、
彼の身体は、彼の物では有りませんでしたから。

この無駄な尋問は、暫くして表れた神の一言であっさりと終わり、
彼は直ぐに、望んだ通り、彼等の兄弟と成りました。

彼は小さな針を使って、
自分の胸に、兄弟と同じになれる様、
神の、父の子である証を付けました。

優しく自分に声をかける神を父とし、
同じ神を信仰する彼等を兄弟とし、

父が為、兄弟と共に、
一生懸命に働きました。

私はと言うと、彼の父の所為で衰えてしまい、
彼に声をかける事も出来なくて、

其れでも、彼が与えてくれていたから、
少しの意識と存在だけは、残す事が出来ました。



彼等の行動思考は余りにも単純明快で、
だからこそ、私には理解が出来ませんでした。

彼の父には敵が有るので、それを無くす。
彼らの生きる理由は、たったのそれだけ。

敵とは何か、敵の定義、理由は、
その行為から生まれるメリットデメリット、
何を持ってその命令が遂げられた事になるのか、

彼の父の命令には、「終わる」為の情報が、
何一つ与えられていませんでした。

それなのに、それでも、
彼等は言われたままに、其れが指を指した方向を向き、
其れの言葉の通りに、動きました。

死ぬも生きるも其れ次第、
其れが一つ言葉を吐けば、命が幾つも削られます。



彼の父は、信じる者達に、それぞれに武器を与えていました。
所謂超能力と言う物で、その力は余りに強大、
人の心を惑わせる能力まで有りました。

彼に与えられた力も、人の心を惑わす物でした。

人間は、最良の次の一手を見据え、考え、行動する生物ですが、
それを奪う事が出来る力、
相手を獣に還す力、
彼の能力は、そんな、恐ろしいものでした。

とは言っても、彼は自身が元々後先考えずに行動するようなモノだったので、
この能力があって、やっと彼は、相手と対等に動く事が出来る程度。

だからこの力は、彼の兄弟達が、有効に使っていました。

知恵あるものが使えば、その力は余りにも強大。

臆病な人間はその場にしゃがみ込み、叫ぶだけ。
勇敢な人間は、ただ真っ直ぐに、此方へ走ってきます。
大人は立ち止まり、子供は泣き喚き、
男は立ち向かい、女は大切な物を抱きとめる。
逃げる、と言う本能を使い、ただ扉を開け、走る。

彼が相手であれば、それだけで助かっていたかも知れません。
でも、その事を重々理解していた兄弟達は、
大切な場面程、彼を1人にはしませんでしたし、
能力を無駄には使わせませんでした。

そして、強大な効き目のある薬には、副作用が付き物。
それは生命すら脅かす物であると、兄弟達は散々彼に言い聞かせました。

ですが、恐怖の感情の薄い彼が、その程度の説明で止まるはずが無く、
彼が教団に入ってから間も無く、能力の副作用が現れ始めました。

折角手に入れた感情達が、能力を使う度削られていき、

笑わず、怒らず、悲しまず、
考える事の意味を見出せず、
眠らず、食べず、息をする事を止め、心臓を動かす事を止め、

生きる事を止めて、

唯一、最初から持ち合わせていた、
狂信すら、ついに止めてしまいました。



彼は、彼が一番気に入っていたリネン室で、
ただ立っていただけの所を、
父の敵であるもの達に散々銃弾を浴びせられた後、
死神の鎌に心臓を貫かれ、無くなりました。

それはもう、あっさりと。
元々、無かったかの様に。



同時に、私は初めて、私に成りました。



散々撃ち抜かれて出来た傷は痛いし、
切られた背中からは血が止まらなくて気持ちが悪いし、
心臓を動かす事は思った以上に重労働、
息をする度に感じる身体を巡る異物感、
それをいちいちこうやって頭で考えなきゃいけないのも凄く面倒だし、
私はあの子と違って人間だから、それを自分で止める事も出来ないし、

あぁ、彼は今まで、
こんなに辛かったのか思うと、
余りに可哀想で、愛おしく、



だから私は、もう一度、彼を作る事にしたのです。

あの時と違い、呪いは無いし、
あの時と違い、彼の元になるものも無いし、
あの時と違い、入れ物も無いけれど。

それでも私は、何度も彼を思いました。
母の様に、何度も祈りました。

どうか、あの時の様に、
私の代わりに全てを受け入け止めてくれる彼を、
私の代わりに全てを愛してくれる彼を、
私を愛し、憐れみ、全てを背負ってくれる彼を、